レイミ・コングレードの事情
コミカライズ1巻発売記念☆
「ところで、レイミはどうなっちゃったの?」の解決編。
ご都合主義ではございますが、ご笑納いただければ幸いです。
「レイミ、君が学校を卒業したら結婚しよう」
普通であれば胸がときめくその言葉は、私にとって絶望でしかなかった。
シーランド・サーシェル様の騎乗する馬で片足を負傷し、片足を失うことになったのに。彼は、私の人生まで奪おうとしている。
そう理解したとき、私の心は絶望に閉ざされた。
「――もう、死んでしまいたい」
こぼれ落ちた言葉が、夜の闇に溶ける。
目の縁から枕へと、とめどなく涙がこぼれ続け、頭の奥ががんがんと痛みを発している。
「神様……神様、どうか、どうか私に、安らぎをください。この身は、お返しいたしますから、どうか、もう、この世界の理から私を解放してください」
そう強く、強く願っているうちに、意識がすぅっと枕の下へ抜けていく感覚に陥った。
暗闇のなかに、私は在った。
神様は、私が願ったとおり、私の体を受け取ってくださり、私を世界の理から解き放ってくださったのだろう。
安堵が私を支配する。
ああよかった、もうあの片足を失った体はいらない。時折苛む、失ったはずの足の痛みに、狂わされそうになることもない。そして、あの男と添い遂げる必要もなくなった。
すべてからの開放を感じながら、暗闇を漂う。
上も、下も、右も、左も、なにもない世界。
心細さはない、不安もない、ああ、これが『死』なのだと理解する。
どのくらいたったのかわからないなかで、自分が移動しているのを感じた。
ここが『死』だと思っていたけれど、違うのだろうか。
不意に不安になる。
自分がなにかに吸い寄せられているのに気づいたと同時に、その『相手』の過去が、怒濤のように私に流れ込んでくる。
生まれてからの成長の記録。
私が住んでいたのとは違う世界があるというのを知った。
一瞬なのか途方もなく長い時間だったのか、時間という『概念』そのものがないなかで、私は彼女と、彼女の世界を知る。
彼女の世界はいつも色鮮やかで、彼女の境遇も決して穏やかなものではないのに苦も楽もたのしみ、時に人を傷つけ、自分も傷つきながらもしなやかに生きていた。
「羨ましい……麗美華、私もあなたのように生きたかったわ」
胸にぽつりと湧き上がった思い、その瞬間私が一気に加速する。
そして、入れ違いに肉体からあふれた彼女の意識が私をすり抜けていった。
「ああっ! 駄目! 麗美華っ! そっちはっ!」
咄嗟に叫んだ声は、私のものよりも幾分低めだった。
虚空に伸ばした手は、昨晩手入れをしたカラフルなネイルで、勢いで起き上がった体は、ジム通いの成果なのかとても軽かった。
呆然と自分の体を見下ろし、一昨年から彼女が住んでいる1LDKのマンションの寝室を見渡す。
すべて知っている、だってずっと見ていたのだもの。
ベッドの上にへたり込み、両手で顔を覆う。
「ど……して? 私が、麗美華を羨ましいと思ったから?」
泣きたいのに涙は出てこない。それはそうだ、麗美華はこの程度のことで泣くような女性ではないから。
ベッドを下りて遮光カーテンを開けると、夜なのに明るい外の景色があった。
信じられないのに、平然と受け止めている自分がいる。
麗美華の生涯を見ていたあの闇の空間は、私にこの体を与える下準備だったのだろう。
では麗美華はどうなったのだろう。
麗美華も同じように、あの空間で私の生い立ちを知り、現状を知って私の体を得たのだろうか?
