第八十二話
「あ、ちょっとチクチクします。ひんやりして気持ち良いかも」
しゃぼん玉の中でおとなしくしていら巨大カマキリの背中に、アークは恐る恐る乗っている。馬のような手綱はない。だからカマキリの胴体を掴んでいるのだ。というか、しがみついている。
「振り落とされないように、しっかり掴まっているんだよ」
エイラが注意すればアークは「はい!」と答える。満面の笑みだ。
「泡を壊すとすぐに動き出すからね」
エイラがしゃぼん玉を指でつつくと、パンッと音を立てて弾ける。途端にカマキリの目に生気が戻り、わさっと羽を広げた。
「え?」
カマキリに掴まっているアークが頭のてっぺんからおかしな声を上げた。
「と、飛ぶの?」
アークは恐々とカマキリの頭を見ている。満面の笑みはどこかにいってしまったのか、頬がひきつっていた。
「まぁ、飛ぶだろうねえ」
エイラはいそいそと杖を取り出し、飛び乗った。これから起こることが分かっているかのようだ。
「走るんじゃないのぉぉぉぉ!」
アークの絶叫を残して、カマキリは羽ばたき、飛び去った。
緑一色の草原を、アークをのせた巨大カマキリが飛んでいく。薄い羽をばたつかせ、草の上を滑るように飛んだ。
「と、止まってぇぇ!」
アークの必死の絶叫は風切り音にかき消される。その絶叫を追いかけるようにエイラと杖が空を滑っていた。杖に横座りしているエイラは楽しそうな笑みを浮かべていた。
「しっかり掴まってるんだ! 落とされても拾えないからね!」
「うわわわ!」
エイラが大声で叫ぶが、アークの耳には届いていないようで、反応は無い。アークはカマキリにしがみつくのでいっぱいいっぱいだ。
「折角乗ってるんだから、楽しまなくちゃ」
エイラはちょっと口を尖らせた。その時カマキリの速度が上がり、急上昇した。背中のアークが邪魔になったのだろうか。急に重心が後ろにぶれたアークは体勢を崩し、後ろにふんぞり返ってしまう。
「た、たおれる!」
アークの腕の力では体重以上に増えた自分の体を支えられず、巨大カマキリの背中から手が外れてしまった。
ふわっとアークの体が浮き上がり、そのまま背中から落下していく。
「エ、エイラさん助けて~~!」
アークが情けない声で助けを求めるそのすぐ後ろにエイラが迫っていた。
「よっと!」
アークの体が草原に落ちる寸前に杖の下側に逆さに座ったエイラがガシっと抱きとめた。そして杖を反転させ上に戻すと、そのままさらに加速させた。
「いやー、面倒なことになったね」
「な、なにがですかー!」
捕まえたアークの頭を自分の胸に埋めつつ、エイラが嬉しそうに言った。アークを捕まえたはいいが、乗っていた巨大カマキリが怒って追いかけてきていたのだ。
エイラは杖を飛ばすが速度はカマキリの方が速い。ちらっと後ろを振り返ったエイラが「ふむ」と呟いた。
「ちょっと揺らすよ」
「は、はい?」
エイラの胸から気の抜けた返事が返ってくる。にやっと笑ったエイラはアークを抱く力を強くし、杖を急上昇させ、くるりと宙返りさせた。
「なななにが起きてるんですかーー!」
「あははは!」
楽しげなエイラだが、宙返りしながら後ろをちらっと見て驚いた。カマキリもわざわざ宙返りして追い掛けてくるのだ。カマキリの目が怒りで真っ赤に染まっていた。




