第十四話
「さぁ、魔法をかけるよ!」
いつの間にかエイラは、先に星が付いた細い棒を持っていた。四朗は、絵本で見た記憶があるな、と思った。この世界でも魔女はあんな棒を持っているのか、とも思った。
エイラはそれを振りかざして「えーい!」と叫んだ。
ポワンという音がすると、四朗とチェルナの体は、不思議な膜に覆われた。四朗が、なんだこれ?と触ろうとすると「あぁ、爪でひっかいてはいけないよ!」とエイラが注意してきた。
「これは何なのじゃ?」
チェルナが四朗と見ながら首を捻った。見られた四朗も首を傾げる。
「ふふ、それはだね、水の中でも呼吸ができる魔法さ!」
エイラは鼻息を荒くした。
「それはすごいのじゃ!」
チェルナは肉球をぽにゅぽにゅと叩いて拍手の代わりをしていたが、柔らかすぎて音が鳴らなかった。だがチェルナの想いは、エイラに伝わったようだ。
「そうだろう、そうだろう!」
エイラは嬉しそうに、コクコクと大きく頷いた。
「この魔法の為に、何回溺れそうになった事か! あぁ、思い出すのも辛い!」
くぅ~、っと喉を鳴らすような声を発しているエイラに、チェルナは「エイラは努力をしてすごいのじゃ」と褒めていた。
努力。
四朗は人間だった頃を思い出しかけたが、やめた。彼の半生は病気との戦いだった。努力はしたが、報われる事は無かった。
努力しても出来ない事はあるんだ、と四朗は思ったが口にはしなかった。
白猫は、楽しそうな一人と一匹を、羨ましげに見ていた。
「よし、しゅっぱーつ!」
エイラのご機嫌な合図でざばざばと湖に入っていく。水に触れると、モフモフの下に冷たさが伝わってくる。
「ニャ!(冷たい!)」
「気持ち良いのじゃ!」
四朗とチェルナの感想は違うようだ。チェルナも冷たいのだろうが、楽しそうに笑っている。
足から体へ。どんどん湖の中へ入っていった。そしてとうとう頭まで完全に水に浸かった。
「ニャ!(確かに息ができる!)」
「息ができるのじゃ!」
ふぅーっと息を吐けば、まぁるい泡が水面に消えていった。シャボン玉みたいで、面白いものだった。
「はは、こうするんだよ!」
エイラがボーっと大きく息を吐くと、無数の泡が風船のように浮かんでいった。クラゲのように漂いながら、水面目掛けて競争をしていく。
「きれいなのじゃ!」
「ニャー!(すげー!)」
絵本でも見ているかのような映像に、白猫と黒猫は大はしゃぎだった。
「生きていて、良かったのじゃ!」
チェルナが泡の風船を見ながら、呟いた。
「ニャ、ニャ?(でも、猫の体だぞ?)」
「こーんなステキなものが見られるのじゃ! 妾は楽しいのじゃ!」
チェルナはニパッと笑った。四朗の好きな、チェルナの笑顔だった。
「あのまま生きていても、妾は外に出ることは出来なかった、と思うのじゃ」
屈託のない笑顔で、厳しい言葉を紡いだ。
「今は楽しいのじゃ。生きていて良かったと、心から思えるのじゃ」
「ニャ、ニャ……(生きて、良かった……)」
四朗は病院のベッドに寝たきりだった頃を思い出した。外に行きたくても、許可は出なかった。頑張って治療にも耐えたが、回復する見込みは、全くなかった。
見る事の出来たのは、窓からのつまらない景色だった。灰色の壁、いつ見ても同じビル。日が昇っては沈んでいく、その繰り返しだった。
「シロは、どうなのじゃ?」
チェルナが真っすぐ四朗を見つめてきた。茶色い瞳は嬉しそうに光っている。
四朗は眩しすぎるチェルナの目を、見ることが出来なかった。逃げるようについっと視線を上に向けた。
水面近くには、魚の群れがゆったりと泳いでいた。陽の光も、湖の底にまで降り注いでいて、青い空間を演出していた。
「ニャ、ニャ(あぁ、綺麗だな)」
チェルナの言う通り、あのまま生きていてもこんな綺麗な映像は見る事は無かった、と四朗は考えた。
前を見れば心配そうに自分を見る黒い猫。横に視線をずらせば、寂しそうな顔で自分を見てくる魔女。
上を見れば、降り注ぐ光のカーテン。日光で演出された空間を泳ぐ青い魚。
あの世界では、味わえない物が、いま目の前にあった。
「ニャ(そうだな)」
白い猫は笑った。




