隠れ里(2)
カイル視点→ソフィア視点に変わります。
子供達が寝静まってから、カイルが周りの警戒をしながら木に寄りかかっていると、ソフィアがやってきて隣に座り謝ってきた。
「アリー達のこと、勝手に決めてごめんね、カイル」
「ソフィアが謝る事じゃない。仕方ないさ」
ソフィアは膝を抱えて俯いているせいで、どんな表情をしているのか分からない。
この時代に寄る辺のないソフィアは、魔法使い達の暮らす隠れ里の話を初めて聞いた時とても嬉しそうだった。ソフィアの時代のラピスラズリ島の様に、魔法使いが助け合って暮らす場所を想像していたのだと思う。きっと、それはソフィアにとって自分が帰れるかもしれない場所なのだ。
そんな場所に拒絶されて、おそらく子供達以上にソフィアは傷ついたはずだ。それなのに、落ち込むトム達の前では無理して笑っていた。…ソフィアは、いつだって誰かのために無理をする。
「…大丈夫か?」
大丈夫なはずないのに、出てきたのは分かりきった月並みの言葉だけ。カイルは、こんな時に気の利いた事を喋れない自分を殴りつけたかった。静かな時間が通り過ぎていったが、やがてソフィアが小さな声で話し出した。
「…本当はね、怖い。私、あの子達を最後まで守っていけるかな…。もし、始祖の魔女様が島にいなかったら、私、どうすればいいんだろ…」
自分が帰れるかなんて、きっとソフィアの頭には一欠片もないんだろう。自分の事は二の次で、子供達の未来という荷の重さに泣きながらも、それでもその荷を背負うことを止めようとはしないソフィアがカイルは歯痒かった。
カイルからするりと言葉がこぼれ落ちる。
「俺も、一緒に背負うよ」
それは、カイルの本心からくる言葉だった。それが必然かの様に、カイルはこの泣き虫で優しい少女を支えたいと思った。
しかしカイルの言葉に、ソフィアは悲しそうに首を振る。ソフィアは自分の勝手で、カイルにまで責任を負わせたくなかったのだ。むしろ、カイルにそんな事を言わせてしまったことが申し訳なかった。
「ごめんね、カイル。迷惑ばっかりかけて、ホントに、ごめん…」
「謝る必要なんてない!」
膝を抱えるソフィアの小さな背中が震えているのを見て、この時カイルはソフィアを元の時代に返さなければと決意した。このままこの時代にいては、この優しい少女は沢山のものを抱え込んでいつか潰れてしまう。そんな事、絶対にさせたくないと思った。
「ソフィア、約束する。ソフィアが元の時代に帰れるように、俺が出来ることなら何でも協力する。それまでずっと、側にいるから」
カイルとソフィアは、いつまで一緒にいられるのかと明確に言葉にした事はなかった。ソフィアはいつ元の時代に帰れるか分からなかったし、ソフィアはソフィアで、カイルはいつか王都に帰るのだと思っていたから。いつお互いの手を離すのか曖昧な関係。だから二人は、今までそこに触れてはこなかったのだ。
だからこそカイルの言葉に、ソフィアはパッと顔を上げると慌てた様に首を振った。
「ダメだよ!カイルは、王子様を助けるんでしょう?魔法使いが認められる時は絶対にくるから、その時がきたら、ちゃんとカイルが望む場所に行って欲しいの」
「大丈夫だ。オースティンを助けることも、子供達を守ることも、同時にやれば良い。これでも有能な近衛騎士だったんだからな。そのくらい片手間でやってみせる。だからソフィアはあいつらのことは心配せずに、元の時代に帰ることだけ考えていれば良い。おばあさんの意志を継いで、未来で魔女長になるんだろ?ソフィアが戻れるように、俺が出来る事なら何だってやってやる」
「カイル…」
カイルはソフィアの小さな両手を、包み込むようにそっと握りしめた。そして真剣な瞳で、ラピスラズリの瞳を見つめた。
「な、約束だ、ソフィア」
「う…ん…。ありがとう、カイル…」
ぎこちなく頷いて、そしてゆっくりと顔を上げたソフィアの静かな笑みに、何故かカイルは胸が締め付けられた。
***
ソフィアはカイルの言葉に頷きながらも、湧き上がってきた感情が溢れて胸が詰まった。
ーーああ、気付かなければ良かった。
カイルが、私が未来に帰ることを望む言葉に傷つく心になんてーー
カイルが優しさから言ってくれているのは分かっている。それでも、いつかカイルと離れなければいけないという未来に、それをカイルの口から言われたことに、心が酷く痛んだ。
ーー私、こんなにも、カイルの事好きになっていたんだ…。
