播口探偵事務所 二度目の予告状
片野誠が働く播口探偵事務所に届いた赤い封書。それは二十五年前に起きた未解決連続猟奇殺人事件の犯人と名乗る人物からの予告状だった。やがてそれが本物であると証明するかのように、当時の関係者が一人づつ不審な死を遂げていく。誠は過去の事件の生き残りでもある探偵事務所所長の播口と共に、事件の真相を解き明かすべく「例の場所」へと足を踏み入れる──勝てば一攫千金、負ければ転落死!?
生死を賭けた探偵ミステリー。
最初は、誰もが悪質ないたずらだと思った。
二十五年前に騒がれていた未解決連続猟奇殺人事件の犯人と名乗る人物から、マスコミ各社へ封書が届いたのだ。
従来ならばまもなく時効を迎える事件。
しかし制度改正により時効は廃止され、『殺人罪についてはどれだけ時間が経過しても犯人を処罰できるようになった』と新聞が一面で報じた矢先のことだった。
警視庁にひっそりと対策本部が開設されるやいなや、ここぞとばかりに「すわ迷宮入り事件の再来か」と各メディアがこぞって特別番組や特集を組みだした。
夕方五時から始まる地方ニュースもこの話題で持ちきりだ。
事件の振り返りVTRを何度もCMを挟みながら流し、『まさかの新展開が!?』というお決まりのテロップと共に司会者と数人のコメンテーターが沈痛な面持ちで並ぶスタジオへと画面が切り変わる。
スタジオ中央には、十億円の宝石もかくやと言わんばかりに厳重に保管された赤い封筒。
出演者の間であらかた言葉が交わされたところで、司会者が足を踏み出した。白い手袋をはめ、ケースの鍵を外す。そしてテレビ局の住所が印刷された封筒から白い紙を取り出した──のを見て、片野誠は大きなため息をついた。
先日から同じような番組ばかりだ。
ソファから立ち上がり周辺をぐるりと見渡す。家具の少ない殺風景な部屋である。探偵事務所と銘打つ小さな部屋にあるものといえば、たった今立ち上がった応接用のソファとテーブル、備え付けの戸棚、そして椅子のない大きな事務机くらいだ。
壁際に移動し、小さな窓を開けた。爽やかな風に前髪をなびかせながらぼんやりと外を眺める。
さて、今日は何をしようか。
たまにはカーペットでも洗って干してみるか、と考えていたところに「ただいま帰りました」と聞きなれた声が聞こえた。
播口秀明。
播口探偵事務所の主、その人である。
事務所の奥へと通じる扉から車椅子で現れた彼は、骨と皮だけの細い右手で器用にレバーを動かし大きな事務机の前にぴたりと付いた。
「私の留守中に何か変わったことはありましたか?」
「いや別に……あ、そういえば」誠は応接テーブルへと腕を伸ばした。置きっぱなしになっていたチラシの山の中から『播口探偵事務所 御中』と書かれた赤い封書を摘まみ上げる。
「手紙がきてた。開けても良い?」
「もちろんです。テレビと変わりは?」
ざっと中身に目を通して首を横に振り、便せんと封筒を重ねて播口の膝の上に押しつけた。
端的に言えば『明日の午後五時、例のスクランブル交差点に来い』という内容の事を長ったらしく書いてあるだけだ。
もはやそらで言えるほど聞かされた内容だった。
「こんな田舎の私立探偵事務所にまで送ってくるなんて。よっぽど目立ちたいんだな」
「律義だと言っておきましょう。それにしても誠くんは本当に運が良い。いや、今回は鉢合わせないように相手の方が気を使ってくれたのでしょうか」
播口の意味ありげな物言いに、誠はちらりと住所が書かれていない封筒を見た。
思わずチベットスナギツネのような顔をしてしまったのは許してほしい。
「……僕、もう帰っていい?」
「まだ勤務時間は終わっていませんよ」
「マジかよ……」
無駄だとは薄々感じつつ、とりあえず「防犯カメラは?」と聞いてみる。
「解析は牧に任せましょう。まあ大した情報は出ないと思いますが。ああ、そういえば先程こちらを頂きましてね。ご一緒にいかがですか」
播口が何処からともなくクッキー缶を取り出した。
青い缶に見覚えがある。有名高級メーカーの贈答品だ。
「でも犯人じゃないにしろ、誰かしらここに来たんだろ? 何か映ってるかもしれないじゃないか」
「当時の警察とこの私が本気で探しても終ぞ捕まえられなかった相手です。たかが予告状一枚届けるだけで尻尾を掴まれるようなボンクラではありませんよ。そんな余分な労力を使うより、明日、指定の場所に行ったほうが早くて確実です」
カパリと蓋を開け薄紙を外す。ふわりと香ばしい香りが漂い、播口の落ち窪んだ瞳が少しだけ綻んだ気がした。
