44.奉織祭当日
いよいよ奉織祭当日。
風のない、よく晴れた初夏の晴れ日だ。
陛下がどのタイミングで春色さま――女性の姿を見せるのか、結局当日まで知らされなかった。
(一体どうなるのかしら)
祭は宮廷内の広場で行われる。
四角く色の違う石畳で区切られた広場から北には、壮麗な祭壇と陛下の祀られた神殿が設置されていた。その形は、神社の本殿によく似ている。
本殿の奥、御簾の中に陛下の姿がうっすらと伺える。
大きな翼を御簾から溢れるように広げ、白練りの衣の裾も存在感を示すようにひらひらと御簾の外まで垂らされていた。
(あれは……陛下、ご本人なのかしら)
その神殿の前方、広場の周りには、囲むように各県の諸侯や貴族、有力商人、神官らがずらりと集まっている。見るからに立派な人々が顔を連ねて圧巻だ。
広場の中心には十数機もの機織り機が並べられ、それぞれ色とりどりの生花が飾り付けられている。
貴族たちは家柄ごとに帳で区切られ、続いて帳のない庶民、大商家の席が並ぶ。
そこからさらに区切った遠い柵の向こう、衛士が守りを固めた先に――一般庶民がいっぱいに溢れていた。
控室から広場を覗く私の隣に、すっと大きな影が並ぶ。
「雪鳴さま」
「今年は例年より人が多い」
雪鳴さまは、普段はかぐや姫のように長く降ろした黒髪を金の装飾で艶やかにまとめていた。紺の衣に重ねた甲冑も、普段よりずっと立派なものだ。
「鶺鴒の巫女をひと目見らんと集まっているのだろう」
「そ、そうなんですね……」
「緊張するか」
「私はいつも裏方で……人前に出る機会は、ほとんどなかったもので……」
「案ずるな。祝詞を挙げるのも神祇官で、機織神事も慣れた巫女が行う。斎殿は落ち着いていればいい」
「はい……ありがとうございます」
帳に区切られた一角に、桜色の袴を身に着けた巫女装束の巫女達が待機している。
十代の未婚の彼女たちは慣れた様子らしく、穏やかな様子だ。少し濃い朱色の袴をつけた女性が、彼女たちにあれこれと指示しているのが見えた。
「宮中行事に詳しい女といえば、あれがいる。何かわからないことがあれば、聞けばいい」
「あれ、とは……あの朱袴の女性ですか?」
「妻だ」
「つ」
驚きのあまり思わず声が裏返る。
そのとき控室の向こうのほうから、桜色の袴を翻してぱたぱたと錫色がやってきた。
「さ、さいさまぁ~ こちら準備終わりました……!」
小声で報告に来た錫色は、雪鳴の姿に気づくとぴゃっと背筋を伸ばして挨拶をする。
「左翼官様! 本日は宜しくお願い申し上げます」
「うむ」
錫色はみるからに緊張している。
緊張と驚きと諸々で情緒がめちゃくちゃになっていたところで、錫色を見るとほっと和む。
「ほら、錫色。走ってきたから簪がずれてますよ」
「あ、ありがとうございます」
「少し整えて、待機室にもどりましょうか」
「はい!」
私は振り返り、雪鳴様に礼をする。
「それでは失礼します」
「世話を焼くと落ち着くのだな、斎殿は」
雪鳴様は珍しく、口元だけ柔らかく微笑んでいる。なんだかちょっと恥ずかしくなる。
私は錫色を連れ、もうすぐ始まる奉織祭の所定の位置に戻った。
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雪鳴様の言う通り、奉織祭のあいだ、私と錫色はほぼ待機するだけで時間が過ぎた。
広場から陛下のいる神殿に向かい、神祇官らが祝詞を紡ぐ。
神饌と神酒と榊を奉納し、巫女らが絹糸を受け取り儀礼的に機を織る。
一つ一つの内容は単純なものだが、足さばきから行動の順序まで厳しく定まっているので、行われる内容以上に時間が長く過ぎていく。
巫女らの機織神事が中盤にさしかかったところで、神祇官から目配せされる。
(出番だ)
私は錫色を伴い立ち上がった。
ざわ、と人々の注目が一身に集まるのを覚える。
鶺鴒の巫女として失敗できない。思った瞬間、全身をいいようのない緊張が刺し貫いた。
私は深呼吸をする。
(落ち着くのよ。落ち着いて――大丈夫)
そのとき。
ふっと、頭の中で懐かしい背中が浮かぶ。
眩しい光を浴びながら、人々の前で魔力を開放する母の姿。
遠い故郷――鶺鴒県の祭で『鶺鴒の巫女』として祭を行う、母の背中はとても憧れで、美しかった。
不意に目頭が熱くなる。遠い日に別れた母に、背中を押してもらえた気がした。
(お母さん。……私、頑張るから。見ていてください)
私は前をしっかりと見据え、神殿の陛下の姿に一礼する。
そして一歩一歩広場を回るように歩を進めた。
祈花と呼ばれる花びらの入った籐籠を抱え、機織りを続ける巫女たちの周囲をめぐり、祝詞の歌を詠いながら花びらを会場に撒く。
「――」
花吹雪が風のない晴天の空の下、ぱっと舞い、散っていく。
機織りの巫女を清浄なる結界で祓う儀式。
時計回りにぐるりと会場を回る私が一周した所で、予想外の事がおきた。
「――!!」
空になった花籠の代わりを持ってきたのが、女性の姿を取った陛下だったからだ。
他の巫女たちと同じ巫女姿に、柔らかな美貌を面紗なしにさらけ出している。
祈花を散らす風といっしょに、陛下――春色さまの象牙色の髪が揺れ、紅をさした唇が微笑む。
美しさにぞくりとする。
「はじめまして。鶺鴒の巫女様」
陛下(女性化)は私を前に、花がほころぶようにふわりと挨拶した。
いきなり登場した美女に、会場の注目が『鶺鴒の巫女』から彼女に移ったのを感じる。
(どの機会で出るかは、教えてくれなかったけれど――確かに、この機会なら)
来場者の興味が私にたっぷり注がれた後に、目立つ私の目前に突然現れる桜袴の美女。
彼女一人だけで出たら唐突すぎて『鶺鴒の巫女』の注目が削がれる。
かといって目立たなければ、彼女がここに出る意味がない。
私と錫色――小柄な女と一緒に並び立てば、彼女の女性らしい体格が目立つ。
そして春色さまの柔らかな手が、私へと籐籠を手渡す。
象牙色の髪を綺麗に結わえ、花を飾った彼女はとても美しい。
「東方国にお越しいただき感謝いたします。左翼官・錐屋雪鳴の妹として、東方国の婦人を代表しお礼申し上げます」
琴をやわらかく爪弾くような、色めいた声。
彼女は『鶺鴒の巫女』相手に深い礼をして、下がる。皆の注目は彼女に集まっている。
私は彼女から受け取った籐籠を持ち、再び神殿へと目を向ける。
御簾の向こうには、陛下の翼と裾が見える。
(あの中には、やっぱり――陛下以外の人がいるのね)
私は最後まで祈花の散布を済ませ、控えの席へと戻る。
静かに息を吐く。指先が震えている。
――そして滞りなく、奉織祭は終了した。
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