きっと、そうなのだろう。
彼女ならば、あの、私の状況をどうにかしてくれる。彼女の強さがあれば、きっと……あの『クソ男』オブザイヤーのシーランド・サーシェルをぶっ飛ばしてくれるはずだ。
自分の考えに、思わず握りこぶしを作り、力強く頷いてしまう。
「とすれば、私は明日の『ケーキバイキング』に備えて休むべきですね」
窓際の机の上には、チユキ様からいただいた、ケーキバイキングのカラフルなチラシが載っている。一ヶ月も前から予約して、麗美華が楽しみにしていたものだ。
なには無くとも、これだけは行かなくてはならない。
そしてやってきた、待ち合わせ場所。
服装は麗美華がかねてより用意していた、ゴムタイプのロングキュロットにふわりとした生地のシャツを合わせていて、どれほど食べるつもりだったのか意気込みが伝わります。
緊張しながら待ち合わせよりも早い時間から待っていた私の前に、ハイネックの丈の長いワンピースに、ボレロ丈のジャケットとロングブーツを合わせた、スレンダーで凜々しい雰囲気の女性がやってきた。そして、胡乱な視線を私に向けた。
「……アンタ、誰?」
私と会うなり、怪訝な顔になったチユキ様のご慧眼に、私は居住まいを正した。
麗美華よりも頭半分ほど長身で、インナーカラーを入れたショートボブの髪、私を品定めするようにじっと見てくるその視線は鋭い。
「麗美華じゃないよね? そっくりさん、ってわけでもない。どういうことなの」
低い声で問われて緊張したものの、こんな往来で話をするには重すぎる。
「ご説明は、ケーキを食べながらでも、よろしいでしょうか」
目と鼻の先にあるケーキバイキング会場のあるホテルに視線をやってから時計を示すと、彼女は渋々といった風に頷き、先に立って颯爽と歩き出した。
予約時間ぴったりに店に入り、席に案内されるとすぐに彼女の鋭い視線に晒される。
「それで、どういうことなの。って聞きたいのはやまやまだけど、まずは腹ごしらえしてからにしましょう」
彼女の提案で、テーブルの上は、紅茶とそれぞれが取ってきたケーキがところ狭しと並んだ。
「まずは、いただきます」
両手を合わせてそう宣言してフォークを掴むと、彼女も同じように宣言してフォークを取った。
「とても美味しいですっ! 念願のフルーツタルト、最高ですっ」
「……確かに、ソレ目当てで一ヶ月前から予約してたけど、なんでアンタがソレを知ってんのよ」
食べ進めながらも、彼女が複雑な表情で聞いてくる。
「実は、信じられないかもしれませんが。私はこの世界とは違う世界からやってきた、レイミ・コングレードと申します」
私が胸に手を当てそう自己紹介すると、彼女の目が大きく開かれた。
「肉体は麗美華サンで、意識だけが私、レイミになっております」
「……マジで?」
窺うように聞いてきた彼女に私は真剣な表情で大きく頷くと、彼女は大きく息を吐き出した。
「まさかの、異世界憑依かぁ。別にこっちじゃ、戦争も、政略結婚も、面白イベントなんてのはないのに」
「結婚でしたら、あちらの世界の私が、意に沿わぬ婚約をさせられておりましたが……」
「まさかの、麗美華が主人公バージョン!?」
くわっと彼女の目が大きくなり、それからぐったりとした様子で椅子にもたれる。
「まぁ、わからなくはないわ。アイツなら、根性と筋肉でどんなこともどうにかしそうだもんなぁ」
根性と、筋肉。
「ヒロイン体質ではないことは保証するけど、あー、麗美華がねぇ」
なんとも不満そうな様子。
「実は、あちらの世界の私なんですが、不慮の事故で片足を失っておりまして……」
隠すのが申し訳なくて吐露した私を、彼女は鼻で笑う。
「片足を? ふーん、まぁ、麗美華ならどうにかするでしょ。アイツにとっては、気にする程のハンデじゃないわ」
そう言って笑い飛ばす彼女に、ホッとする。若かりし頃は麗美華の右腕であり、現在も無二の親友であるチユキ様がそう言うなら間違いはないもの。
私も麗美華の生涯を見てきたとはいえ、所詮は「見てきた」だけ。時間を共有していたチユキ様と一緒にはならない。
「それで、その状態は、いつか元に戻るの?」
「それは……わかりません。神様のなさることですから」
