キミがとっても美味しそうだったから
僕は彼女に告白された。美味しそうだと告白された。
告白。
こと青春において『告白』ほどの一大イベントは存在しないだろう。
そんなことを言うと『おいおいなんだ、お前は青春とは恋愛だけで構成されているものだとでも思っているのか』と憤慨する方々が一定数いることも知っているので――というか僕がそうだ――先にここで訂正させてほしい。
そもそも告白とは別に『好きだと言う』ことだけではないはずだ。
『自分の思いの丈を吐露する』のが告白であり、『好きだと言う』ことは、その一部に過ぎないはずだ。
だから。
「お願い、もう我慢できないんだ」
潤んだ目で僕を見つめながら、震える声で言う彼女のこれも、きっと告白なのだろう。
「キミが、悪いんだよ」
ベッドの上で、上半身を持ちあげるようにして座っている僕の胸に、彼女は手を添える。
バクバクと跳ねあがる心臓の鼓動が、彼女の手から伝わってしまいそうだと思った。
「私を誘う、キミが悪いんだ」
僕の脚を挟み込むように、彼女はベッドの上に膝をつく。
バクバク。バクバク。バクバク。バクバク。
忙しくはしる車のエンジン音も。
電車が通り過ぎる踏切の風を切る音も。
遠くから聞こえる下校の笑い声も。
学校中に散らばる吹奏楽部のトランペットの音も。
心臓の音で全部かき消されてしまう。
彼女の潤んだ黒い目が、火照っている頬が、生温い吐息が、僕の血がついた舌が、ギザギザとした歯が。
全部、全部、全部、全部。
僕に向けられている。
目を離すことができなかった。
恐かったからではない。
奇妙だと思ったからでもない。
綺麗だと――思ったからだ。
彼女のそれが、とても、綺麗だと思ってしまったから。
「キミが、とっても美味しそうなのが悪いんだ――――」
そう言って。
彼女は爛々と目を輝かせて、抱きつくようにしながら、僕にギザギザの歯を突きたてた。
保健室のベッドの上。
二人重なるようにして。
僕は『食欲』を告白された。
***
こと教室という場所は、思いの外、音がよく響く。
授業中だというのにひそひそと喋る声。
白板に文字を書く音。
それをノートに写す音。
間違えたから消しゴムで消す音。
教科書をめくる音。
そういう音が、よく響く。
友達からはよく「気にしすぎじゃあないか?」と言われるのだけれども、僕はそんな音が気になってしかたない。一際目立つ音がしたら、思わず音の方を向いて、音の原因がなんなのか確認しないと気が済まない。
だから。
かつん、と。
なにかが床に落ちた音がしたとき、僕は音の方に視線を向けてしまった。
それは、軽くて固いものが落ちた音であった。
周りのクラスメイトは、聞こえていないのか、はたまた気にしていないのか、視線は白板であったり、隣の席だったり、後ろの席に向けられている。
音がしたのは、僕の席の前からだった。
体を少し前に倒して、床を覗く。
そこには、三角形のものが落ちていた。
プラスチックみたいな光沢で、縦に長い三角形。辺はまるでノコギリみたいにギザギザしていて、肉を切るのに適していそうだ。
というか、サメの歯だった。
どうしてサメの歯がこんなところに?
僕は前の席を見やる。
そこには女の子が座っている。
魚交桐佳。
気怠げな目をしていて、どういうわけか、いつもマスクをしている。
腰まで伸びた黒髪。後頭部で一房だけ、ちょんと結んでいる。まるで背鰭のようだ。
その後ろ姿はサメの歯を見たあとだとなんだか、サメを上から見下ろしているような、そんな気分になる。
彼女が落としたのだろうか。
拾う素振りもなく、授業は進み、しばらくしてチャイムが鳴った。
魚交さんはふらりと立ち上がると、サメの歯を拾うことなく、そのまま教室の外へと出て行ってしまった。
そのまま気づくまで置いておいても良かったのだけれども、これはチャンスだと僕は思った。
恥ずかしながら、僕は魚交さんのことが好きなのである。
クラスが同じになった当初は、ずっとマスクをしている変な女子がいる。と思っていた程度だったのだが、席が前と後ろになって、プリントを後ろに渡すべく、魚交さんが振り向いたとき、僕は初めて彼女と目が合った。
気怠そうな、のんのんとした瞳。
それはまるで、海底まで覗けるほど透き通っている海みたいで、僕はしばらくプリントを手に取ることすら忘れてしまった。
ぽかん。と口を開けて茫然としている僕を、魚交さんは不思議そうな顔で見ながら、プリントをひらひら揺らしていたことを覚えている。
思えばあの日から、僕は彼女のことを自然と目で追うようになっていた。
そんな彼女がものを落として、それに気づいていない。
盗むチャンスでは!? 彼女の所有物を手にするチャンスなのでは!?
