ドラゴンが騎士~狡猾公と善竜王~
むかしむかし、世の中が野蛮で、神秘が残っていたころの話。
ただの騎士でしかない男と、世界で最後のドラゴンが出会った。
騎士の望みは己の国。
ドラゴンの望みは生き延びる事。
ながぐつの形の半島で、一人と一匹は互いの夢を追いかける。
これはむかしむかし、ながぐつ形の半島であったかもしれない話。
晴れ渡った青空の下、叫びと血しぶきが上がった。
打ち振られた剣が相手の肌を断ち、別の誰かが振るう盾が、対手を地面に打ち倒す。
むき出しの大地の上、剣と盾を構えた者たちがぶつかり合い、武勇を競う。
そんな彼らを囲う柵の向こうに、見物人が群がり歓声を上げていた。
「山賊稼業から足を洗ったと思えば、今度は暇つぶしの剣闘興行ですか」
喧騒から離れた場所に、建てられた天幕。
出口近くに立ち、忌々しそうに争いを評したのは、栗色の髪の青年だ。
戦い合う戦士たちとは対照的な、痩せて肉のない繊細な姿。顔は整っているが、目つきは鋭く、全てを嫌悪するようにしかめられていた。
「これは勇士の選抜だ。『聖地奪還』を共にする、聖徳の同志を募るためのな」
天幕の奥に座った、もう一人の青年が心底楽しそうに答える。
暗がりの中で姿は見えないが、外の光を受けた青い瞳がギラギラと輝いている。
「何が同志ですか。金貨千枚の賞金に群がる食い詰め共に、聖も徳もありませんよ」
「不信心者め。少なくとも、俺は本心から、聖なる使命を果たそうと呼び掛けたつもりだぞ?」
「大会の資金が、修道院から奪った物でなければ、髪の毛の先ぐらいは信じたかも知れませんね」
毎度同じ調子、愛想の欠片もない返答だ。
こっちの気持ちなどお見通し、すべて分かっているという顔。
だからこそ、こいつにもっと嫌な顔をさせたくなる。
「アレはただの徴税だ。兄上の領内で安穏としながら、上りの一つもよこさない連中に、天罰をくれたまでのこと」
「なるほど、さすがは"狡猾公"。大した詭弁です」
あざけりのような感情と共に、吐き捨てられた言葉。
青年は驚き、快活に笑った。
「領地も領民も持たない俺に"公"とは、えらく買ってくれた奴がいるな」
「嫌味ですよ。態度だけは一国の主、その振る舞いはずる賢い狐。ゆえに"狡猾公"」
「それはいいな。それなら俺は、これから"狡猾公"だ」
闘技場はすでに静まっている。
己の足で立っている者はごくわずか、この辺りが潮時だ。
彼は、天幕の外に出た。
「そこまでだ勇士たちよ! よくぞ戦い、よくぞ残った!」
降る日の光を浴びて、青い目の青年の神が、黄金に光り輝く。
その体躯は鍛え上げられ、引き締まった偉丈夫そのものだ。
銀髪の青年が繊細な美しさであるなら、彼は剛毅なる美と言えた。
その口元にどう猛な笑みを浮かべて、ねぎらいの言葉を続けた。
「貴様らの武勇、しかと見届けた。この大会は」
「まってください! ちょっと待って!」
誰の声だ。
聞き覚えのない、どこか幼い感じの声。
辺りを見回す。
木の柵に群がるやじ馬の中に、声の主はいない。
闘技場の中心に立つ者も、不思議そうにあたりを見回していた。
「その試合、まだ終わりにしないで!」
「誰だ!? どこにいる!?」
「ここです! 今から降ります!」
今から降りる。
その言葉に、空を振り仰ぐ。
「あ」
それを見た、全ての者たちが、同じ声を上げた。
何かが降りてくる。
羽ばたき、風を巻き起こしながら。
そして、盛大な騒音を立てて、剣士たちを吹き飛ばしつつ、姿を現した。
「は、初めまして! ここで、剣闘大会をやってるって聞いて、参加しに来ました!」
大雑把に見れば、それは人に似ていた。
手足や首、目の数、両足で大地を踏む姿勢は、人に通するだろう。
しかし、その背には大きな翼、その腰からは大きな尻尾が垂れている。
体は大きく、視線は青年の目よりも頭一つ高い位置にあり、夕日のような深紅を湛えた鱗の肌が、妙にくっきり見えた。
その姿に覚えはあった。
ドラゴン、今や山野から姿を消した、騎士の仇敵。
「確かに――俺は近郷近在の勇士を、あまねく募るとは言った」
誰一人固まって動けない中、青年は言い放った。
「だが、貴様のような人外が来るとは思わなかったぞ、赤き竜よ」
「お触れの人は、人じゃないとダメとは、言ってませんでした」
見つめ返す竜の目が、大きく見開かれた。
それから、几帳面に一言一句、大会の触れを口にした。
「『腕に自信のある者は来たれ、野に埋もれた士は来たれ。身分出自に関わらず、その武を示したものは、我が配下として遇するものなり』……ですよね?」
「それで、その恰好か」
竜のいでたちを見て、彼は笑った。
手足や胸に身に付けられた、寸法の合わない鎧一式。錆が浮き、ろくに手入れもされていないそれを、草の蔓や動物の皮で、無理やり括りつけている。
「その……思った以上に、着るのに時間がかかっちゃって……」
「そういえば貴様、なぜ騎士になりたがる。その理由は?」
「長生きしたいからです!」
ドラゴンは目をひらき、元気よく言い放った。
「ただのドラゴンは、狩られる側です。でも、騎士として認められれば、そうはならないと思いました」
「騎士なら戦に出ることもある。貴様を狙って、決闘を仕掛ける者もあるかもしれん」
「でも、獣を狩るように殺されるより、はるかにマシです!」
面白い。
言っていることは無茶苦茶で、破綻している。
人などは獣だ。
この純朴そうな人外が思う以上に、我らは悪辣で非道ないきものだ。
どんな身分を得ようが、結局は獣のように狩り殺さるかもしれぬ。
それでも、こいつの願いは面白い。
「いいだろう。貴様を召し抱えよう」
「いいんですか!?」
「貴様が突き転がした連中も、起きてこないようだ。武勇を示したと認めよう」
驚きが、大気を洗った。
天幕の中で再燃する怒りと、周囲の奇異の視線を心地よく感じながら、青年は告げた。
「とはいえ、いきなり騎士身分にはできん。まずは俺の従卒とする、いいな」
「はい! ありがとうございます!」
「貴様、名前はあるか?」
無ければ俺が適当に付けてやろう。
そんな思惑をすり抜けて、赤い鱗のドラゴンは告げた。
「ウィータです」
「なるほど、vitaか。言い得て妙な名だ」
「えっと、それで、貴方のお名前は?」
なんという愚かな奴。
自分が仕える者の、名前さえも知らずに来たとは。
「俺はロベール。オートヴィルの六男にして、ただの騎士でしかない者」
そして彼は笑った。
何もかも、面白くなってきたと。
「市井の輩は、俺を『狡猾な者』と呼ぶ、よく覚えておけ」





