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いちごパフェの約束 -木下カエデの場合-【上】


 目を開けると見知らぬ部屋が広がっていた。

 なんだか頭がぼんやりする。

 のろのろとした思考を必死に働かせて、襟草は現状を把握しようと試みた。


 暗く、薄汚い部屋の中に座っている。

 埃っぽい空気の中に混ざる、錆びた金属のにおい。

 どこかから流れ込んできた微風からは海の香りがした。


 海辺沿いの打ち捨てられた倉庫か何かだろうか。

 そう当たりをつけて、立ち上がろうとした。


 じゃらり。


 鎖の音が、体をひっぱる。

 鈍色の太い鎖は、椅子ごと襟草の体を巻き付けていた。


 なるほどね。


「あ、あの……気がつかれましたか?」


 部屋の隅から声がして、襟草は顔をあげた。

 他にも人がいたのか。


「その……こんにちは……」

「こんにちは」


 気弱そうな女性だった。

 よわい三十前後といったところだろうか。

 こんな寂れた倉庫の中ではなく、夕暮れ時に商店街の一角で出会いそうな風体だ。


 一歩、女性がこちらに歩み寄る。

 右肩から垂れた一房の髪に、細く差し込んだ月明りが当たって赤く反射した。

 その光が襟草の記憶を刺激する。


「あれ? あなたは確か、提夢図てむず川にいた」


 女性はびくりと肩を震わした。


「お、覚えてらっしゃいましたか……」

「ええ。そのヘアゴムでピンときました」

「……そ、その節は、大変お世話になりました」


 女性はほっそりとした指でヘアゴムを撫で、深々とお辞儀した。

 襟草も座ったまま頭を下げる。


「いえいえ、無事に見つかってよかったです」


 夕方ごろのことだ。

 提夢図川の上にかかった橋の上を歩いていると、ふと女性の姿が目に留まった。

 腰をかがめ、這いつくばるように辺りをうろついていた。

 

 何か探し物をしているようだが……。

 季節は六月。元気よく生い茂り始めた草木は、川岸を深々と覆い隠していた。

 探し物をするには、少々骨の折れる環境だ。

 一人では大変だろうと考えた襟草は、彼女の探し物を手伝うことにしたのだった。


「もうなくしちゃダメですよ。娘さんからの、大切な贈り物なんですから」


 娘さんがお小遣いを貯めてプレゼントしてくれた、赤いガラス細工の飾りがあしらわれたヘアゴム。

 橋の上で髪をほどいた際、うっかりそれを落としてしまったのだと、女性は言った。


 見つかったのはハッキリ言って奇跡だ。

 背の丈ほどにも育った雑草。

 川岸に打ち捨てられた空き缶や粗大ごみ。

 薄汚いずた袋やポリビニールの残骸。

 それらをかき分け、はいずり回ること約二時間。

 ついに可愛らしいヘアゴムを見つけた時は、思わず二人してハイタッチをしてしまったものだ。


「本当にあの時は助かりました。もう、どうお礼を言えばいいのか……」

「いいんですよ、そんなことは。最後にしたハイタッチで、全部チャラです」

「……優しいんですね」


 女性は柔らかく微笑み、そしてすぐにその表情を曇らせた。


「なのに私は、そんな優しい人を……」


 そのまま黙って、視線を地面に落とす。

 何かを言いだそうとして、ためらっている。

 襟草は女性が喋り出すまで、黙って待つことにした。


「……あなたには感謝しています。できればもっと違う形で、また会いたかった。世の中にはこんなに素敵な人がいるんだよって、娘にも紹介したかった……」


 弱々しく彼女はつぶやく。

 最後の言葉は、まるで独り言のようだった。

 

「でも、それはもうかないません。もう私は、やるしかないんです……」


 次第に声音が変わっていく。

 自分に言い聞かせるような、自分を追い詰めるような、そんな声音。

 

 そして、次に女性が顔を挙げた時。

 

「すみません、襟草さん。私はあなたを――」


 彼女の表情には、たしかに覚悟が宿っていた。


殺さなくち(・・・・・)()いけないんです(・・・・・・・)


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