……なんていう戯言はともかく。これを渡すついでに、話しかけるチャンスではある。
きっかけがなければ、人に話しかけることができない僕である。
早速、サメの歯を拾うと、教室の外に出ていった魚交さんを追いかける。
「魚交さん」
彼女は、ひとけのない廊下をふらぁふらぁ。と歩いていた。
声をかけると、背鰭みたいな髪の毛の房がひょこりと揺れた。ゆっくりと振り返る。
のんのんとした瞳に僕がうつる。いつも通り、鼻まで隠れるマスクをつけていて、表情はよく分からない。
「なに……?」
無興味の声色。
声をかけられたから振り返って、こうして話してるのだと言わんばかりの声だ。
「……あなた、誰?」
名前すら覚えられていなかった。
「えっと。後ろの席の、乙津杜って言います……」
「そう。おづくん。私は魚交桐佳」
「存じております」
「どうして?」
「え?」
魚交さんはくてん。と首を傾げながら、尋ねてきた。
本当に自分の名前を知っているのが不思議そうだった。
「一応、同じクラスだし……」
「そうなんだ」
「はい」
「それで、なにか用?」
「用という用でもないのですが」
僕は握りしめていた手を開いて、サメの歯を差しだす。
「これ、落としてたよ」
魚交さんの背鰭みたいな髪の毛がぴょこんと跳ねた。ような気がした。なにその髪、動くの?
「どこで拾ったの?」
「授業中、落ちたのを見かけて」
魚交さんはマスクの中に細くて長い指を入れると、なにかを探るようにまさぐり始める。頰が膨らんで、マスクの形が変わる。
ぬるり。と再び出てきた指はてらてらと薄く、粘着質に光を反射していた。
口の中を確認した……?
魚交さんは僕をじっと見て、尋ねる。
「…………どうして拾ったの?」
「どうしてって」
まるで、拾ってほしくなかったと言わんばかりである。
人に触ってほしくないぐらい大切なものだったのだろうか。それはちょっと申し訳ないことをしたなと思いつつ、しかし、だったらなおのこと、落としたままにはできない。
「魚交さんが落としたまま気づかずにどこかに行っちゃうから、無くしたら大変だろうと思って」
魚交さんはじいっと僕を見てくる。
それはまるで、目の前に現れた見たこともない生き物を見定めている動物みたいで――初めて見る獲物らしき生き物を観察している肉食獣のようだった。なんだこれ、食べられるのかな? みたいな、そんな目。
「……分かった」
なにか納得してくれたみたいで、魚交さんは小さく頷く。
僕は魚交さんにサメの歯を渡すべく、握っている手を前に出す。
「魚交さん。サメが好きなの……?」
それは、僕もサメが好きなので、好き同士で会話が弾んでそのまま友達になれたらいいな。なんていう打算的な質問だった。
サメの歯を持っているぐらいなのだから、きっと彼女も、サメが好きなのだろう。
そういう確実性を持って、僕はそう尋ねたわけなのだけれども。
「嫌い」
返ってきた返事は、想定外なものだった。
「そうだよね。僕もサメが好きでさ、ヨシキリザメとか特に……え?」
眉をひそめて、まるでゴキブリでも見るかのような目で魚交さんは言う。
どうやら冗談でもなんでもなく、本当に嫌いそうだった。
「魚交さん、サメ嫌いなの?」
「うん」
え。じゃあ、なんでサメの歯なんて持ってるの? 嫌いだけど持っていることで憎しみを忘れないようにしているとか? 臥薪嘗胆の精神?
「だって」
魚交さんはマスクの鼻あたりを掴むと、ぐっと勢いよく降ろした。
ずっとつけていて、誰もその下を見たことがないマスクが降された。
それはまるで、目の前で急にスカートを降されたような、そんな気持ちになって、僕は思わず腕で顔を隠した。しばらくして、「なんで僕は恥ずかしがってるんだ?」という素朴な疑問が浮かんで、腕を降ろす。
魚交さんはマスクを手に、僕の前に立っていた。
彼女の顔つきは、マスクをしている状態でもわかっていたことではあるが、すごく整っていた。小さな顔。安穏とした目。しゅっとした鼻。小さく開いた口から覗く、ギザギザとした歯。
「え?」
僕は素っ頓狂な声をあげる。
彼女の歯はギザギザとしていた。
いわゆるギザ歯というやつだろうか。
じいっと見てみると、それはプラスチックみたいな光沢をしていて、縦に長い三角形であった。側面はノコギリのようになっていて、肉を噛み切るのに特化しているようだった。
そんな歯を、僕はついさっき見たような気がした。握っていた掌を開く。
それは、落ちていたサメの歯とそっくりだったのである。
というか、そのものだったのである。
魚交さんの歯は、サメの歯だったのである。
「こんな歯、大嫌い」





