第2話 まったり猫カフェデート
手動ドアをくぐり抜けると楽園であった。
なんて書くとやべー店に来たみたいな響きだけど、全然そんなことは無いので安心してほしい。
30匹の猫ちゃんと、お洒落な内装が定評の猫カフェ。
店内のどこを見回しても必ず猫ちゃんが目に入る、もふもふの楽園と表現するにふさわしい場所であった。
「…………」
「石化の魔法と、口元がゆるゆるになる魔法を同時にかけられたみたいになってるぞ」
「へあっ」
ばっと、桜色の唇を手で覆う凛。
「気のせいです、見間違いです。透くんこそ、幻覚魔法にかかってたんじゃないですか?」
「来ました、伝家の宝刀『清々しいシラ切り』」
「私は好きですよ? ぷつぷつとした食感が堪らないんです」
「それしらたきな」
口元の緩みを隠し切れてない凛を見て、俺は心の中で拳を天に掲げた。
凛が大の猫好きであることは、幼馴染である俺がよく知っている。
シロップ(飼い猫:俺を下僕と思ってる節がある)を前にした時の凛はそれはそれは幸せそうで、絵にして飾りたくなるような笑顔を見せてくれる。
一匹だけでもそんな有様なのにそれが数十匹となればどうなるか、もはや説明は不要だろう。
「ほら、透くん。はやく、はやく」
遊園地に来た娘に手を引っ張られるパパの疑似体験をしつつ、いざ楽園へ。
まず目に止まったのは、へにゃりと力無く耳を折りたたんだ茶トラ猫。
フローリングの床にごろんと背中を預け無防備にお腹を晒している。
ほれほれ可愛いだろ的なあざとさのない、自然体の姿がなんとも愛くるしい。
「スコティッシュホールドちゃんですね」
「よく知ってるな」
「つぶやきったーに投稿された、尊み溢れる漫画のリプ欄でよく見ます」
「ああ、すこティッシュホールド! 仰げば尊死とか、センスあっていいよね」
「透くんはどうせ『俺ちょっとやらしい雰囲気にして来ます兄貴』を見てニヤニヤしてる口でしょう?」
「そそそっ、そんな事はないぞ!?」
くすりと、凛は小さく笑った後、
「変態さんですね」
弾んだ声を空気に乗せる。
俺もつられて、口角を少しだけ持ち上げてみせた。
凛が、茶トラ猫の顎先に繊細な指先を滑らせる。
優しく、大事な宝物を扱うかのように。
「かわいい……」
そのまま蕩けてしまいそうな声。
頬をほんのりと赤くして、凛は愛おしそうに目を細めた。
慈愛に満ち溢れた表情に、見惚れてしまう。
「透くん?」
「んぇっ?」
「ぼーっとして、どうしたのですか?」
「い、いや別にっ?」
猫じゃなくて凛に心を奪われてました、なんて言えないので伝家の宝刀『清々しいシラ切り』を発動させる。
「へんなの」
口に手を当てて笑う凛。
肺のあたりが妙に擽ったくなった。
誤魔化すように、俺もスコちゃんの頭に手を伸ばす。
「おお……」
滑らかな肌触り。
汚れひとつない毛並みからは、確かな体温を感じる。
何度か撫でていると、スコちゃんが自ら頭を指に擦り付けてきた。
なにそれ可愛い。
「猫ちゃんが頭を擦り付けてくるのは、愛情表現らしいですよ」
「なんやて」
「確か、猫ちゃんの頭部からはフェロモンが出ていて、擦り付けてマーキングすることで愛情を表現するとか」
「ほえー、そうなんだ。知らなかった」
「もふもふ界隈の常識です」
「なんだ、もふもふ界隈って」
突っ込むと、指先からゴロゴロ音が聞こえてきた。
「お前それどうやってんの?」と、猫に聞きたいこと第2位の音。
ちなみに第1位は「お前なんでそんなに可愛いの?」だ。
このゴロゴロ音の意味は俺でも知っている。
「この懐き具合を、シロップも見習って欲しいものだ」
「シロップちゃんのアレはもはやアレですよ。透くんがアレなので、アレなだけだと思います」
「なんでそこ伏せるの!?」
「透くんの心が傷つかないようにという、私の女神のような心遣いですよ」
「その心遣いが逆に辛い!」
いいもんねいいもんね。
俺にはスコちゃんがいるもんね。
しくしくと心で涙を流しながら撫でていると、
「あ」
スコちゃんは立ち上がって、とてとてとお尻を向けて去って行ってしまった。
先ほどまでの甘えたが幻だったかのよう。
「ちなみに猫ちゃんはとても神経質なので、構い過ぎてしまうと警戒して逃げてしまうのです」
「かなしい世界」
「なので、ほどほどに構ってあげるのが大切です」
「確かに、かにかに」
「カニの水揚げ量日本一位は北海道です」
「さっきから知識がすごいね!?」
さすが学年トップ成績。
素直に、尊敬する。
「凛はなんでも知ってるな」
「なんでもは知りませんよ。知ってることだけです」
「猫に魅せられた委員長もバッチリ履修済みか」
「当然です。物語シリーズはアニメ史に残る名作ですからね」
ふふんと鼻を鳴らす凛の頭に、自然に手が伸びる。
「んぅ……なんですか?」
「いや……なんか、撫で足りなくて」
「なるほど……」
なんですかそれ、とジト目で突っ込まれるかと思ったが、凛は大人しくされるがままだ。
きんぴらごぼうみたいに目を細くしている。
可愛い。
「……えいっ」
「ちょっ……!?」
突然、凛が俺の腕に頭をすりすりと擦り付けてきた。
衣擦れの音、こそばゆい。
ふわりと漂ってきた甘い匂いに狼狽える。
凛が上目遣い気味に見上げてきて、ぎこちなく一言。
「愛情、表現……です」
全身の血液が沸騰するかと思った。
すん、と塩対応モードになられるのは心に来るものがあるが、唐突に甘えたモードになられるのも、危険だ。
「えっ……と」
「や、ナシです、今のは、ナシです」
しゃりしゃり食感が定評な果物の名を口にしながらバッと身体を離し、あわあわと両掌をこちらを向けてくる凛。
「顔、りんごみたいだぞ」
「…………」
文字通り、凛の表情がみるみるうちにアップル色に染まった。
俺も多分、同じようになっている。
暑い。季節外れの暖房でもついてるんだろうか。
「つ、次はあの猫ちゃんを見に行きましょうっ」
「そ、そうだな!」
二人で示し合わせたかのように会話の舵を切った。
これぞ幼馴染シンクロ。いや、今は恋人か。
お互いに顔を赤らめたまま立ち上がる。
ゆっくりと、手を繋いで、次なる猫ちゃんズの元へ足を運んだ。




