プロローグ -段々彫やいとの場合-
襟草悟の胸に刺さった千枚通しは肋骨を削り、左心房を貫いていた。
凶器を引き抜くと胸に空いた1センチ大の穴から、弧を描いて血が吹き出す。
足元を濡らす自分の血には目もくれず、襟草は凶器の千枚通しをしげしげと眺めた。
針の部分の長さは約20センチ。
たこ焼きをひっくり返すあれに似ている。
これと言った特徴はないが、持ち手の部分に「Jack」という名前が彫られていた。
なるほどね。
「お、お、お前……! なんで死なないんだよ!」
声に釣られ、襟草は顔をあげた。
男がわなわなと唇を震わせている。
ついさっき、襟草の胸に千枚通しを突き立てた時とは別人のようだ。
「そりゃまあ、『不死』なので」
「不死!?」
素っ頓狂な反応に襟草は首を傾げ、補足する。
「死なないって意味ですけど」
「いや、それくらい知ってるけど!」
「じゃあなんで聞いたんです?」
男は襟草の胸元と顔の間にせわしなく視線を行き来させながら、震える唇を動かした。
「なんでってそりゃお前……ふ、不死の人間なんてあり得ないだろ! どんな原理だよ!」
「ああ、そういう」
得心いったという様子で、襟草は頷いた。
そして千枚通しをふりふり問う。
「プラナリアって知ってます?」
「ぷ、プラナリア?」
唐突な、脈絡も分からない質問に、男は眉をひそめた。
「なんで今そんな……」
「まあまあ深く考えず」
「……あれだろ。切っても切っても死なずに増える変な生物」
「正解です。では、クマムシは?」
「あー……どんな劣悪な環境でも死なない地球最強の生物、だっけ?」
「その通りです。じゃあその生物が、どういう原理で死なないのか知ってますか?」
「し、知らないけど」
「でしょう? 僕も似たようなものなんです。よく分からないけど死なない人間。それが僕です」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……い、いやいや! そんな説明で納得できるか! もっと詳しく――っておい! どこ行くんだよ!」
足を止める。
姦しい人だと、襟草は小さく鼻を鳴らした。
「警察に行こうかなと」
「け、警察だと!?」
「ええ」
そして再度、男の方を振り向いた。
「どうやらあなたは、連続殺人を計画していたみたいなので」
しばし間が空いた。
男は口をあんぐりと開け、消えそうな声で言う。
「ど、どうしてそれを……?」
「簡単な話ですよ」
襟草は肩をすくめる。
「僕はあなたと面識がありませんし、恨みを買った覚えもありません。それなのに僕を殺したということは、十中八九、通り魔的な犯行でしょう。
凶器に千枚通しを使っているところもポイントですね。一見ホームセンターで売られている普通の千枚通しに見えますが、柄の部分に『Jack』と彫られています。
造りの粗さから見て、わざわざ自分で彫ったんでしょう。こんな足がつきやすそうな証拠を残すとは考えにくいですから、あえてこの凶器を使ったのだと推測できます。
ではなぜ、こんな特徴的な凶器を現場に残そうとしたのか?
答えは簡単。あなたがこの凶器をシンボルマークとした連続殺人を計画していたからです。おおかた『令和の貫きジャック現る!』みたいなのを狙ってたんじゃないですか? あさましいですね」
「え、あ……おぅ……」
「まあ幸い、これが初犯でしょう。千枚通しで人が殺された、なんて事件が起こっていれば、ニュースで取り上げられているはずですからね。最初の被害者が僕でラッキーでした。
ですが未遂とはいえ、このままあなたを見逃すわけにはいきません。次は善良な一般市民が狙われるかもしれませんからね。この凶器と刺された傷跡を見せて、警察に逮捕してもらいます。
そんなわけで、今から一緒に来てもらえると説明する手間が省けて助かるんですが――何か質問は?」
一息に説明を終え、男を見る。
男は酸素の足りない金魚みたいに口をパクパクと動かして。
やがて絞り出すように声を発した。
「……け」
「け?」
「警察はやめてくれ!」
そしてガバッとその場に跪くと、男は襟草の足をむんずと掴んだ。
「頼む! せめて通報するなら警察じゃなくて探偵にしてくれ!」
「探偵、ですか?」
襟草の眉間にわずかにしわが寄る。
が、男はその微細な変化には気づかなかった。
「そう! 探偵! 波葦徹だよ! お前も名前くらい知ってるだろ?」
一拍置いて「ああ」と襟草は頷いた。
ハーバード大学で心理学の博士号を取得した後、あまたの大学からのオファーを蹴って帰国し、探偵業を始めた変わり者。その整った容姿も相まって女性ファンも多く、メディアから引っ張りダコの今を時めく人気探偵。
「俺はあいつと頭脳対決したかったんだよ!」
「頭脳対決」
「そうそう! 狂気の連続殺人犯と人気探偵の頭脳戦! みんな好きだろ、そういうの!」
「まあ、需要はありそうですね」
