始まりの合図
その夜は、星は輝かず、風も凪いでいた。通常なら闇に沈むはず日だったが、城の庭は魔法の光によって昼のように照らされ、ウルサリオン族主催の宴が繰り広げられていた。
この宴は、ウルサリオン族のアンカが長年の交易への感謝を込めて催されたものだった。豪勢に並べられた料理は、香ばしいキノコ料理に肉の炙り焼き、キエティの街から取り寄せた魚料理まで、目にも美しく食欲をそそった。さらに、芳醇なキノコ酒や穀物の酒も惜しみなく振る舞われ、場を賑わせていた。
王は最上座に座していた。重臣や大臣、兵士たちもが満足げに料理を食し、酒を酌み交わしていた。メイドたちも忙しく立ち働き、給仕に精を出していた。しかし、その中にプリマの姿はなかった。
「わはははっ!良き夜だっ!皆、存分に楽しめっ!ウルサリオン族との絆はこれからも揺るぎないぞっ!」
王はすでに上機嫌で、アンカから酒を受け取ると豪快に呷った。
「アンカさん、今日は本当にありがとう。このような豪華なネックレスまで頂いて、感謝の言葉も尽きませんわっ!」
「いえいえ、こちらこそ。長きにわたり良い関係を築けたこと、何よりの喜びです。さぁ、王女様にもどうぞ」
「あぁ、アンカ、本当にありがとうっ!」
アンカは王女へも酒を勧めた後、静かに一歩退いて何処かへの消えていった。
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城の各所にはすでに、商人を装ったアンカの部下たちが潜み、計画の遂行に向けて静かに準備を進めていた。
城壁の警備兵たちはウルサリオン族から振る舞われた酒をあおり、すっかり酔い潰れていた。その隙をつき、警備の代理を申し出たウルサリオンの男が、ふらつく兵士の肩にそっと手を置いた。
「すまないなぁ……ウルサリオンさまぁぁ、ヒックッ……」
「いえいえ、構いませんよ。どうぞ庭へ行って、食事も召し上がってください。美味しい酒もございますよ」
「ありがとよぉ……。よぉぉしぃぃ、お前らも行くぞぉ……」
警備兵の長が部下たちを引き連れ、千鳥足で庭へ向かった。
その様子を確認したウルサリオンの者たちは、互いに無言で頷くと、それぞれの持ち場へと静かに散っていった。
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アンカは他の重臣たちにも酒をつぎながらそっとその場から離れながら、城の裏手に潜む部下へ静かに視線を送ると、その一人が静かに動き出した。
これから起こることを想像し、アンカの唇には薄い笑みが浮かんだ。
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一方、城下町も祭りの熱気に包まれていた。街の入口から城へ続く大通りには露店が立ち並び、賑やかな灯りが昼間のように道を照らしていた。人々は酒を酌み交わし、香ばしい料理の匂いに誘われながら饗宴を楽しんでいた。
祭りの賑わいの中、親子は露店で香ばしく焼かれた魚の串焼きを手にすると、ほくほくと湯気を立てるそれを大切そうに抱えながら、自分たちの住まいへと歩みを進めていた。表通りから一つ後ろの路地に入るとそこは静かで暗くなった。
「このお魚、美味しいねっ!」
「そうだね、お父さんの分も買っておいて良かったね」
「うんっ」
二人の声が静かな路地に響いたその時、凪の日だったはずなのに風が吹き始めた。少女はその風で揺れた髪の毛を空いた手の方で押さえた。
「お母さん、風が吹いてきた~」
「えっ?風?あら、本当。今日は凪の日だと思っていたのに不思議ね」
少女にはその風の音に紛れてノラ魔族の遠吠えも聞こえた。
「遠吠えも聞こえるね~っ!うぉぉんだってぇっ!」
「そう?私には聞こえないけど……」
「聞こえるよぉ~。うぉぉぉん、うぉぉぉん、あははっ」
「さぁ、それよりも早く家に帰ってお父さんを迎えないとねっ」
「うんっ!」
二人が家路に急ぐとうっすらと煙が漂い始めた。それはまるで肉を焼く香ばしい煙のように思われた。
「クンクン……変な匂いもしてきたよ」
「本当ね、露店で売っているお肉の……」
少女は、話していた母の言葉が途中で途切れ、握っていたはずの手もふいに離れたことに気づき、何が起こったのかと戸惑いながら振り返った。
「……あれ?お母さん……?」
しかし、いるはずの母親に代わって、そこに立っていたのは大きなナタを持ったノラ魔族――ブラッドウッド・ウォーデンだった。
「あ……」
少女の母はすでに絶命していた。
それの持つナタによって断たれた首が転がり、かすかに揺れていた。傍らには父のために買った串焼きとまだ食べかけのそれが無造作に落ちていた。滴る鮮血が串焼きに混ざると、ブラッドウッド・ウォーデンは無言で手を伸ばし、血の染みた串焼きを一口で食べ、静かに少女を見つめた。
「あ、あぁ……」
始めて見たノラ魔族に少女は立ち尽くして震えて動けなくなり、次の瞬間、ナタが振るわれた。




