第9話 愛しき妹との平和な一コマ
「ただいまー」
「おかえりおにいー」
帰宅すると、間延びした声が俺を迎えてくれた。
晴れて小学六年生になった妹の花恋は、ソファに寝転がりスマホを弄っている。
「打ち合わせ、どうだったー?」
「昼下がりのカフェ、からんと踊る氷の音。たった1つの小説を巡る議論は白熱の一途を辿り」
「いやそこいきなり小説家ぶんなくていいから」
「ちょーたのしかった!」
「語彙力崩壊するくらい最高だったってことね」
「流石は我が妹、よくわかってる」
「うっさいきもい近づかないで」
「そうかそうかー、そんなにお兄ちゃんのことが好きかー」
「離れてってばもう!」
花恋に振り払われたので仕方なく椅子に腰を下ろす。
昔は「にーにだーいすき!」と駆け寄ってきてたというのに、ううっ。
「言った覚えも駆け寄った記憶もない! 勝手に記憶を捏造しないでくれる?」
「やべ、声漏れてたか!」
べしっと肩口を叩かれる。
反抗期の気難しさに憂いていると、飼い猫のシロップが「にゃーん」と高めの鳴き声を漏らしながらやってきた。
「そうかそうかー。シロップも俺のことが好きかー」
「さっさと飯寄越せゴミ雑巾だってさ」
「下僕より立場下がってない?」
にゃー。
「ほこりに思え、ってさ」
「誇りなのか埃なのか気になりますねシロップさん」
にゃーん。
お、エサの催促だな?
だがしかし、ここで甘やかしてはいけない。
キャットフードという名の愛情を存分に享受したシロップ。
最近、いよいよ恵方巻きと区別がつかなくなってきたのでそろそろ心を鬼にして食事制限を行わねば。
にゃーにゃー、すりすり。
鬼に、せね……ば……。
もふもふおててをちょいちょいちょい。
…………。
ざらざらざら。
「こーらおにい! なに無言で餌やってんの!?」
「はっ、俺は一体何を!?」
偉大なるもふ神様の導きにより無意識に奉納していたようだ。
「敵に操られて仲間を殺そうとしたキャラっぽく誤魔化そうとしてもダメ」
「なかなかピンポイントな比喩表現きたね」
流石は我が妹である。
とはいえ食べ過ぎは良くないので、量はいつもの半分に留めておいた。
長生きしてほしいからな。
「おにいの小説、いつ発売なの?」
シロップが奏でるカリカリ音をASMRの要領で堪能していると花恋が尋ねてきた。
「んーと、今のところ11月予定」
「半年後? 結構かかるんだね」
「本にするにはいろいろ工程があるのと、その月の出版枠の関係とかでちょっと遅めらしい」
「へええ、そうなんだ」
ふんふんと頷く花恋。
「本になること、ネットでは公開した?」
「まだだな。告知はいつでも出して良いって言われたけど、もう少し経ってから公開しようと思ってる」
「なんですぐ出さないの?」
「発売は半年後です、よりも、三ヶ月後です! の方がテンション上がるやん?」
「あー、なるほど。発売まで日が短かったら、もうすぐだ! ってなるもんね」
「そういうこっとん」
「ふうん」
「どした、神妙な顔して」
「いや、なんだろう。おにい、本当に小説家になるんだなーって」
珍しい生き物でも見るように花恋が言う。
心なしか、眼差しに尊敬の色が浮かんでいた。
「そうだぞ、お兄ちゃん、なんと小説家になっちゃうんだぞ!」
「はいはいすごいすごい」
「もう少しリアクションあっても良いんじゃないかな?」
「やーだ、おにいすぐ調子乗るし」
「それは否定できない」
「これで出版詐欺だったらそれはそれでネタになりそうだよね」
「破滅フラグ立ちそうなこと言うのもやめような?」
書籍化が決まった日のうちに、俺は家族にそのことを明かした。
その時の家族RINEグループの会話は以下の通りである。
俺:わいの作品が本になるで!
パパン:詐欺か?
ママン:詐欺でしょ。
マイプリティエンジェルシスター:詐欺だね。
な ぜ な の か ?
