異世界だってベートーヴェンは最強です? ~元音大生の名曲無双~
同期の天才に心を折られ、音大を中退してから16年。
ブラック企業に勤めていた絵里は通勤電車に轢かれてあえなく死亡……したはずだったのだが……。
「……いやあね? 大好きな乙女ゲー世界に転生させてくれたってのはありがたいんですよ、それ自体は。でも、どうせならもっとマシなキャラにしてくれませんかね? 何もこんな、婚約破棄されて王都を追放されて家まで勘当された悪役令嬢なんかに転生させなくたって……ってかもう令嬢ですらない? ただの貧民? はあああー……っ」
あまりの境遇に絶望のため息をつく絵里だが、どっこい神は見捨てていなかった。
流れ流れて辿りついたグラーツの都では、奏者同士の名誉を賭けた戦いである『音楽決闘』が今まさに大流行中。
ベートーヴェンにモーツァルト、ショパンにバッハ。
青春を共に過ごしたあの名曲たちが、絵里の運命を切り開き──?
ピアノを始めたのは、私が3歳の頃。
あっさりとバイエル全曲を暗譜して、通しで弾けるようになって。
その辺りから、ママの様子がおかしくなった。
遊ぶ時間をもらえず、友達を作る自由も与えられず。
監視されながら鍵盤と向き合う、暗い青春。
幸いなことに、努力は実を結んだ。
いくつかのコンクールで入賞し、名門音大に入学することも出来た。
だけどそこで、大きな壁にぶつかった。
村浜沙織。
きらびやかな光を放つ天才の前に、私は屈した。
「心折られて音大辞めて、ブラック派遣会社に就職してまた心を折られて……あ~あ、私の人生もうバッキバキだよ」
混み合うプラットホームで遅延した通勤電車の到着を待ちながら、私はボヤいた。
「ま、音大生なんて潰しはきかないし、就職率も悪いしね。仕事があるだけマシ?」
スマホをいじりながらぶつぶつ。
傍から見れば危ない奴だろうが、正直どうでもいい。
連日のハードワークのせいで、私の心は完全に死んでいるのです。
今ならきっと、誰かが電車に飛び込んでも何も感じないまである。
「あ~あ、人生もゲームみたいに上手くいけばなあ~」
ぼやきながら、ひたすらスマホゲーをポチポチ。
プレイしているのは『私たちの楽園』。女性向けの恋愛アドベンチャー、いわゆる乙女ゲーというやつ。
これがもう楽しいんだよね。ベルばら風の華やかな衣装で着飾ったショタっ子とイケメンとイケオジが主人公を取り合う感じでさあ。
「あ~、私も取り合われたいぃ~。次に生まれ変わるならこういう人生がいいぃ~。イケメンズにちやほやされながら毎日ピアノを弾いていたいぃ~」
くだらない妄想をしていると、不意に背中に衝撃があった。
ホームが混んでいるせいで誰かがぶつかって来たのだろう、私はたまらずバランスを崩した。
足がもつれ、スマホが手から離れて飛び──ちょうど入線して来た電車の前に、私は体ごと転がり落ちた。
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
「ってうわわわわっ! 死ぬ、死ぬ、死ぬううううーっ!?」
叫びながら、私は毛布をはね除けはね起きた。
はね除け……はね起き……あれ、生きてる?
えっと……見た感じここは病院で、ついでに言うならベッドの上で……?
「……ウソでしょ、マジで?」
あの状態から生還するとかありえないと思うのだが、本当に生きている。
頭にでっかいたんこぶが出来ている以外にはさしたるケガもなく……。
「……あれ? なんか変だ」
私は改めて体を見渡した。
着ているのは病院着ではなく、白地に金刺繍の施されたお高そうなネグリジェ。
肌は白く抜けるようで、一点の染みもない。
髪は金髪で……え、金髪?
慌てて枕元にあった手鏡を掴むと、そこに映ったのは類稀なる美少女だ。
波打つような金髪、サファイアのような瞳、顔は小さく美しく、控えめに言って天使。
ちょっと目つきがキツイような気もするが、それはそれでチャームポイントになっていて……んんんんっ?
「これってもしかして異世界転生? もしくは死後に見てる夢? というかこの顔はたしか……」
そうだ『私たちの楽園』のキャラじゃないか。
名前はテレーゼ・フォン・バルテル(16歳)。
いわゆる悪役令嬢というやつだ。作中のメインヒロインに対して行った過激なイジメが露見して王子に婚約破棄され王都を追放され、ついでに公爵家を勘当されと、本当にろくなことがないキャラだ。
いやー、転生にしても夢にしてもさあ、このチョイスはなくないですか神様?
「もう少しマシなさあ……メインヒロインとは言わないまでもさあ……」
「お嬢様! お目覚めになられましたか!?」
物凄い勢いでドアが開いた……ってなんだこのイケメン!?