「だろ! 俺さ、あいつの戦うために必死で考えたんだ! このJackの木彫りをした千枚通しで十人殺す。そして、十人目の犯行現場には『波葦徹、お前のせいでこいつらは死んだ』って書き残すんだ。波葦が俺を見つけられなければ、あいつの信頼は地に落ちる! あいつの推理と俺の謀略がぶつかり合う、互いの人生を賭けた一世一代の大勝負! ははっ! どうだ? さいっこうに面白いだろう!」
「全然」
「ん゛ん゛ん゛! もうちょっと食いついて!」
「いやー、あんまり興味ないですね」
襟草は視線を落とした。
胸の傷跡が徐々に塞がり始めていた。
このままだと、男が自分を襲ったという折角の証拠が消えてしまう。
できれば早めに話を終わらせたいところだ。
「もういいですか?」
「ま、待った! もう少しだけ聞いてくれ!」
「……手短にお願いします」
「すまんな!」
恩に着る! と手刀を切って、男は語り始めた。
「いいか? この連続殺人は何重にも罠を仕掛けているんだ。
まず、連続殺人としてのシンボルマークにしようとしていた千枚通し。これにはまったく意味がない! 凶器から俺にたどり着くのは不可能ってわけだ!」
「はぁ。そのミスリードのために、わざわざ『Jack』って手彫りしたんですか? 十本も?」
「まさか!」
男はちっちっち、と指を振り、得意げに言った。
「何かあったら困るからな! 予備に二十本、追加で彫った!」
「暇なんですか?」
「会社終わりにコツコツ作ったんだよ!!」
そうですか。
「ま、まだあるぜ! 連続殺人犯を見つける時、あいつは地理的プロファイリングを使うんだ。犯行が起こった場所や時間から、犯人の居住地を洗い出す方法さ。だから俺は、犯行場所と時間に一貫性を持たせないことにした! 休日とか夜に犯行時刻が固まってたら、サラリーマンの犯行ってすぐにバレちまうからな! 平日の犯行がねらい目だ!」
「働かなくていいんですか?」
「有給組んだんだよぉ!!」
そうですか。
「なあ、分かるだろ? 完遂したら完璧な連続殺人になるはずだったんだ! 動機は不明、凶器の一貫性にも『Jack』の文字にも意味はない、おまけに犯行場所も時間もてんでバラバラ。こんなの誰にも解き明かせない!」
「そうかもしれませんね」
「だけどその分、準備にめちゃくちゃ時間がかかってるんだよ! 犯行場所の下調べだけで休日はつぶれるし、木彫りなんて慣れないから手はケガするし、上司にはめちゃくちゃ嫌味言われるし、有給はなくなるし……」
「別にいいんじゃないですか? もうすぐその会社とは縁がなくなりますし」
「元も子もないこと言わないでくれる!?」
本当のこと言っただけなのに。
「とにかくさあ、せめて連絡するなら波葦にしてくれよ! 捕まるくらいなら、せめてあいつにこの計画を伝えたいんだ! あいつだったらどう推理したのか、聞いてみたいんだよ!」
すがりついてくる男の手に力がこもる。
随分と興奮しているようだ。
襟草はまあまあと男をなだめた。
「落ち着いてください。あなたの事情は理解しましたから」
「ほ、本当か……?」
「ええ。生涯をかけた大勝負だったんですもんね。こんな形でとん挫するなんて、さぞかし納得いかないことでしょう。お気持ちはお察しします」
「そう、そうなんだよ……! 分かってくれるんだな!!」
「ええ」
「ならっ!」
「まあ、分かったところで探偵なんて呼ばないですけどね」
「こ、こいつ、悪魔か……!?」
殺人未遂犯が何を言うか。
「悪魔だなんて失礼な。探偵を呼ばないのには、ちゃーんと理由がありますよ」
「理由……?」
「ええ」
そして襟草は言う。
淡々と。
「僕、探偵って嫌いなんですよ」
「……は?」
「僕の探偵が嫌いなところは二つ。
一つ。推理を披露するまで『まだ確証がない』とか言って誰にも考えを明かさないところ。情報共有したらもっと早く事件が解決するかもしれないだろ、お前まさか自分が世界で一番賢いとでも思ってんのか自惚れるのも大概しろよって感じですよね」
「そ、そんな探偵ばっかりじゃないと思うぜ? ほ、ほら! 例えば波葦とか――」
「二つ」
男の言葉を遮って、襟草は続ける。
「推理が終わった後、犯人のことなんてなんでもお見通しみたいな顔して偉そうに説教するところ。何よりあれが一番癪に障ります」
「な、なんで?」
「なんでって……そんなの、決まってるじゃないですか」
襟草は静かに笑って答えた。
「犯人のことを一番よく知ってるのは――被害者なんですから」
※
【次のニュースです。
昨日午後五時過ぎ、T県Y市在住の男、段々彫やいと三十一歳が殺人未遂、および傷害致死の疑いで逮捕されました。
警察によりますと段々彫容疑者の自宅からは、十件にも及ぶ殺人を計画した綿密な文書と、犯行地点を書き記した地図、そして大量の波葦徹氏の写真が貼られていたということです。
調べに対し段々彫容疑者は『波葦に認めて欲しかった。自分のことを思い出してほしかった』と容疑を認めているということです。
また「こんなはずじゃなかった」「あいつに出会わなければ」などとうわ言のように繰り返しており、警察は精神鑑定も含め、捜査を続けていく方針です】