いつかカイルが王都に戻る時、必ず離れることになると分かっていても、側に居たいと、この時代に残りたいと心の奥底で望んでいた想いが顔を出し、悲しい悲しいと泣いている。
いつも私を庇い助けてくれる背中も、しょうがないなと呆れた様に笑う声も、私の手を引いてくれる大きな手も…。カイルがくれる優しさは、いつも私を救ってくれた。私はどれだけ沢山のものを彼から貰ったのだろう。両手で抱えきれないほどの優しさを、少しでも返したかった。でも、私なんかに出来る事はすごく少なくて…、逆に、いつもカイルの負担を増やしてる。
だからこそ、想いを伝えることなんてできる訳がなかった。
だって、ずっと一緒にいたいということは、これからもソフィアと子供達の面倒を見ていかなければならないということだ。今だって多大な迷惑をかけているのに、この先もずっとだなんて厚顔な願いを口にできる訳がなかった。何より、カイルが王都に帰る際の足枷になど決してなりたくないのだ。
ソフィアは胸の奥に必死に想いを押し込めると、ゆっくりと顔を上げてカイルに笑いかけた。
翌朝、ソフィアは徹夜で作り上げた手紙と薬を持って隠れ里に再びやってきていた。眠れそうになかったのもあるが、どうしても渡したい物があったから。
隠れ里に踏み入ると、目の前に昨日エイデンと呼ばれていた少年が立ち塞がる。
「もう来るなと伝えただろう。迷惑なんだよ」
とりつく島もない対応に、ソフィアは悲しそうな笑みを浮かべると手紙と薬を差し出す。
「これだけ、みなさんに渡したかったんです。力を暴発させないための制御方法と…それから、魔力溜まりの症状を改善させる魔法薬です」
「魔力溜まり?なんだそれ」
「昨日テントから覗いていた小さな女の子、顔に大きな痣ができていたでしょう?恐らく、視力が低下してきていると思って…。あれは魔力が体の一部で停滞してしまうために起こるんです」
ソフィアの言葉に、エイデンは目を見開く。
「な、何で、妹の目のことを…」
「魔法使いの子供にたまにおきる症状で、場所によってはその部位の機能を低下させてしまうので、魔力を循環させる薬で治療するんです」
「ば…かな、医者には、もう、視力は戻らないと…」
「魔法使い特有の病ですから、ヒトの医者では治療出来ないんです。だから、これだけは渡したくて。服用量なども手紙に書いてあります」
ソフィアはこれだけは何とか受け取ってもらいたくて、強引に手紙と薬を押し付けた。
「どうして、お前達を拒絶した俺たちに、こんな事を…」
困惑気味に受け取ったエイデンに向けて、ソフィアは小さく笑顔を浮かべた。おばあちゃんから受け継いだ、何よりも大切な想いをこの時代の魔法使いの人達にも伝えたかった。落ちこぼれの私では出来る事はほんの少しだけど、ラピスラズリを継いだ者として少しでも魔法使いを守りたかった。
「魔法は、人を助けるための力だから。ヒトも、魔法使いも、みんなを幸せにする為の力だから。それを、伝えたかったんです。
始祖の魔女様が現れれば、きっともうすぐ、魔法使いも迫害される事なく暮らせる様になります。そうしたら、魔法使いみんなでラピスラズリ島で暮らせたら嬉しいです!あ、ラピスラズリ島のこととかも、手紙に書いてありますから!」
ソフィアの朝日に照らされた笑顔に、エイデンは息を飲む。ソフィアはテントの隙間から伺っている人達にも頭を下げると、エイデンが言葉に詰まっているうちに背を向けてカイルの待つ所へと駆けて行った。
呆然と立っていたエイデンに、後ろから小さな足跡が近づき服を握る。
「お兄ちゃん」
「エミリア…」
「お兄ちゃん、あの人の言ってたこと、ほんとう?」
「あ、ああ…。お前の目の薬が…」
「違うよ!そっちじゃなくて!
…私たちの力は、悪魔の力なんかじゃなくて、誰かを、幸せに出来る力なの…?私達は、生きていても良いの…?」
妹の絞り出した懇願するような言葉に、エイデンは衝撃を受けた。俺たちは子供達に、何度も言い聞かせて来た。この力は人々に見つかれば殺される。絶対に見つかってはいけないのだと。そうやって守っているつもりだった。でも、子供達にとってそれは、自分がこの世に生まれてはいけない者の様に感じてしまっていたのではないか。その事にやっと気づいた。
「そう…だな。俺たちは、俺たちの力は、いつか誰かを、幸せに出来るのかもしれない…」
エミリアの手を握りながらも、その震える声はまるでエイデン自身に言い聞かせている様だった。何故こんな力を持ってしまったのだと俯き泣いていたかつての自分に。
「そうだと、良いなぁ…」