驚いた私は、思わず毛布で体を隠した。
「え、ええと……どちらさまで……?」
清潔感のある短い黒髪、キリリと凛々しい目元、背はスラリと高く足もめっちゃ長い。
黒のスーツ上下に臙脂色のベストという執事服の組み合わせがまた魅惑的で……ってあれだ、テレーゼの執事だこの人。
18歳にして眉間の皺がよく似合う苦労人で、落ちぶれたテレーゼを唯一見捨てなかった忠義の人で。ええと、名前は……。
「たしか……クロードだっけ?」
「お嬢様、ひょっとして記憶が……?」
衝撃のあまりだろう、クロードがよろめいた。
しまった、長年付き添ってくれている執事の名前を確かめるのはさすがにまずかったか。
「ごめんなさい、どうも頭がぼんやりしてて……。ねえクロード、今の状況を説明してくれる?」
一時的な混乱のせいだということでごまかすと、クロードは心配そうな顔をしながらも状況を説明してくれた。
聞けば、流れ流れてたどり着いたここグラーツの都での貧乏暮らしに耐えられなくなった私というかテレーゼが、よろめいて転んだ拍子に道端の石ころに頭を打って意識を失ったらしいのだ。
「ん~……つまりバッドエンド後のエクストラシナリオってわけか。にしても死体にドロップキックかますようなひどい展開ね……製作陣はこのコに恨みでもあるのかしら……」
でっかいたんこぶを擦りながら、しみじみと私。
「お嬢様、申し訳ございません。私の働きが及ばず……」
クロードが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいのよクロード、あなたは悪くない。というかそもそもこれは、私が不注意だったせいだから……」
「ですがお嬢様……」
謎の譲り合いをしていると、外からピアノの音が聞こえて来た。
窓から顔を覗かせてみると、病院の裏手のバルに人だかりが出来ている。
音楽バルとでもいうのだろうか、酒場の中心がステージになっていて、アップライトのピアノが置かれている。
チョビ髭の紳士が弾いているのはゲーム中のBGM。勇壮な行進曲だ。
演奏自体はたいして上手くもないけど、聴衆は大いに盛り上がっている。
んー、ちょっと忖度くさい?
拍手を浴びながらチョビ髭紳士がステージを降りると、入れ替わりで上がったのは10歳ぐらいの少年。
ふわふわ栗毛で女の子みたいに可愛くて、白シャツと半ズボンとサスペンダーの組み合わせが犯罪的に似合うその少年は、なぜだろう泣きそうな顔になっている。
「おら小僧、さっさと弾けよ!」
「それとももう負けを認めるか!?」
「まあドミニク様の演奏に勝てるわけがねえからな!」
いかにも悪そうな顔をしたゴロツキたちが、少年をはやし立てる。
「何よあいつら、あんな子供によってたかって」
ムカついた私は、クロードが止めるのも構わず病室を飛び出した。
パタパタと駆けて病院の裏手に回り、バルの聴衆の中に混じると……。
「おじさんおじさん、今っていったいどういう状況なんですか?」
近くにいたおじさんに事情を訊ねると、返って来たのはこんな答えだった。
グラーツでは、『音楽決闘』が盛んに行われている。
基本的には奏者同士が名誉を賭けて行うものだが、時に具体的な金品を賭けることもある。
今回の賭けはバルの主人テオが店の権利を、金貸しアルノーが借金の帳消しを、それぞれ賭けているのだとか。
「ひどいもんだよ、決闘を断るなら今すぐ借金全額返せなんて言ってさ、半ば強制なんだ。テオが雇った決闘者が来ないのもひっくるめて、全部罠なんだろうよ。しかも代わりに息子のウィルに戦えだなんて。音楽院に通ってるとはいえ10やそこらのガキが本職の決闘人であるドミニクに勝てるわけがないんだ」
ピアノの前でウィルは、可哀想にガタガタ震えている。
鍵盤に手を伸ばしてはやめ、手を伸ばしてはやめ、そのたびガラの悪い連中に罵られてべそをかいている。
「なるほど……」
自分が負ければ店が奪われる。
その責任は、わずか10歳の少年が担うには重すぎる。
「なるほど……」
胸の痛みと共に思い出した。
来る日も来る日もピアノを弾かされたあの頃を。
怒鳴られ叩かれ、あれは本当に辛かった。
音を楽しむと書いて音楽だ。音楽は楽しまなければならない。
怖くて苦しい──そんなのは音楽じゃない。
「おじさん、曲は? 何を弾いてもいいの?」
「ああ、コンクールじゃないからな。自由曲だ。だがなんだってあんた、そんなことを?」
「──その決闘、ちょっと待ったあーっ!」
気が付けば、私は叫んでいた。
手を挙げ、一歩を踏み出していた。
「なんだてめえ」
「おい、どこへ行くつもりだ」
「……お嬢様っ!?」
ゴロツキAB、クロードの制止を順に振り切ると、私はステージの上に立った。
ざわめく聴衆に向き直ると、言い放った。
「私の名は絵里……じゃなくっ、テレーゼ・フォン・バルテル! ウィルに代わって決闘を行う者よ!」
ポカンとするウィルの肩を叩くと、「任せて。あんなチョビ髭より私のほうが上手いから」と笑いかけた。
代わりに椅子に座ると、両手の指をわきわきと動かして駆動域の確認。
「ふむ……素人の体だから、やっぱり指が動かないか。右はいいけど、左がほとんど添え物ね。となると曲は……」
頭の中に楽譜を思い描いた。
右手の旋律が印象的なあの曲を、和音を絞ってアレンジして……うん、いけそうね。
「ただいま、相棒。元気だった?」
鍵盤の懐かしき手触りを確かめると、私はそっとつぶやいた。
「ひさしぶりに暴れるわよ。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作『バガテル第25番イ短調エリーゼのために』簡易版」





