月並みな子供たち -桜井音羽の場合-【伍】
「人間って、型にはまるのが大好きですよね」
ソレは言う。
「血液型占いだとかあなたを動物に例えると何それに似ているだとかMBTIだとかビッグファイブ理論だとか。よくもまああんなに色々種類があるもんだよ」
ソレは言う。
「多様性を認めろとか、個性をもっと尊重しろとか。あれだけ声高に言うくせに、結局は型にはまるのが大好きなんだよ……。矛盾していて、愚かで、度し難いほどに醜くて……吐き気がするくらい気持ち悪いよね」
ソレは言う。
「ねえ、そうは思わないかい?」
異なる口調で。
異なる声音で。
異なるリズムで。
まるで何人もの人間がそこにいるように、ソレは一貫した話をした。
一貫していて、なんの脈絡もない話をした。
「何が……目的だ……」
息も絶え絶えに発した言葉に。
ソレは口調を整えて、端的に答える。
「君に会いに来たんだ」
「僕に……?」
「そうさ」
「邪魔をしにきたわけじゃ、ないのか……?」
「まさか」
乾いた笑いが耳朶を打つ。
「別に私は、子供たちを殺したいわけじゃない。警察に駆け込もうが海難救助隊を呼ぼうが、好きにすればいい。君があの船から抜け出して、そしてこの海岸にたどり着いた時点で、私の計画は破綻しているのだから」
「……」
つまり、あの事件に関してはもう興味が失せたということだろう。
だから十人の子供たちの生き死にすら、どうでもいい。
あれだけのことをしておきながら。
執着が、ない。
「私の計画をダメにした人間がいると聞いたから、どんな凄腕の探偵が相手かと思えば……まさか、こんな普通の青年だったとは。いや、普通とは言えないか。日本海を単身で泳ぎ切るなんて、人間業じゃない。文字通りね」
「僕のこと……どこまで知ってるんですか」
「当たり障りのない範囲までだよ。知り合いに少し、調べてもらってね。これまでもいくつかの事件を未然に解決しているそうじゃないか。体を張っての人命救助、素晴らしいことだ。……聖人にでもなったつもりか?」
「……違う」
「なら、なぜ助ける」
別に大した理由じゃない。
大義名分も建前も、持ち合わせちゃいないんだ。
僕はただ。
「探偵が、嫌いだから」
だから、犯人を捕まえる。
探偵よりも早く。
探偵なんて必要ないくらいに、迅速に。
犯人のことを誰よりも良く知っているのは、被害者であると証明するために。
「……ふふ、なるほど」
少し間を置いて、ソレは満足そうな笑みをこぼした。
「君も私と同類というわけか、気に入ったよ」
「やめてください、気色悪い」
「まあ、そう言うな。探偵嫌い同士、仲良くしようじゃないか」
「死んでも御免です」
「ウィットに富んだジョークだね」
体が段々と温まってきて、喉と体が少しずつ動き始める。
すりガラスのようにぼやけていた視界も、ずいぶんとマシになった。
捕まえるのは無理でも、せめて、こいつの顔を――
「さて、私はそろそろお暇するとしよう。回復した君から逃げるのは、とても骨が折れそうだからね」
「そんな急ぐことないじゃないですか。探偵嫌い同士、仲良くしましょうよ」
「掌返しの早いことだ」
そう言うと。
ソレは襟草の体の横を歩き、ズボンの隙間に何かを挟み込んだ。
「餞別だよ。受け取ってくれ」
「いりません」
「まあそういわず。きっと何かの役に立つさ」
足音が遠ざかる気配がした。
体はまだ、十全には動かない。
必死に頭をもたげるけれど、ぼやけた背中が映るだけだった。
「話はまだ終わってませんよ」
「そう焦ることはない」
ソレは言う。
「君とはきっと、これから何度も相対することになるだろう。私を捕まえるために、その身を何度も殺すことだろう。だからまだ、焦らなくていい。焦らなくていいのさ。私たちの戦いは、これから――」
