第7話 初めての打ち合わせ①
猫カフェデートからちょうど一週間後。
昼下がり、近所のカフェの一席。
「それじゃあ打ち合わせ、始めよっか!」
対面に座る女性の元気な一声で、俺の背筋がピンと伸びる。
「よ、よろしくお願いします!」
ばっと頭を下げると、勢い余って額を机に衝突させてしまった。
痛覚の刺激も忘れて慌てて顔を上げる。
良かった。先ほど注文したコーラとコーヒーはどちらも溢れていない。
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫です、大丈夫です!」
額を手で摩りつつ、ぺこぺこと頭を下げる。
「すみません、いきなりギャグみたいな事して」
「ううん、気にないで! 初めてのことだもんね、緊張しちゃうのも無理なし無理なし!」
そう言って、女性はにこやかな非営業スマイルを浮かべた。
さて。なぜ俺が昼下がりのカフェで大人の女性とテーブルを囲んでいるのか。
二週間前。日本最大の小説投稿サイト「小説で食おうぜ!」に投稿した自作小説、「世界一かわいい俺の幼馴染が、今日も可愛い」に書籍化の打診が来た。
その時の心境を二言で表すと、まさに驚天動地阿鼻叫喚であった。
食おうぜの運営から来た出版社からの引用メッセージを、今でも一言一句思い出すことができる。
“神野 綴様
始めてご連絡させていただきます。
私、株式会社糖文社ライトノベル文庫編集部の甘海亜里亜と申します。
神野 綴様が小説で食おうぜで執筆されております
「世界一かわいい俺の幼馴染が、今日も可愛い」を
大変楽しく拝読いたしました。
最初はタイトルに惹かれ、「流行の兆しを見せている幼馴染みものだな」というくらいの認識で読み始めたのですが、まずヒロインの可愛らしさにやられました。
主人公とヒロインの掛け合い、地の文のセルフツッコミまでとても読みやすく、ぐいぐいと一気に読んでしまいました。
忙しい日常の合間に寄り添ってくれるような、そんな素敵な作品でした。
さて弊レーベル、糖文社ライトノベル文庫では現在、ラブコメ部門を強化すべく良作をどんどん世に送り出そうとしております。
誠に不躾ではございますが、もし神野様が弊レーベルに少しでもご興味をお持ちいただけるのであれば、一度面談の機会を頂戴することは可能でしょうか。
もしいただけるのであれば、ご都合お聞かせくださいませ”
なんで全文覚えてるかって?
嬉しすぎて1万回読み返したからに決まっているであろう。
嘘。1万回は超盛った。
でも、数え切れないほど読み返したのは事実である。
夢ではないだろうかという現実感の無さを払拭するように、これまで続けてきた努力の一分一秒を噛み締めるように、何度も何度も読み返した。
メッセージに対し俺は是非面談をさせて欲しいと返信した。
何度かメールでのやりとりを経て、満を持して今日、面談をセッティングした次第である。
「じゃあ、まずは自己紹介から始めよっか!」
女性が赤縁眼鏡をくいっとあげた途端、纏っていた朗らかな空気に糸を張ったような緊張感が混じる。
「改めまして、糖文社ライトノベル文庫編集部の甘味亜里亜です。本日はどうぞよろしくお願い致します」
耳馴染みのないビジネスライクな挨拶とともに、慣れた手つきで名刺を差し出す女性──甘味さん。
人生で初めて受け取る名刺からは、サイズ以上の重みを感じた。
「よ、米倉透です。今日はよろしくお願いします、名刺はまだ作ってません!」
ぎこちない動作でぺこりーと頭を下げる。
心臓はさっきからバックバクだった。
そんな俺のドギマギを察して気を遣ってくれたのか、それとも甘味さんは元来そういう性分なのか、
「そんな畏まらなくて大丈夫! 堅苦しいやりとりはおしまいっ、これからはラフにいこ、ラフに」
形式張った要素は一切ない、人と人との間にある壁を軽々と飛び越えてそうな口調で甘味さんは言う。
打診メッセージの文面だけ見ると、送り主は相当かっちりした人なんだろうと想像していた。
しかし、そのイメージは見事に覆されていた。
「私のことは甘味さんでも亜里亜さんでも、あーみん、あーちゃん、好きに呼んでね!」
一言で言うと、超軽いノリだった。
大学の遊んでるサークルとかに居そうな感じ。
編集さんってもっとお堅いイメージだったけど、そうでない人もいるらしい。
とはいえ、堅苦しい空気が苦手な俺にとっては好都合だった。
この人相手ならボケて良さそうだと、ラブコメ書きの魂が疼いてしまう。
「わかりました。 『あああ』さん!」
「それ、ゲームキャラに適当に付けた名前じゃん! 確かに苗字名前の中に『あ』は3つあるけど!」
「じゃあ、トリプルAさん?」
「うん、それは音楽業界あたりから怒られそうだからやめよ? ていうか、さっきから着眼点すごいね!?」
流石未来のベストセラー作家、米倉先生!
