第8話 初めての打ち合わせ②
「……以上が、出版するにあたっての弊社の条件よ」
「是非、糖文社で書かせてください!」
「もちろん、すぐには結論は出ないと思うから、今日一旦持ち帰っても……って、ええっ?」
ガタガタッ。
テーブルが身を震わせる。
「ほ、本当に? このタイミングだとまだ他の出版社からも打診が来るかもしれないから、条件だけ持ち帰ってしばらく様子見、という先生が多いんだけど」
甘味さんがおろおろ気味に尋ねてくる。
「大丈夫です。正直なところ、打診を頂いた時点で「なんとしてでもここで書く!」って決めてましたから」
糖文社といえば、業界の中でも三大出版社に数えられるほどの大手だ。
それだけでも「お、俺なんかが良いんですか!?」状態なのだが……本命の理由は別にある。
「俺、佐藤めーぷる先生に憧れて、小説を書き始めたんです」
「ああ、佐藤先生」
甘味さんは察したように手をぽんと打った。
忘れもしない、小学二年のある日の記憶。
日曜日の夜放送の『糖質大陸』にて超大物ライトノベル作家、佐藤めーぷる先生の特集が組まれていた。
佐藤めーぷる先生の情熱、生き様に、当時の俺は価値観をひっくり返されたかのような感銘を受けたものだ。
そんな佐藤先生の所属する出版社は──糖文社。
もう、説明は不要だろう。
我ながら安直だとは思うが、憧れの大先生と同じところで本を出せるなんて今の俺にとってはこの上ない名誉なのだ。
「佐藤先生とは、弊社のパーティで何度かお話したことがあるわ」
「ま、マジですか?」
思わず身を乗り出す。
「弊社では毎年、作家さんやイラストレーターさんを呼んで感謝祭を開催してて」
「ということは、ワンチャン会えたり……?」
「佐藤先生は確か毎年出席していたはずだから、会えると思う!」
「おおおっ。そのパーティには、糖文社で本を出したら出席できる的なやつですか?」
「もちもち。弊社で書籍化した暁には、バッチリ招待しちゃうよー」
「ああ、女神様! どこまでもついていきます」
秒で額をテーブルに擦り付け手を合わし、甘味教神を崇め奉る。
「あははっ、大袈裟過ぎー。ほら、顔上げて」
目線を元の位置に戻すと、可笑しそうに笑う甘味さんの顔立ちがあった。
嗚呼、神々しい。
「では、改めてよろしくお願いしますね、米倉先生。これからは私と、協力し合いながら良い作品を作ってこ」
「はい、女神様。これからよろしくお願いします」
「どんな呼び方でも良いと言ったけどそれはやめよ?」
「すみません、女神さん。ちょっと嬉しさがメーター振り切って興奮しすぎました」
「女神の方残すんかい!」
ビシッとツッコミを入れられてしまった。
どうやら信仰心が足りなかったようだ。
精進せねば。
閑話休題。
「今日、これから時間ある?」
お互いのドリンクが残り少なくなったあたりで、甘味さんが尋ねてきた。
「明後日の朝までならいくらでもお付き合いできます」
「カフェに二泊させて打ち合わせする出版社があってたまるかい。少しだけ作品内容についてお話したいなと」
「おお……」
凄い。なんか、小説家っぽい。
や、すでに片足突っ込んでいるわけだけど。
「したいです!」
「良い返事。じゃあ、全体の流れの修正だけざっくり話し合おっか」
赤縁眼鏡をくいっと上げた後、鞄からタブレットを取り出す甘味さん。
大きな画面には、俺の作品が縦書きのレイアウトで表示されていた。
「とりあえず、米倉先生の作品を縦書きにしたの巻」
「しゅごい、ちゃんとした本っぽい」
「これから本にしていくんだよ〜」
その言葉に、胸がじんと熱くなる。
残りのコーラを頭から被って夢かどうかを確かめたい衝動に駆られたが、もし実行すると甘味さんとの今後のコミュニケーションに支障が出かねないので我慢する。
「さて、まずは全体の構成からね」
甘味さん曰く、web小説で毎日少量ずつ読むのと、1冊10万文字程度の本を一気に読むとでは読書体験が全然違うらしい。
一冊の本的には削ったり付け足した方が本的には良いシーンが多々あるし、そもそも現状だと本にした際に規定のページ数に収まらないので大幅に改稿しないといけないとのこと。
「一番初め、プロローグのこの部分なんだけど」
甘味さんの持つタッチペンシルが、文章のひとかたまりを赤円で囲む。
「次の章で同じような説明があるから、ここの説明はがっつり削った方がいいね。次に、主人公のこの行動は序盤だとちょっと感情移入しにくい感あるから別のものにした方がいいかも。それから……」
タッチペンシルが次々と修正点を記入していく。
自分の書いた小説が他の人の目によってじっくり精査されているというのはなんとも不思議な感覚だったが、同時にたくさんの学びと気づきを得ることができた。
甘味さんが口を開くたびに俺は「ふむふむ」と頷き、時折「ははあ、なるほどお」と深い納得感を得ていった。
やはり、プロの編集さんは違う。
俺も今までそれなりに勉強してきたつもりでいたがレベルが違った。
思わず身震いしてしまったのは、店内の冷房が効き過ぎているからではないだろう。
じっくり小1時間ほどかけて、小説の全体の構成をざっくりと見直した。
「全体の修正はこんな感じかな」
よしっと、料理の最後のひと仕上げをした時みたいに額を拭う甘味さんに、俺は深々と頭を下げる。
「控えめに言ってめっちゃくちゃ勉強になりました。ありがとうございました」