「いや、そういうのいいですから」
うんざりなんだよ、そういうの。
勿体ぶった口上は、探偵とでも交わしてくれ。
「くく……ロマンのない子だ」
そう言い残し。
ソレは去っていった。
十分後、襟草が動けるようになった時には当然、影も形も見当たらなくて。
残っていたのはズボンに挟まれていた、一束の書類だけだった。
※
それから、本当に色々なことがあった。
近くを通りかかったトラックの運転手に見つかり、あやうく救急車を呼ばれかけ。
そんなことより警察だと押し切って、近くの警察署まで送ってもらい。
警察に通報し事情を話すと、海難救助の船が迅速に出港し。
そして数時間後には、襟草と子供たちが乗っていた船が発見され。
そして今、その船が港に戻ってきた。
事前に連絡を受けた両親たちが、我先にと前に飛び出し、自分の子供の姿を探している。
襟草はその様子を、少し離れた場所から見守っていた。
子供たちの表情に脅えがなかったことを確認して、襟草はそこで初めて安堵の息を吐き出した。
一人、また一人と両親に引き取られ、警察に先導されながら消えて行く。
襟草の進言により、今回の捜索は極めて迅速に、かつ秘密裏に進められた。
犯人の狙いは、「世間を騒がせること」にあった。
例え子供たちが生きていたとしても、マスコミが騒ぎ立ててしまえば犯人の思惑通りになってしまう。
この事件のことは、誰も表には出してはいけない。
それだけが、襟草が犯人に対してできる、唯一の意趣返しだった。
「結局、取り逃がしちゃったからな……」
挑発するように自分の前に現れ、そして霞のように消えて行った謎の人物。
この事件の黒幕。
おそらく、船内をくまなく調査したところで何の足取りも負えないだろう。
浜辺付近の目撃証言を洗おうにも、性別すら分からない。
きっとあいつは、また犯行を犯すだろう。
あいつの目的はまだ達成されていない。
最後の気に食わない捨て台詞のこともある。
だから。
「次は必ず、捕まえる」
そう心に誓って。
誰にも聞こえない小さな声でつぶやいて。
襟草はこの事件最後の仕事に取り掛かることにした。
港から走って来る小さな女の子の姿がある。
今にも泣きそうな顔で、何度もこけそうになりながら、懸命に足を動かして、こちらに駆けよる少女がいる。
襟草は膝を屈めて、両手を広げて、胸に飛び込んできた少女を抱きしめた。
少女が何か言う前に。
少女が口を開く前に。
襟草は言葉をかけた。
彼女と約束していた、その言葉を口にした。
「頑張ったね、音羽ちゃん」
「……襟草ぁ」
「頑張ったね。本当によく、頑張ったね」
「襟草……襟草襟草襟草ぁ……っ!」
そうして泣きじゃくる彼女の頭を、襟草は何度も撫で続けた。
何度も何度も、同じ労いの言葉を、彼女が泣き止むまで紡ぎ続けた。
日本海幼児誘拐遺棄事件と名付けられ、秘密裏に処理されたこの事件は。
こうして静かに幕を下ろした。
※
「襟草悟さん」
泣きつかれた音羽を見送った襟草に、一人の刑事が声をかけた。
柔らかい声音とは裏腹に、肩にかかった手に込められた力は、荒々しかった。
「なにかご用ですか?」
「開口一番しらばっくれるようなら一発殴れと命じられていますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないですよね」
ため息をついて、襟草は答える。
あいかわらず滅茶苦茶な命令をする人だ。
「行きます、行きますよ。どうせもともと、こうなる覚悟で呼んだんですから」
「ご協力、感謝します」
真面目そうな刑事は、一つ綺麗な敬礼を取って。
そして襟草に告げた。
「蘓原警部がお呼びです。お疲れのところ申し訳ありませんが、ご同行を」