と、甘味さんがふんすと鼻息を荒くする。
先生呼びは流石にむず痒過ぎるのでそれこそラフ呼びを進言しようと思ったが止めた。
これがこの業界でのスタンダードなのかもしれないという想像と、「米倉先生」という呼称がシンプルに琴線に触れたからだ。
なんか、小説家っぽくて超イイ。単純ここに極めりである。
「予想はしてたけど、米倉先生、すごく若いね? 学生さん?」
「あ、はい。今年で高校三年生になりました」
「高校生! 凄いっ、若いっ、眩しい!」
目が、目がぁ~!!
と脳内でお馴染みのボイスが響いてきそうな動作をする甘味さん。
歳でいうと甘味さんと俺、そんなに違わないような。
という喉まで出かかった発言はすんでのところで飲み込んだ。
女性に年齢に聞くのは失礼ですよという、凛の教えのおかげである。
「いや〜でも、高校生かー」
甘味さんがまじまじと、物珍しそうな瞳で見つめてくる。
上野動物園のパンダのような気持ちになりつつようやく、俺はしっかりと甘味さんを観察するタイミングを得た。
年齢はやはり、俺とそこまで離れていないように見える、20代前半くらいだろうか。
細身の割には見事な双丘を胸部にセットしており、軽くウェーブのかかった金髪は肩口で切り揃えられいる。
穢れを知らない幼子のような瞳には赤縁のメガネ。
口元は柔らかく、相手に警戒心というものを抱かせない無防備さがあり美人というよりも美少女という表現の方がしっくりくる顔立ちであった。
そのためか、着用しているグレースーツは妙にアンマッチな印象である。
オフィスに籠ってバリバリ仕事というよりも、渋谷のハロウィンパーティでパーリナイしてる方がしっくりくる。
なんて失礼な事を考えていると、磨けば光る隠れ美少女を発見した服屋の定員さんみたいに目を輝かせ、甘味さんが言う。
「まさに、若き天才って感じ!」
「いやいやそんな……大袈裟ですよ」
褒められる機会が少ないものだから、肺のあたりがこそばゆい。
「ぜんぜん大袈裟じゃないよー! 若さは最強なの。『天才とは、意識的に回復された子供心である』って偉い詩人さんがいった通り、カチコチに凝り固まった大人頭とは違う柔軟な発想が出てくるのはそれだけで凄いの!」
「な、なるほど……!!」
その言葉には妙な納得感があった。
流石は大人というべきか。
納得させられたぶん肺が余計に擽ったくなって、俺は一気にコーラをあおった。
「他の作家さんって、大体おいくつくらいなんですか?」
「ラノベ業界だとそうだねー、20代後半から30代前半の方が多めかな? ある程度社会経験積まれてる人が多い印象!」
「へええ、そうなんですか」
「うん。だから高校生で小説家はめちゃくちゃ凄いと思う。キャリア的には脚色抜きで充分、ベストセラー作家を狙えるよ!」
ベストセラー作家。
その響きに憧れた書き手は数知れないだろう。
小説家になれた僅かな人々の中の、ほんの一握りの者に贈られる称号。
その称号を掴める可能性が俺にはあると、甘味さんは言う。
正直、身震いした。油断したら口元が緩んでしまいそうだった。
かといって天狗になることはない。
慢心するんじゃないと、心の中で自戒を込める。
狭い視野の中で調子に乗って、伸びきった鼻を見事にへし折られた中学生時代を思い出す。
あんな思いをするのは、二度と御免だ。
「まだ始まってすらないので。そういうのは、売れてから考えます」
「歳の割に冷静! えらい!」
おねえさんも見習わないと!
そう言って頷く甘味さんの傍ら、俺は内心で最愛の幼馴染に感謝の言葉を贈った。
俺が調子に乗って暴走するたびに、凛は何度も冷静な言葉をかけてきてくれた。
そのマインドはしっかりと、俺の胸に刻まれている。
「おっとといけない! つい雑談に走っちゃったね。ごめんねー、悪い癖で」
「いえいえ、むしろ堅苦しいのは苦手なので、ありがたいです!」
「お、超嬉しい! じゃあ、ちゃちゃっと本題にいこっか」
コーヒーを一口含み、改めて姿勢を正してからくいっと、甘味さんは赤縁眼鏡をあげてみせた。
真面目モードに切り替える時の癖だろうか。
「まずは、私の所属する糖文社から出版するかどうか意思確認ね。弊社から出版するにあたっての条件……印税率や刷り部数についてなんだけど……」
小説家を目指している途中、何度も夢に見たシチュエーション。
『編集とカフェで打ち合わせ』が始まった。




