悪魔は恋と言う名の秘密を語る
教師である藤木湊は、自分の担当するクラスの生徒である彩峰紗世から告白される。
教師と生徒という禁断の関係に危惧した湊は彼女が卒業するまでその告白を待ってほしいと返す。
しかし、その答えに秘められていた意図を彼女に突き止められてしまう。
秘密という弱みを握った彼女は自分だけが秘密を知っているのは不公平であるとし、自分が湊を好きと証明するために、自らの秘密を打ち明け始めるのであった。
「ここしか空いてなかったんだが……。ここでいいかい? 彩峰」
藤木湊は机で向かい合うように俯いたまま座る女生徒に優しく話しかける。
彼女の名前は彩峰紗世。湊が担当するクラスの生徒の一人である。
彼女は湊の質問に無言で頷いた。
彩峰紗世は湊が担当するクラスの中では問題がある生徒ではない。
むしろ扱いやすい生徒というのが湊にとっての彼女のイメージだ。品行方正、成績優秀であり友人関係にも取り立てて目につくような問題はないとあらゆる面で実に優秀な生徒だ。
そんな彼女が自分にどうしても相談したいことがあると話しかけてきたのは朝のホームルームの時間でのことだった。
一通りの授業が済んだ後の放課後にその相談に乗るということで彼女の了解を得て、今の時間に二人は学校内にあるカウンセリングルームを使うことにしたのである。
「しかし、僕で良かったのかい? 彩峰」
「いえ……。先生に話を聞いてほしいので」
彼女はうつむきながらそう答えた。
生徒の悩みにしっかりと対応するのも担任の先生である自分の役目である。
だが、相手は思春期の女子高生。
大人で異性である自分が対応してあげられることにも限度がある。だからこそ、この学校では非常勤職員ではあるが専門のカウンセラーを雇っている。
生徒へのカウンセリングは非常に大事だ。思春期の女子高生ともなればいろいろな面で心に負担がかかる子も多い。
そのカウンセラーが来るのは明後日の金曜日であることを考えればそこまで放置して待つわけにも行かなかった。
もちろんカウンセラーがいると言うだけで学校内のトラブルが完全に解決するかと言われるとそんな簡単な話ではない。
担任しているクラスの全ての生徒の悩み事を完璧に解決できるわけではないなどというのは湊だってよく理解しているし、そこまでうぬぼれたつもりはない。
でも自分のできる範囲でなんとかしてあげたい気持ちは自分にだってあると思っている。
「で……相談ってなんだ? 彩峰」
「えっと……その……」
彩峰はうつむいて話をしようとしない。
なにか気がかりなことがあるのだろうか。そう思っているとようやく彼女が話し始めた。
「あの……先生。録音の方は……?」
「ああ、それなら君に言われた通りにきってある。だから安心してくれ」
このカウンセリングルームには録音装置とカメラが付いている。
カウンセリングが適切に行われているかなどを後で調べることになったときの対策である。
ここでなにかトラブルが起きたときにそれらは明確な証拠となるからだ。
今回ここを使用すると彩峰に言ったところ、録音装置に関しては切ってほしいと頼まれたのだ。
本来、録音装置の電源を切ることは禁止されているのだが、ほかならぬ生徒の頼みごとであったこと、そしてこれが正規のカウンセリング行為ではないと言う理由で電源を切ったのである。
「そうですか……ありがとうございます」
「落ち着いたらで構わない。ゆっくりとでいいから話してくれ」
ふと時計を見るとまだ昼の三時を回ったばかりだったので、湊としても時間に余裕があった。
勿論他に仕事がないわけではないが、彩峰の相談に乗るためカウンセリングルームを使わせてもらうことを報告したところ、そちらを優先していいと言われたのだ。
まぁ自分の仕事を誰かがやってくれるわけではないが、副担任の先生もいるし、なによりも担任クラスの生徒へのフォローというのも大事な仕事である。
「こんなことを言っても先生が困るだけで言うべきではないと分かってはいるんです」
うつむいていた彼女は顔を上げまじまじと湊を見つめる。
その細長くもキリッとした瞳は非常に美しく、彼女の容姿に実に似合っていた。何処か陰鬱さを感じさせつつも何処までも吸い込まれていきそうな深みがある。
湊も思わず彼女を見つめられ続けてゴクリと喉が鳴った。
「私……先生のことが好きなんです」
ゆっくりとでもはっきりとした声で発せられた彼女のその言葉はこの部屋の時間を一瞬止めたかのように感じさせた。
生徒からの自分への愛の告白。
しかも、自分が担当するクラスの生徒の中で最も優秀で美しい子からの告白。それは湊にとって驚きつつも嬉しい言葉であった。
「気持ちはとても嬉しい。でも……」
湊は彼女の顔を見続けることができずに、一旦顔を背ける。だが、それは教師の態度としてふさわしくないと思い、再度彼女の顔の方へ自分の顔を向け言葉を続けた。
