伝染病の特効薬(4)
翌朝、周りから響く咳と苦しみに呻く声、そして焦燥感から眠ることの出来なかったソフィアは朝日の中落ち着いた呼吸で寝ているマーラの様子を窺った。首の膿疱も、心なしか薄くなってきている気がする。すると横からンンッとソーラの起き上がる声が聞こえてきた。
「ソーラちゃん、おはよう」
「魔女のお姉ちゃん、お母さんは?」
「大丈夫、顔色も良いみたい」
パッと顔を明るくさせ、ソーラは枕元に近寄った。その気配を察したのか、ゆっくりとマーラの瞳が開いた。
「マーラさん、体調はどうですか?」
「久しぶりに、ゆっくり眠れたわ。ありがとう」
マーラの顔色は随分と良くなっていた。
「お母さん、良かった!」
「ソーラ、心配かけたわね」
二人の嬉しげな声に、ソフィアはホッと息を吐いた。そしてギュッと手を握りしめると、ザワザワとこちらの様子を窺う人々に向き直った。
「絶対に、治してみせます。みなさんの治療を、させて下さい」
頭を下げると、おずおずと手をあげる人が出てきた。ソフィアはパッと顔を上げて瞳を輝かせると、急いで炊事場に走り薬を作り出した。
マーラの回復の様子に伴い薬を希望する人は増えていき、ソフィアは夕刻まで薬を作り続けた。中には膿疱が広がり血も滲み、身体中の皮膚が酷い状態になっている人もおり、その人の為に一度森に入り皮膚症状を改善するための薬や発熱を抑える薬も調合した。
疲労からフラフラと歩いていたソフィアに横合いから声がかかった。
「魔女のお嬢ちゃん、あんた、昨日から何も食べていないだろう。こっちにおいで」
炊事場の裏手の広場では、町の人々が食事をとっている所だった。腕を引かれるままおずおずと広場の一角に腰を下ろすと、パンとスープを手渡された。
「これ…」
「これしか無くて悪いね。ここの食料も少なくてね。何とか食い繋いでいる状況だから」
「そ、そんな。貴重な食料を私が貰う訳には…」
「何を言ってるんだい。私らを助ける為に、一番頑張ってくれてる人に食事を与えないなんて、人としてそんなに落ちちゃいないつもりだよ。なあ、みんな」
女性がそう広場に向かって言うと、今までソフィアと目を合わせないでいた人達からもおずおずと同意の声が聞こえてきた。
「ああ」
「済まなかったな、魔女の嬢ちゃん」
「うちの子が起き上がれる様になったんだ。ありがとよ」
人々の声に、ソフィアは手の中の温かなお椀を握りしめて俯いた。
ーー私、ここに来て良かったんだ。助けられたんだ…。
小さく鼻を啜って溢れそうな涙を押し込めると、ソフィアは顔を上げて花開くような笑顔を浮かべた。
「こちらこそ…!信じてくれて、ありがとうございました…!」
ソフィアの嬉しさが滲み出た笑顔に、町の人々ははっと息を飲んだ。そしておずおずと、久しぶりであろう穏やかな笑顔を浮かべるのだった。
それからまたソフィアは薬を作り続け、時間が空けば看病や食事の支度の手伝いも買って出た。
町の人達と話せる様になっても、ふとした時にあの鮮やかな赤髪を探してしまう自分を、ソフィアは頭を振って振り払うと薬作りに集中した。
しかし、全ての人がソフィアを受け入れてくれた訳ではなかった。
「やめな!うちの主人に毒はもらせないよ!」
「お願いします!手遅れになってしまいます!」
町の人の説得にも耳を貸さず、自分の夫に覆い被さり叫んでいるのは初めに薬を叩き落とした女性だった。ソフィアも何度も説得したが、魔の者の話など絶対に聞き入れることはなかった。
「彼女は、とても信心深い人だから…」
知り合いという女性が諦めたように首を振る。
「でも、すでに血も吐いています。このままでは、間に合いません」
ソフィアは、すでに手遅れに近い現状に焦燥感に駆られていた。マーラの治療から三日経ち、彼女は膿疱もほぼ消えて起き上がれるまで回復している。他の患者も快方に向かっているが、この女性は絶対に薬を夫に飲ませようとはしなかった。彼女は病気を治したく無い訳では無い。必死に守ろうとする姿から、彼女が夫を心から愛しているのだというのが感じられた。だからこそ、ソフィアは救いたかった。
「始祖の魔女様なら、きっと救えたのに…。ううん、私が、もっと信頼を得られれば救えたはずなのに…」
ソフィアは自身の無力感にギュッとスカートを握りしめた。
何度も叩き落とされた薬を再度作り直し、もう一度説得しようと改めて建物に向かったソフィアは、女性の激しい泣き声を聞き急いで中を窺った。そこには沈痛な表情を浮かべた町人数人に囲まれた中心で、夫に覆い被さり泣き荒ぶ女性がいた。
ーーああ、私は、間に合わなかったんだーー
ソフィアは救う事の出来なかった自分を責めてグッと奥歯を食いしばった。
「あなた、あなた‼︎うぅ、何でこんな事に…‼︎」
滂沱の涙を流す女性は、滲む視界の中でたまたま捉えたソフィアの姿に、カッと目を見開いて立ち上がった。
「魔の者が!お前のせいであの人は死んだんだ!返せ!返せぇ‼︎」
強い力でソフィアを押し倒すと、ソフィアを殴りつけた。
「やめろ奥さん、嬢ちゃんのせいじゃないだろう!」
宥めようと何人かが女性を抑えてくれようとしたが、鬼気迫る動きを押さえ切ることは出来なかった。
ソフィアに馬乗りになって胸元を揺さぶりながら泣き叫ぶ姿に、ソフィアは殴られた頬よりも心が痛くてたまらなかった。大切な人を失う辛さが痛いほど分かる。ポタポタと落ちてくる涙に、おばあちゃんを亡くした夜の自分を重ねてしまう。この人の旦那さんは本当は、助けられるはずの命だったのに…。
「ごめんなさい…」
ソフィアは女性の拳にそっと手を添える。
「助けられなくて、ごめんなさい…‼︎」
「うるさい、うるさい!うぅ、ゔー」
何度も謝罪の言葉を繰り返すソフィアの胸の上で一頻り泣き叫んだ後、彼女は夫の元に戻ると一晩中寄り添い続け、翌日の朝に姿を消していた。