「いえいえこちらこそ、お時間いただきありがとうございました。この赤文字で修正を入れたデータを後で米倉先生のアドレスに送信するから、家で確認よろしく」
「了解です!」
次の打ち合わせでは、全体の構成の指摘点を修正した原稿をさらにブラッシュアップするとのこと。
「それにしても、めっちゃハイテクですね。てっきり、プリントアウトされた紙束を睨めっこするかと思ってました」
「それはゲラだね」
「そんなに面白いですか?」
「それはゲラゲラ。えっと、ゲラ刷りといって、校正用に刷った原稿があるの」
曰く、全体の構成や描写など大枠の修正が完了したあと、誤字脱字や矛盾点の修正が待っているらしい。
そのフェーズでは実際にプリントアウトして、細かいミスを見つけていくんだとか。
ほうほうそういう工程があるのだなと頷いていると、甘味さんが恋話に興じる女子高生みたいな顔を向けて尋ねてきた。
「ねえねえ、この小説のヒロインちゃんって、モデルとかいたりする?」
「へ?」
予想だにしない質問に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ごめんごめん! いきなり変な質問しちゃったね。ただ、ずっと聞いてみたくて」
ページをスライドしながら、甘味さんは言う。
「完全に直感なんだけどさ……なんか、ヒロインちゃんが特に”生きてる”んだよねー」
直感、という割には確信に満ち溢れた瞳。
お腹のあたりが吹き抜けるような感覚。
息を吐き切ってから、口を開く。
「リアルに、幼馴染がいまして」
「やっぱり」
予想的中!
と、甘味さんは子供みたいに手を叩いた。
「そうだと思ったんだよねー! 描写の密度とか、性格の奥行きとか他のキャラと比べてレベチだったもん」
「そんなに。やっぱ、わかるものなのですか?」
「わかりやすいくらいね。ヒロインちゃんに対する思い入れが強いんだなーって」
甘味さんの目が、優しげに細められる。
「読んでいるとね、伝わってくるの。書き手がそのお話に込めた想いとか、一文一文の中に込められたメッセージとか」
どこか羨望を含んだような表情で、甘味さんは言葉を紡いだ。
「米倉先生の作品は、ヒロインちゃんに対する愛に満ち溢れてた」
──それが一番、感動したわ。
続けられた言葉に、胸のあたりがきゅうっと締まった。
嬉しかったんだ。
俺が一番書きたかったこと。
見て欲しかったところ。
それがしっかり、伝わっていた。
身も心も震えるような思いだった。
気がつくと、甘味さんの笑顔がニコニコではなくニヤニヤに変わっていた。
「ねね、写メとかないの?」
「300兆円頂きましょうか」
「国家予算! 黒マントのヤブ医者も請求しないよそんな金額」
「そりゃあ、プライスレスですので」
「見ちゃだめ?」
「……別にいいですけど」
そこまで興味を惹かれる事だろうか。
ぽちぽちとスマホを操作し写真フォルダを開いた後、先週猫カフェ撮影した凛の画像を映して渡す。
「ふおおおおなんぞこれ!? イメージ通り……どころじゃない、まんまそのまんまじゃん! というか、とんでもない美少女!」
スマホを食い入るように見入るその姿はSSRのキャラを引き当てた廃課金プレイヤーの如し。
「名前はなんて言うの?」
「凛です」
「凛ちゃん。名前も可愛い……凛ちゃん、へぇー凛ちゃん……」
今日まで全く見ず知らずだった人に、最愛の人の名を綴られると言うのはなんとも妙な感覚であった。
目元を穏やかなものにした甘味さんが続ける。
「大事なんだね、凛ちゃんのこと」
「はい、宇宙一大切です」
言うと、甘味さんは言葉を飲み込んでカップに口をつけた、何度も。
ずずっと音がたつごとに甘味さんの笑顔が深くなっていくのでどうしたんだろうと首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いやぁ……はは……」
もじもじと身を擽ったそうに揺する甘味さん。
「そこまで言い切るとは思ってなかったから、こっちが照れちゃった」
言われて、俺は自分が非常に小っ恥ずかしい発言をしたことに気づく。
店員さんが操作をミスって冷房を暖房に切り替えてしまったのか、顔が熱い。
「いやぁ、良いもの見させてもらったわ。ありがとう」
お礼と一緒に、スマホが手元に返ってくる。
照れの残滓をコーヒーと一緒に流し込んでから、甘味さんがぱんっと手を合わす。
「さて、じゃあ、今日はこんな感じで終わろっか」
「はい! 今日はありがとうございました」
頭を下げると、視界にすっと手が差し出された。
「これからよろしくね、米倉先生。一緒に、良い本を作ってこ」
その手を控えめに握り、目線を合わせて言う。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
最後に軽く今後のスケジューリングや納期の事などを話して打ち合わせは終了した。
甘味さんと別れて一人になる。
胸中はわくわくとドキドキが踊りっぱなしであった。
いよいよ、自分の書いた小説が本になる。
そう思うと、いつもの帰り道すらきらきら輝いて見えた。
「面白い」「甘い」と思っていただけましたら、
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