密室
ウルサリオン族の長であるアンカがキエティの町と交流を始めて、地球時間に換算するとすでに十数年が経過していた。はじめは単なる商売仲だったが、長年にわたり家族ぐるみの付き合いを続けてきたことで、互いに深い敬意を抱くようになっていた。アンカは政治力に長けたキエティを尊敬し、キエティは商才に秀でたアンカを認めていた。
この日、二人はウルサリオン族の街の飲み屋にある密室で、昼から酒を酌み交わしながら過ごしていた。アンカはキノコ酒を一気に飲み干すと、無造作に手酌で杯を満たし、酒瓶が空になると、それを豪快に遠くへと放り投げた。
「しっかし、あんたはよくやってたよ。一度は王女になったんだからね」
「ふふふっ、王女ねぇ。遠い昔の話だよ。バカな事をしたもんさ」
「だけど、ガキの頃よりは良かったろ?」
「そうだね。あん時よりは、ね」
キエティは静かに目を閉じた。追いやったはずの記憶が、抗いようもなく蘇った。
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キエティの母親は娼婦であり、彼女自身も父親の正体を知ることはなかった。
幼い頃から遊郭で娼婦たちの世話をしながら暮らしていたが、ある日、母親が流行病で命を落としたことで状況が一変した。もはや遊郭にキエティを養う理由はなくなり、彼女は城のメイドとして、まるで不要な荷物のように売られることとなった。
城のメイドたちは彼女に優しく接したが、女一人で生きていくことの過酷さを知っていたキエティは、生き抜くために己の身体を武器とすることを厭わなかった。そして、まず最初に狙うべき標的として、王を籠絡する計画を立てた。
彼女は薄い衣をまとい、王の身の回りの世話をする傍ら、愛らしい女を装った。血気盛んな王は、妻がいるにもかかわらず、すぐに彼女を自らのものとした。
やがて王の子を産み、第一王女の地位を手に入れた。しかし、元の王妃が子を授かったことで立場は急転し、ただの妾へと転落。最後には流刑を命じられ、何もない辺境の村へと追いやられることとなった。
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キエティは、過去を振り返りながら、ただ苦笑するしかなかった。ゆっくりと目を開けると、アンカと飲む時だけ吸うタバコに火を点け、静かに煙をくゆらせた。
「くだらない過去……。でも今は女神よ?……ぷっ!自分で言ってて笑っちゃうっ!!」
「それそれ!あんたが女神ってのが笑えるっ!」
「ほんとにっ!」
キエティはタバコを吸え終えると、吸い殻を酒の残っているコップに捨てて火を消した。
「はぁ~、だけどさ、あんたも苦労したんだろ?」
「苦労ってか、ただの盗人だったしね、あははははっ!」
アンカは、馬鹿笑いをしながら天井を見上げ、遠い過去の記憶を蘇らせた。
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アンカは貧しい家庭に生まれ、幼い頃から飢えに苦しんでいた。その過酷な暮らしの中で、彼女は生き延びるために、自然と盗みを覚えていった。
しかし、そんな日々が長く続くはずもなく、ある日、盗みが露見し、街を追われて戻ることができなくなった。仕方なく街を離れ、空腹のまま歩き続けて疲れ果てた頃、彼女は森の中で果物を見つけた。その実に毒があるかどうかなど考えもせず、飢えに駆られるまま貪るように食べた。
腹が満たされ、ぼんやりとその果実を眺めているうちに、これは街では見たことのない珍しい果物だと気づいた。もしかすると売れるかもしれない――そう考えた彼女は、いくつかの果実を上着で包み込み、かつて住んでいた町へ戻ることを決めた。
捕まるのではないかという不安を抱えながらも、道端に果物を並べて売ってみると、意外にも高値で売れた。調子に乗った彼女は、得た金で大きなかごを買い、さらに果物を集めて売ることを繰り返した。
そんな彼女の商売が軌道に乗るにつれ、同じように貧困にあえぐ者たちが絡んできて、金を巻き上げようとした。しかし、アンカは逆に彼らを仲間として引き入れ、商売の共同体へと変えてしまった。
その後も珍しい果物を探し続けて売りさばいた彼女は、ついにはこの街の主へと成り上がるのだった。
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仕事を通して知り合った二人だったが、苦労を重ねた二人はすぐに意気投合した。
「アンカ、息が臭いよっ!」
「お前もだよっ!」
「あははははっ!」
「ギャハハハッ!」
「ところでさ……」
キエティは豪快な笑いを収めるとついに本題を切り出した。アンカは、やっと来たかと思った。急に酒を飲もうと言い出した時点で、何かあると踏んでいた。
「……なんだい?」
「例の計画を実行する時が来たんだよ」
「……そうか。随分待たせたじゃないか」
「悪かったね」
「あれも出来たのかい?」
「当たり前じゃないか」
「そうか……ククク……」
「ふふふっ」
二人は立ち上がると、そのまま密室を後にした。外で待機していたそれぞれの部下に、まるで酒など口にしていなかったかのように淡々と指示を下した。




