第14話 取材②〜凛の将来の夢〜
足湯でまったりした後、俺たちは目的の温泉に向かうためバスに乗車した。
「お、ちょろタンですか」
バスの座席。
受験生の必須アイテムである『ちょろあま英単語』を開くと、凛が感心したように口を開く。
「スキマ時間を制する者が受験を制する、ってな」
「素晴らしいです」
ぱちぱちと、凛が控えめに手を叩く。
「では透くんに問題です、”Hot spring”とは、どういう意味でしょう?」
俺が得意になっていると、凛が人差し指を立てて訊いてきた。
「……アツい春?」
「もっとマシな翻訳があったと思うんです」
「やめて!? そんな床に落ちた割り箸を見るような目をしないで!?」
「ヒント、今向かってます」
「……停留所?」
「大喜利大学だと合格するんじゃないですか?」
「半点小笑いで失笑必至だな」
答えは”温泉”であることを、今日一番の学びとして覚えておこう。
「そういえば凛って、志望校決まったんだっけ?」
ふと、気になって尋ねる。
「えっと、今の所は……」
前置きして、凛は第三志望までの大学名を言葉にした。
「すごいな、どこも名門じゃないか」
「将来やりたい業種に、少しでも就ける可能性を高めたくて」
そういえば、と気づく。
俺は凛の、将来の夢について知らない。
聞くタイミングもなかったと言えるし、あえてそういう話題を避けてきた、ともいえる。
「……ちなみに、やりたいことって?」
尋ねると、凛は間をおいて短く答えた。
「……その、小説の編集さんに、なってみたいなと」
一抹の驚きと、大きな納得感があった。
「編集さんか、すごいな」
脳裏に、自分の担当編集の顔が浮かぶ。
甘海さん、夜な夜なウェイする女子大生みたいな人だが、作品に対する意見はとても本質的で鋭かった。
彼女の指示通りに修正を施すと、まるで魔法がかかったかのように作品が面白くなったものだから、編集さんってマジですごいなーと月並みな感想を抱いたものである。
「ちなみにそれって……俺の影響受けてたりする?」
「ダイレクトに受けてますね」
言って、凛はちょっぴり恥ずかしそうに目を伏せた。
「気づいたんですよ」
「なにに?」
「もう10年近く、透くんの小説を読んできて、感想もたくさん書いて……。私はやっぱり、小説が好きなんだって、気づいたんです」
優しげに目を細める凛。
「それと、透くんの書籍化が決まった時……私、自分ごとのように嬉しかったんです。ずっと応援してきた作品が、世に出ることになって……そうですね、やっぱり嬉しいとしか、言えないのですけども」
両の掌を合わせて、言葉を紡ぐ。
「自分が関わった作品が世に出る、私の知らない街で、知らない誰かがその本を手に取る、その本を読んで、面白い、って言ってくれる……想像したら、ああ、なんか、いいなって、思ったんです」
くしゃりと、凛は心底嬉しそうに破顔した。
息を忘れて見惚れてしまいそうになるほどの、笑顔だった。
と思ったら、すぐに「はっ」として頬をほんのり赤くする。
「す、すみません急に」
「いや」
首を振る。
手を、伸ばす。
「めっちゃいいと思う」
ぽんぽんと、凛の頭を撫でる。
「凛なら絶対に、良い編集になれるよ」
思う、じゃなくて、言い切った。
心の底からそう思ったから。
これまで貰った、ニラさんこと凛の感想を思い返す。
時には賛辞を、時には叱責を、時には指摘を。
毎日のように前に進む力をくれた凛は、俺の読者でもあり編集でもあった。
凛がいたからこそ、俺は最後まで諦めず書き切ることができたと、確信を持って言える。
凛は聡明で、優しい心の持ち主だ。
結果が出るよう導きかつ、作家の心にも寄り添える、素晴らしい編集になれるだろう。
「ありがとう、ございます」
恥ずかしそうに、凛は再び目を伏せた。
その仕草が愛おしくて、俺はもう一度凛の頭に手を充てがう。
同じタイミングで、バスが目的の停留所についたことをアナウンスで知らせた。
目的地は、もうすぐそこだった。




