第三十六話
「エイラ、何を話していたのじゃ?」
トンボは、ブーンと音を立てて上空に舞い上がっていった。遠くから見れば普通の大きさのトンボだが、近くで見ると不気味だった。四朗は、もうごめんだと思った。
「あぁ、ずいぶん気の良いトンボ君だったねえ」
エイラは答えになっていない答えを口にした。
「そうではないのじゃ!」
「はは、そんなに尻尾を立てないで」
チェルナの細い尻尾は揺らめきながらもピンと、立ち上がっていた。ちょっと怒っているのだ。
「なんでも、この山には、ファイヤードレイクは三匹しかいないらしい」
「で、どういうこと?」
「かち合う確率は少ないって事さ」
四朗に対して片目をつぶりながらエイラは答えた。どうやら遭遇しなくても済みそうだ、と四朗は思った。
「エイラ。では、あれは、何なのじゃ?」
黒猫がある方向を見て、炎の輪郭をガクガクさせていた。
「あ、ファイヤードレイクだ」
エイラが、ポカーンと口を開いた。
目の前には、真っ赤なボディに、世紀末覇者の如く体にとげとげをはやした牛が、首を捻って、三人を見下ろしていた。背中には大きな翼も見える。
ソイツは、食べ物かどうか吟味でもしているのか、口からだらしなく、よだれが垂れていた。
「う、牛だ! で、でっかい、牛だ!」
「シロ、怖いのじゃ!」
チェルナはさっと四朗の後ろにまわって隠れたが、お尻も尻尾も丸見えだった。二人とも体の大きさは同じだ。隠れられるわけがない。
四朗は壊れた人形の様に顎をカクカクさせていた。現れたファイヤードレイクという名前の真っ赤な牛は、とにかく大きかった。エイラも一口で美味しく食べられてしまうくらいだ。
「よし。逃げよう!」
エイラは二人の身体にしゅるっと腕を巻き付け、持ち上げると、一目散に逃げだした。
「はは、逃げるが勝ちさ!」
炎に形どられたミニスカートを翻しながら、二人を脇に抱え、エイラはひた走った。でも後ろからはファイヤードレイクが追いかけてきていた。
逃げるものを追う習性でもあるのか、脇目もふらずに追いかけてきていた。
「牛が、牛が!」
「なんで牛が速いのじゃ!」
ファイヤードレイクは、素早かった。エイラの走る速度も速いが、ファイヤードレイクも負けない速度で、地面を揺らしながら追いかけて来た。
「キタキタキタキタ!」
モー、とでも鳴きそうなファイヤードレイクが、すごい速度で迫ってくる。四朗は違和感を感じつつも、叫ばずにはいられなかった。
「牛さんが速いのじゃー!」
チェルナは楽しそうだった。追いかけられて、食べられちゃうかもしれないという事は、すっかり頭の中から消えてしまっているのかもしれない。
「はは! なんだか楽しくなってきたね! よし、加速するぞ!」
エイラは嬉しそうに笑うと、ヨーイドン、と叫んだ。叫んだ途端に炎の景色がぼやけた。
ぽよぽよした炎をぽよーんと弾き飛ばして、エイラは猛スピードで走り始めた。地響きを立てて迫っていたファイヤードレイクを、置き去りにした。
「はえぇ!」
「牛さんが小さくなっていくのじゃ!」
嬉しそうな二人の声とは逆に、エイラの速度は落ちていった。息も大分荒くなっている。
「この魔法の欠点は、一分しか持たないところなんだ」
驚いて口を開けている二匹の猫を抱えた魔女は、立ち止まって大きく息を吐いた。
年末進行で、なかなか書けないので、不定期更新になりますm(_ _)m