「僕は君の思いに応えることができない」
「それは私が先生の生徒だからですか?」
彩峰は湊の言葉にすかさず言葉を返す。
「……そう思ってもらっていい」
生徒と教師との恋愛関係。創作物において禁断の愛の一つとして描かれるそれは現実においても禁断だ。現実のほうが処罰として重いと言えるかもしれない。
湊としてもこのような形で生徒からの思いに応えられないのは辛い。
彩峰は今ですら十分な美少女であり、このまま成長すればきっと美人になるだろう。
もし自分が彼女と同じただの同級生であったならば。自分は喜んで受け入れていたに違いない。
沈黙が二人の間を支配する。
まるで時間が止まったかのように思える雰囲気を壁に掛けられた時計の針の音だけがそれを否定するかのように小さな音を立て続けていた。
「彩峰。一つ提案がある」
沈黙に耐えきれなかったのは湊の方だった。それは彼なりの彼女からの告白への一つの妥協点のつもりだった。
「君がこの学校を卒業するまで、その告白を待ってもらえないかな? 君が卒業した後、まだ僕へのその気持ちが続いていれば改めて教えてほしい」
そう、生徒と教師の関係だからダメなのだ。
もちろん、卒業したばかりの生徒とすぐに恋愛関係になるというのも印象として良くないといえばその通りだ。だがそれならばどうとでも言い訳をつけることはできる。
彩峰は湊を見ながら一言も発しなかった。
自分でもなんて都合のいい言い訳だと思う。だが論理として彼女なら納得してもらえると思っていた。
「ふふっ」
「彩峰?」
そんな彼女の口から漏れたのはほんの僅かな笑い声だった。
「先生。先生ってずるいですよね」
一瞬、彼女から発せられた言葉が理解できなかった。
「――ずるいってどういう意味だい?」
教師相手に使うべきではない言葉遣いを注意しようと思った湊は彼女の指摘しようとするが、彼女の方が早かった。
「だって私が卒業するまで待っていたら。先生、結婚しちゃうじゃないですか」
――なぜ君がそれを知っている!?
その言葉が口から出そうになったが、もしかしたら彼女のブラフかもしれないと思い直し冷静を装う。
「な、何の話かな」
「先生。嘘ってダメだと思うんですよ」
彼女の口調は淡々としているがいつの間にやら湊から主導権を奪い始めていた。
「校長先生の娘さんとの結婚の話はどこまで進んだんですか?」
続く彼女の言葉に今度こそ言い逃れはできなかった。
「どうして……君がそれを知っている」
その話が出たのは二週間前の話だ。知っているのは校長を筆頭にして極僅かしかいないはずだった。生徒たちが知っているはずのない情報だ。
「そういう話ってどっかから漏れるんですよ?」
彩峰は表情を変える事なく言葉を続ける。
「もしかして……先生は私が卒業するまで待っていれば私の気持ちが変わるとでも思ってたんじゃないですか?」
彩峰の言葉は湊の思惑をものの見事に当てていた。
相手は精神的に若い女子高生。彼女が卒業するまでの一年半という猶予がありそれは彼女の気持ちを変えるには十分な時間だ。
彼女が自分に向けている感情は自分の身の回りにはいない大人の男性への憧れ。言ってしまえば一瞬の気の迷いなのだと思っていたからだった。
「そういうつもりじゃなかったんだ……。すまない」
ただ謝ることしかできなかった。
目の前にいる自分の教え子の思いを弄んだと言っても良い言動だった以上そう謝るしかない。
一方でこれで自分への気持ちも萎えてしまうのではないかというどこか安堵した気持ちもあった。
「実は嬉しいんです。先生が嘘をついてくれて」
彼女の言葉の意味が今度こそわからなかった。
嘘をつかれて嬉しいなどという人が世の中にいるというのか。
「私は先生の秘密を知っている。先生が結婚することや、先生が生徒に嘘をつくような悪い人だってことも。それが嬉しいんですよ」
彼女は笑みを浮かべていた。
それは今まで自分が知っている彼女の優しい表情というよりはまるで小悪魔が悪巧みを企んでいるかのような印象を受けた。
「でも私は本当にそんなあなたのことが好きなんです」
まるでゲームに登場するヤンデレのヒロインが言うかのような言葉遣いに湊も一瞬嫌なものを感じる。
「だから先生に。私の秘密を教えますね。じゃないと不公平ですから」
そんなものを知る必要はないと言いたいところではあるが、自分には彼女の思いを受け止める責務がある。そう思った湊は覚悟を決め息を吐きだす。
「わかった。聞くよ」
彼女がその返答に先程とは異なる優しい笑みを浮かべる。その表情は彼女の美しさを最も綺麗に表現していると思った。だがその表情から発せられた言葉は今までの彼女の言葉の中で最も不適切であり意味のわからないものだった。
「私は先生が思っているような良い子じゃありません。先生と同じ悪い子なんです。先生から見て……私は今までに何人の人を殺したようにみえますか?」