はぁ、と生返事をしながら、誠は差し出された缶の中からアーモンドクッキーを選んで口に放り込んだ。ここでしか嗜好品など口に入らない。今週もあと三百円で耐え忍ばなければ大家に土下座という苦行が待ち受けているのだ。
「世の中そう上手くはいかないよなぁ……あ、このクッキー美味しいね。もう一枚ちょうだい」
「どうぞ。いくらでも」播口はクッキー缶を机に置き、わざとらしく首をひねった。「それにしても随分余裕ですね」
誠が伸ばしかけた指を引っ込め顔を上げる。
「えっ掃除以外に何かやることあった?」
「明日例の場所に行くのは誠くん、あなたですよ」
鈍い音が響いた。
脛を机に全力でぶつけた音である。
「痛っっっ……いや、いやいやいや、なんでだよ! そんなの契約に含まれてない!」
涙目になりながら雇い主を睨みつける。
「わざわざ予告状を届けてくれたんです。まともに歩けない私はともかく、代わりの者すら出せないとなれば探偵事務所の矜恃に関わります」
「だからって、なんで僕!? 牧さんの方が僕より年上だし頭だっていいじゃんか!」
それよりなんといっても正社員である。時給換算のしがないアルバイトより体を張ってもらってしかるべしだ。
そんな誠の脳内を覗き見たかのように、播口は薄く笑い人差し指を立てた。
「一億円です」
「は?」
「私の代わりに犯人を捕まえることが出来れば一億円が手に入る、と言われたらどうしますか」
あまりにも予想外の展開に誠の呼吸が一瞬止まった。
「ちょ、ちょっと待って、いきなりそんな事言われても」
「犯人を捕まえる、もしくは事件解決した時点で譲渡します。犯人の生死、捕らえるまでの期限は問いません。もちろん、私と牧が後方からサポートだってしますよ」
播口はバニラクッキーをひょいと摘まみ上げ、誠に向かって差し出した。「悪い条件ではないでしょう?」
差し出された甘いお菓子と播口を見比べる。
耳に痛い沈黙が二人の間に漂う。
やがて額に張り付いた前髪を手の甲でぬぐい、誠が小さく呟いた。
「……僕が不正するとは思わないの?」
適当に調査するフリをして、警察が事件が解決したところで『実は自分が解決しました』などと言い出すことだって出来るのだ。
誠の真剣な表情に、播口は堪らずといったように笑い声を上げた。
「そんなことができるなら、毎日せっせと来もしない依頼人のために事務所の掃除や雑用なんてしませんよ」
播口は目を細め、誠の口に無理やりクッキーを押し込んだ。
「もがっ」
「私は君を信用している、という事です。……ところで焼き菓子は美味しいのですが口が渇きますね。そう思いませんか? 誠くん」
なぜだか癪に障る。
誠が眉間に皺を寄せクッキーを噛み砕くと、ふいにざわめきが耳に入った。
テレビだ。そういえば付けっぱなしだったなと顔を向ける。
その先にはここ数日で見慣れた風景があった。
「これって例の交差点?」
不貞腐れついでにソファーへと再び腰を下ろす。
「そのようです。緊急生中継とは珍しい」
「何かあったのかな」
日本で最も交通量が多いといわれるスクランブル交差点の一角。
巨大なテレビが取り付けられたビルの屋上に、ひとりの男がいた。カメラはこの男を追っているようだ。立ち入り禁止のはずの柵を乗りこえ、何かから逃げるように必死で移動している。
ビルの下では警察車両が交差点周辺の道路を封鎖しようとしていた。
しかし野次馬は減りそうもない。皆一様にスマートフォンをビルの屋上に向けている。
その時アナウンサーが驚いたような声を上げた。
男性が懐から赤い何かを取り出し、空に向かってばらまいたのだ。封筒だ。
皆の視線が男から逸れた。その瞬間。
──男が空を舞った。
複数の甲高い悲鳴と共にカメラが大きく揺れ、ブラックアウト。画面が突然スタジオへと切り替わり、ぽかんとしたコメンテーターの顔が大きく映った。
きっと今、自分も同じ顔をしているのだろう。
誠はぎこちなく首を捻り、救いを求めるように口を開いた。
「……なに、いまの」
短い思案の後、播口が答える。
「忠告といったところでしょう。この予告状は本物である、とアピールしてみせたわけです。本命が明日の午後五時なのは変わりません」
播口はどこからか取り出した缶コーヒーを旨そうに一口すすり、ゆっくりと息を吐いた。
「二十五年前の事件の生き残りの一人として、今回は絶対に負ける訳にはいかないんです」
暗い瞳が鋭い光を灯し、震える青年をひたと見据える。
「協力してくれますね? 誠くん」
誠の瞳が揺らぎ、ゴクリと息を飲んた。





