第4話 もしかして
20世紀最大の物理学者アインシュタイン曰く「時間は相対的」らしい。
これだけ聞くとなんのこっちゃだが、「熱いストーブの上に手を置くと1分が1時間に感じられるが、好きな女の子と一緒に居ると1時間が1分に感じられる」という風に例えるとわかりやすいだろうか。
凛と過ごしていると、時間がエナジードリンクを飲んだかのように全力疾走し始める。
それは、今日の猫カフェデートにおいても例外ではない。
「やべ、充電切れそう」
午後4時。
気が付くと、スマホの充電が「ケテ……タスケテ……」とSOSを発し始めた。
「写真、撮りすぎです」
凛が腰に手を当て下向きに息を吐く。
「こいつは役目を全うしただけだ。悔いはないだろう」
「悔いがないのは透くんのほうでしょう」
「あは、バレた?」
「てへぺろ顔気持ち悪いんでやめてください」
「辛辣ぅ!」
「しょうがないですね」
と凛がショルダーバックに手を伸ばす。
「充電器持ってきたのですが、使いますか?」
「お、マジか。オラに電気を分けてくれ!」
「今にも地球が滅亡しそうなこと言いますね」
「亜魔人プーとの最終決戦はアツい」
凛はショルダーバックから、パステルピンクのポーチを取り出した。
そのポーチを目にした途端、ビリリと脳髄に電流が走った。
「どうぞ」
「……」
「……どうかしましたか?」
「あ、いや」
自分でもよくわからない。
ただ、不意に沸き起こったのだ。
胸を押さえたくなるような懐かしさ。
バラバラだった回路が繋がりそうな感覚。
さっきも、同じような感覚を抱いたような……。
「……なんでもない」
説明するにしては情報量が少な過ぎるし、雑談にするにしても微妙すぎるため、流す。
「そう、ですか?」
クーラーから生ぬるい風が出てきた時みたいな反応。
凛は怪訝そうに眉を顰めたが、それだけであった。
スマホに元気を注入している間、店内を軽くもう一周する。
ラーメンのスープを最後に一口すするように、じっくりもふもふを堪能した。
「そろそろ行くか」
「ですね」
その時、下腹部が「オナカ……スイタ……」とSOKを発信し始めた。
さっさと・美味しいもの・食わせろ。
略してSOK。
「ちょうどいい時間ですしね」
「しっかり聞かれていた件」
「透くんがお腹を鳴らす時間帯は把握済みです」
「なにそれ凄い」
ふたり分のお会計を済まし、猫カフェをあとにする。
陽はすっかり落ちていたが、繁華街のネオンで目がピリピリした。
排気混じりの空気で肺を満たしながら、凛に尋ねる。
「なに食いたい?」
「MTが食べたいです」
「車かよ。えっと……マクサトの照り焼きバーガー?」
「ぴんぽん、大正解です。そんな透くんには、手動三輪免許をプレゼント」
「三輪車かよ」
中身空っぽな会話に興じつつ、最寄りのマクサトー・ワールドに入店する。
嗅ぎ覚えのある紙袋、食欲をそそる油の匂い。
「透君も照り焼きのセットですか?」
「もち!」
「では、ここは私が」
「大丈夫だ、問題ない」
財布を出そうとする凛に手のひらで制する。
「それは申し訳ないです。さっきも出していただいてますし……」
「申し訳ない返し! 俺こそ、凛には今までこれでもかってくらい味覚を楽しませてもらってる」
これまで凛が振舞ってくれたお弁当、手料理。
それらを鑑みると、デート代なんて安いものだ。
という意図は、伝わったらしい。
「なる、ほど……?」
納得したけど釈然としない、みたいな表情。
「とにかく、ここは出させてくれ。凛にはいつも、お世話になりっぱなしだからな」
言ってて湧いてきたむず痒さを胸に抱き、頬を掻きながら、早口で言い置く。
「いつもありがとう」
きゅっと唇を結んで、ほんのりと赤い頬を隠すように俯いてから、