俯いた私に、「そっか」と呟いた彼女は「それじゃあ、まぁ、これからよろしく、レイミ」と言って、右手を差し出してきた。
目の前に出てきた手を咄嗟に掴むと、ぎゅっと握手される。その温かさに勇気づけられ、顔を上げる。
「あの、チユキ様は、こんな荒唐無稽な話を信じてくださるのですか?」
握手をしたまま不安を吐露すれば、彼女は片方の口の端を上げた笑みを浮かべる。
「そりゃ、あたしの愛読書はラノベですから。異世界転移も、異世界転生も、異世界憑依も、すべて履修済みよ!」
よくわからないけれどとても心強い彼女の様子に、胸の奥がぐっとこみ上げる。
「アンタもさ、これから大変じゃん? 会社が違うから、フォローは難しいけど、なにか問題あれば話は聞くし。まぁ、こっちの世界で知り合いはあたしだけだから、頼ってくれていいわよ」
「あっ、ありがとうございますっ!」
チユキ様の優しさに、目が熱くなる。
「はは、麗美華の顔でも、そんな可愛い表情できるもんなのね。さぁ、今日は、英気を養うために、ケーキを食べまくるわよ!」
「はいっ!」
その後、チユキ様と一緒に目一杯ケーキを食べ、それから麗美華のマンションで一泊してくださったチユキ様と今後のことを話し合った。
「レイミってば、十六なの!? マジで!?」
大人っぽいと絶賛され、私がこちらの世界のことは、麗美華の知っている範囲なら知っていると伝えれば、彼女は「あたしなんかいらないじゃん」と肩を落とした。
「いいえっ! チユキ様がいらっしゃらなければ、私は心細さに折れてしまいました。チユキ様がいてくださって、本当に嬉しいです」
彼女に正直な気持ちを伝えると、彼女は照れたように笑う。
「その顔で、そんな表情されると、調子狂っちゃうな。でも、そうやって頼りにされるの、嫌いじゃないわよ」
そう言って私の頭をぐりぐり撫でた。
その仕草にバウディを思い出したけれど、不思議と胸に痛みは沸かない。好きだと思っていたのに、こんなにすぐに決別を受け入れられるなんて……もしかして、神様がそうなるようにしてくださったのかしら。
精神を取り換えるという偉業をされるのだから、心を操作することも造作もないのでしょう。
「レイミちゃん?」
黙り込んでしまった私を心配するように、チユキ様が顔をのぞき込む。
「チユキ様、どうぞこれからは麗美華とお呼びください。私は、麗美華として、生きてゆきますから」
きっぱりとそう指摘すると、彼女はそれもそうねと納得してくれた。
「じゃあ麗美華、これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします、チユキ様」
「様はつけないでよ。チユキで、ね?」
年上のかたを呼び捨てにするという試練を達成できぬまま、翌日チユキ様は帰られ。私は翌日から、麗美華の生活を引き継ぐことになった。
記憶を実践の場に活かすのに、すこし時間は掛かったけれど。元々あった麗美華のポテンシャルのお陰で、私はあまり苦労をすることなく社会に馴染むことができた。
「そもそも、アンタも規格外だったんじゃないの? どう考えても、普通はむっちゃ苦労するわよ」
仕事帰りに落ち合ったカフェで、チユキがそう褒めてくれる。
でも私はなんとなく、それも含めて神様の采配なのだと感じている。
私は矮小で、麗美華のような行動力もなくて、ただ身に起こることに怯えているだけの小娘だったのだから。
「私じゃなくて、麗美華が凄いのよ。いつだって、彼女は私の太陽だわ」
力強い太陽のような女性。
その人の肉体をもらったのだから、私も頑張らないわけにはいかない。「あー……まぁ、その比喩はわからなくはないわ。きっと今頃、レイミの世界でハチャメチャやってるんだろうしね」
肩をすくめてそう言ったチユキと視線を交わして笑い合う。
「ええ、私もそう思うわ」
「くしゃんっ!!」
「お嬢、風邪ですか。お腹でも出して寝てました?」
真顔で聞いてくるバウディのボディに、へなちょこパンチを一撃加えたレイミは、鼻をこすりながら空を見上げた。
「誰か、噂してるのかしら?」
ぽつりと漏らした小さな小さな呟きは、身体強化なしの歩行訓練を指導する鬼教官バウディの声にかき消された。





