新しい身体②
栢山桂介になってからは、不思議な事に野球に対する運動能力に磨きがかかった。
開成だった頃も野球は人並みに出来ていたが、今まで打てなかったような球にも反応して遠くまで飛ばすことができ、投球スピードも上がって自分でも驚いていた。
"新しい身体はどうなのさ"
影の女は、ニヤけながら彼に聞いた。
「良いに決まってるっ!野球が上手くなって誰もがオレを注目しているっ!オレが打てば女の声援が聞こえるんだっ!今日だって女から告白されたんだ、栢山は最高すぎるっ!」
"良かったねぇ。ふふふ……、ヒャヒャヒャ……"
彼は女の笑い声が気持ち悪かったが無視した。しかし、やはり気になる事があった。
「か、身体はどうなった……」
"はぁ?なに?"
「前の身体はどうなったかって聞いてるんだ」
"なんだい、またそれか?気にしてどうする"
「ど、どうするって……」
何故か答えようとしない女にそれ以上問いただしても仕方がないと思った。彼は、それ以上に聞くことは止めて女から目線を外した。女は見下すように彼を見つめるとそのままスッと消えた。
"ふふふ……"
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前の身体、つまり、開成の噂話は、しばらくしてから彼の耳に入った。開成は家庭内暴力を起こしたとのことだった。母親を椅子で殴り、怪我をさせてしまったのだという。これを聞いた彼は、自室で影の女を呼んで説明させようとした。
「お、おい、どういうことだっ!何処にいるっ!」
しかし、女は現れなかった。
「……どういう事かって聞いてるんだっ!おい、居るんだろ?もう転生はしないぞっ!」
転生を口にすると女は渋々と出て来た。
"ちっ、なんだよ。前にも言ったけど、気にしてどうするんだよ"
「ぼ、暴力を振るったって……。か、母さんを怪我をさせたと……」
"はぁ?誰の母親なのさ"
「オ、オレの……」
自分の母親だと言おうとして言葉に詰まった。開成の母親は自分の母親では無かった。
"違うだろ?"
彼は急に母親にしてもらった事を思い出した。毎朝の食事や弁当、汚れた洋服を丁寧洗っている姿、我が儘言って買ってもらった靴など、しかし、それは自分の母親ではなくなった。怒りと共に目に涙を貯えたが、自分の立場は彼女に何も出来ないことが分かって絶望した。
「……な、何でもない」
"そうだろ?……今を楽しむことだね、ひぇひぇひぇ……"
この笑い声が自分をバカにしているようにも聞こええて更に腹が立った。
「……くっ」
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翌日、彼は隣のクラスに居る開成を遠目で見つけた。かつては自分だったそれは背筋を曲げて歩いていて、明らかに別人だった。そいつは母親に暴力を振るっても学校に通っていた。かつての自分が腹立たしく、殴ってやりたかった。
一体こいつは何者なのだと思っていると、その開成と目が合った。それはニヤッとして、口元では"ありがとよ"言っていた。彼は背筋が凍った。自分であって自分では無い、彼はそれを理解出来なかった。
それからしばらくして、開成は特別な施設に預けられたと聞いた。余り詳しくは分からなかったが、暴力が収まらずどうにも出来なくなった両親がそうしたのだという話だった。
彼は自室で頭を抱えて自分は何をしていたのか分からなくなり始めていた。それを察したのか女の声が聞こえた。
"おい、今更なんだい?"他人"のことを気にしてどうする"
「う、うるさいっ!お前のせいだ、お前のせいなんだ、全てがっ!」
"変なこと言うね、私のせいにするってのかい?私は手を貸してやったかもしれないが、選んだのはお前だろう?"
「……くっ」
自分がしたことと言われて言葉に詰まったが、もはやこいつの言うことは聞かないと決めた。
「……もう転生はしないっ!か、身体はお前なんかにやるものかっ!」
"ヒャヒャヒャ……、そうかいそうかい……。だけど、これだけは言っておくよ、お前は何も悪いことはしていないのさ"
「……悪くない?な、何でだ……」
"特別な者は何をしても良いんだよ"
「と、特別?オレが特別だって?」
女が再び使った"特別"という言葉は、彼を甘い誘惑へと誘った。
"そうさ、お前は特別で凄いのさ。だから何をしても良いんだよ。自信を持つことだね。この世の理なんて気にするだけ無駄さ。好きに入れ替われ、何も問題ない、罪も無い。それだけの特別なんだよ、お前はね"
「オレは特別……、オレは何をしても良い……」
「そうだよ、誰かがお前を責めたのかい?」
「そ、それは……」
「だろ?それはお前だけの特権、お前だけの力なのさ。転生は、お前しか出来ないだろ?誰がお前を悪いって言うんだよ。お前を裁く者なんて何処にもいやしないのさ」
「そうかもしれない……」
女の言葉は彼の何かを壊した。
確かに自分の転生を知る者など何処にも居なかった。特別な自分は、法律は関係が無かった。大体、他人のことなど気にする必要が無かった。そう思うと心がスッとした。
影の女は、彼の心の声を聞くとほくそ笑んで、そのまま消えた。