すぐさま俺は、運営からの打診メッセージを添付し事実であることを主張。
3人とも半信半疑ながらも信じてくれ、米倉家のRINEグループはささやかな祝杯ムードに包まれた。
海外出張が多く、いつもはチャットコミュニケーションが中心の両親もその時ばかりは通話口で「おめでとう」を贈ってくれた。
つぎ家に帰ってきたときには、『息子の印税で焼肉を食う予行演習』という名目でパーティを開いてくれるとのことなのでお腹をすかせて待つことにしよう。
温かい家族に囲まれて、ぼかぁ幸せだね。
「でも、良かったねおにい」
花恋の声色に、春の訪れのような温もりが灯る。
「ああ、本当にな」
花恋はにんまりと表情に笑顔を咲かせた。
表面上は刺々しいが、心の中では祝福してくれているのだろう。
「おにいの本、出たら5冊買うって石川くん言ってたよ!」
「ほうほうそれは大感謝だぞ石川くん! と言いたいところだけど、5冊って3000円オーバーよ? 大丈夫?」
「お小遣いを100倍に増やす良い方法をヨーチューブの広告で知ったから大丈夫って言ってた!」
「うん、全然大丈夫じゃないね。サイン付き献本を渡すから、絶対にそのビジネスには手を出すなと伝えといてくれ」
小学生をネットビジネスにターゲティングするんじゃないと、最近流行りの胡散臭い漫画広告の配信主にドアノブが消える呪いを念じておく。
「てか石川くん、家来るんじゃなかったっけ?」
「あー、それなんだけど。おにいが小説家になることを教えたら「僕のようなクソザコナメクジが気軽に会いたいとか言ってごめんなさい! もっと人間磨いてから謁見させていただきます!!」だって」
「マジ今までどんな人生歩んできたの石川くん」
果たして、俺が石川くんに会える日は来るのだろうか。
まだ一度も会っていないのに存在感だけ大きくなっていく小学生六年生男児のことを考えているとスマホが通知音を奏で始めた。
「お、愛しの凛たそ?」
「なぜわかったし」
「家族と凛たそ以外、連絡先登録してないじゃん」
「俺のメンタルにボディブロー食らわすのやめような?」
くつくつと笑う花恋を尻目に、通話ボタンをプッシュ。
俺が口を開く前に、鼓膜にお馴染みの声が響く。
『もしもし』
「もぐもぐ」
『食事中でしたか。失礼しました』
「いや普通にボケただけだから切らないで!?」
『わかってますよ』
くすりと笑う声に、自然と口元が緩む。
スマホに触れる耳は冷たいけど、胸のあたりはポカポカだ。
『今日、担当さんと初打ち合わせでしたよね?』
「そうそう。正式に糖文社で書くことになって、これから本格的に書籍化作業に移る」
『おおー、すごいですね。本当に、おめでとうございます』
耳元で凛の声が弾む。
「ふっふっふ、これで俺も正式にプロの仲間入り! 我が独創力にかかればベストセラーなんぞ一朝一夕よ!」
つい嬉しくなって、いつものテンションで声を張る。
『…………』
通話口越しに、空気の機微を感じた。
それは、俺の心に小さなさざ波を起こす。
おや?
と思うも束の間、
「調子乗ってるおにい、きもい」
棘のある言葉が耳たぶに刺さった。
「恋しき仲には遠慮なし、てね」
「親しき仲にも礼儀ありみたいに惚気ないでくれる?」
「石川くんと達者でな」
「ゆ、幸人くんとはそういうのじゃないから!!」
炎色反応みたいに顔を赤くしソファにぼふんと顔を埋める花恋に敬礼を送ってから、凛に尋ねる。
「悪い凛、花恋の襲撃を受けていた。して、要件は?」
『あ、はい。えっと……』
まごつく気配。
たっぷり10秒、それは続いた。
直感的に悟る。
様子が、変だ。
「なんか、あったか?」
トーンを落として尋ねる。
しかし、答えは返ってこなかった。
『よろしければで良いのですが』
代わりに、こんな提案を持ちかけられた。
『今から、会えませんか?』
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