「こちらこそですよ……」
凛は、嬉しそうに呟いた。
◇◇◇
テーブル席。
乾いたバンズと照り焼きソースが織りなす絶妙なハーモニーを楽しんでいる最中。
ふと顔を上げると、視界に天使が現れた。
なんて言うと、バーガーに幻覚作用を促すアカン成分が入っていたみたいな響きだけど、単なる比喩表現である。
口元を綻ばせ、凛はまるで数日ぶりに食べ物を口かの如く照り焼きバーガーを頬張っていた。
もっもっもっとバーガーに齧り付く姿は、心の底から「幸」の感情が溢れ出しているかのよう。
「好きだな、ほんと」
言うと、凛はこくんと喉を鳴らし烏龍茶に口をつけた。
そして慈愛に満ち溢れた優しい笑顔を浮かべて言葉を紡ぐ。
「大好きですよ」
心臓が爪楊枝で突かれたみたいに飛び跳ねた。
頭の中で都合の良い変換機能が働いてしまったっぽい。
淡い笑顔で、真っ直ぐに見つめられて放たれた”大好きですよ”
そのフレーズは爆裂魔法もかくやという破壊力を持って爪先から脳天まで駆け抜ける。
わかりやすく硬直する俺に凛は「???」と首を傾げていたが、やがて合点がいったのか、
「てっ、照り焼きバーガーがですよっ!?」
小さな耳を朱に染めて上擦った声をあげた。
「わわわわかってるわいっ」
バクバクとうるさい心臓を宥める。
小学生カップルのコントかと内心で突っ込んだ。
「あの……」
先に落ち着きを取り戻した凛が、人差し指をちょいちょい。
“ちょっと耳貸してください”のジェスチャー。
未だに収まらない鼓動を気にしつつ、頭を凛の方へ近づけると、
「もちろん、透くんも、大好きですよ?」
耳元でエクスプロージョンが炸裂した。
悶絶性心不全を起こすかと思った。
いやもう今、一瞬心臓止まった、絶対に。
もう随分と長い付き合いなのに、恋人同士になったのに、未だに慣れない。
好意をストレートに伝えられる、という事には、本当に。
「……」
「……」
気まずい沈黙。
俺も凛も、血をそのまま映したみたいに赤面していることだろう。
「の、飲み物追加で買ってくるけど、凛もいる!?」
「そ、そうですねっ。ちょうど無くなりそうでしたっ」
示し合わせたかのように会話の舵を切った。
これぞ幼馴染シンクロ。いや、今は恋人か。
「飲み物代くらい出させてください」
「大丈夫だ、問題な」
「さすがにこれ以上は私の気が収まりません」
僅かに強い語気、真面目なトーン。
ここは押し切るべきではないと、幼馴染歴10年の察知能力が働く。
「……わかった。じゃあ、ここはお言葉に甘えて」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、凛がポーチから財布を取り出す。
パステルピンクの、二つ折り財布。
──脳髄に、稲妻が走った。
“シロップちゃんにとって、透くんは恩人ですから”
猫カフェでの凛の言葉。
“充電器持ってきたのですが、使いますか?”
凛が取り出した、パステルピンクのポーチ。
そして……パステルピンクの二つ折り財布。
沸き起こる。
もはや朧げで、手を伸ばしたら消えてしまいそうなほど、古い記憶。
肩口を濡らす雨。
ぐしょ濡れた段ボール。
スマホサイズの身体を震わせながら、懸命に鳴き声を上げる子猫。
──子猫を覆う、パステルピンクの傘。
「透、くん?」
動きを止めた俺に訝しげな表情を向けてくる凛。
「……唐突に変な質問で悪いんだけど」
落ち着かせるように息を吐く。
そして、まだ纏まりきっていない問いを、投げかけた。
「シロップに傘をあげたの、もしかして凛?」
凛の動きが、静止した。
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