最終話【レイミ視点】
後期の授業がはじまってひと月が経とうとするころ、シーランド・サーシェルが学校を休学しているということを教えられた。
すこし前まで、一年生の周辺にチラチラ顔を出して嫌な顔をされていたけれど、そういえば気づけばいなくなってたわね。
「一応、君の耳にも入れておこうと思ってね」
生徒会準備室でノートの書き写しをしていたところに、ビルクス殿下がやってきて、そういえば知ってるかい? と、軽いノリで話を振ってきたのだけれど。
私はもう一切の関係がありませんから! と言いたいのを我慢して、話に付き合うことにする。ほら、なにせ第二王子殿下なので。
「半ば家出のような勢いで、一人旅にでたらしい」
曰く、母親との関係がこじれた、あれは遅い反抗期だろう、ミュール嬢にフラれて人間不信に陥っただのなんだのと、無責任に話を転がしている。
適当に言っているようにみえるが、きっとすべて裏取りされた情報なんだろうな。
割と軽い人に見えて、王族らしいところがある人だから。怖い怖い……って、ミュール様にフラれて?
へぇ、それじゃぁ、あのあとかな?
後期がはじまってわりとすぐに、ボンドのところに義足のメンテナンスにいった。そのときに、偶然彼女に会ってすこしだけ話をしたから――
先に見つけたのは彼女のほうで、私はバウディが警戒するまで気づかなかった。
「レイミさんっ! あのっ、申し訳ありませんでしたっ!」
バウディ越しに、威勢のいい謝罪の声を聞いた。
バウディのうしろから顔を出すと、静かに怒っているバウディの怒気に涙目になりながらも、彼女はもう一度、謝罪の声をあげた。
ある意味根性がある。
バウディの前にでて、彼女と対面する。
「レイミ様っ、今まで色々迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありませんでしたっ。今後は心を入れ替え――」
続けようとする彼女の前に手のひらを立てて、ストップさせる。
「あー、そういうのはいいです。謝罪は確かに、受け取りましたから」
さっさと離れようとした私に彼女は食い下がり、いま勤めているという食堂でご飯をおごってくれることになった。
「日本食恋しくならない? オムライスもハンバーグもロコモコもあるよ」
それ、日本食? そうツッコミを入れたら、なんだか喜びそうだからやめておいて、ゆったりと微笑んだ。
「別に恋しくはならないわね。こっちの食事もおいしいもの」
否定した私に、彼女は頬を膨らませる。曰く、折角日本食無双してるのに、のってくれないと張り合いがないとのことだ。
確かに食堂は他の店よりもはやっていて、目新しいメニューにお客さんがついているようだった。
それにしても、私となにを張り合おうというのか……。
「バウディはなににするの? 私は、オムライスかしら」
結局バウディも同じものを頼み、彼女は奥にオーダーを伝えにいく。
「……全然懲りていないようですね」
バウディの呆れた声に苦笑する。確かに懲りてないかもね、でも彼女は彼女なりにこの世界で頑張ろうとしてるっていうのを感じるの。
「いいんじゃない? まだ若いんだし、つまずくことも経験だけど、立ち直るのも経験でしょう?」
仕事が休みらしいのに、オーダーを伝えにいってまんまと手伝わされている彼女を見ながら、思わず笑みがこぼれてしまう。
「そういえば、あなたの……レミカの本当の年齢というのは――」
「オムライスお待たせしましたぁー! 超特急で作ってもらっちゃいましたよー。レイミさんの分は、特別サービスでケチャップでお絵かきしますっ!」
いいタイミングでオムライスを三つ持ってきた彼女は、特製容器に入れたケチャップでオムライスに可愛らしいウサギさんを描き上げて、そのウサギさんをこっちに向けてから。
「おいしくなる魔法をかけますねっ。はいっ、萌え萌えミュルーン」
手でハートを作ってウインクを飛ばしてきたので、スプーンの背で、ウサギさんをぐりぐりと消してあげた。
「あああっ、ミュールたんの力作ぅぅ」
「おいしそうだわ、いただきます」
ニッコリ笑ってスプーンを突き刺す。
一口食べたら、ちゃんとしたお米でビックリした。
すっかり忘れていたお米の食感、とりの挽肉やピーマンのみじん切りの入っているケチャップライスを、ちょっと厚めの薄焼き卵が包んで、最高に好みだった。
思わず何口も食べてしまった私に、彼女は嬉しそうな笑顔になって、私の向かいの席に座って自分もご飯を食べ始めた。
まぁ、三つ持ってきてたから、そうだとは思ったけどね。
バウディもすっかり毒気を抜かれたのか、彼女に注意などせずに、そのまま自分も食事をはじめた。
そこで学校の話をしたり、私がシーランド・サーシェルと婚約したいきさつを怒りを込めて語って、彼女が「ゲームのストーリーじゃ、そんなエグいの書いてないわよぉっ」と憤慨したり。
あとは、彼女が修道院にいるアーリエラ様に会いにいったけれど、面会できなかったなんてことを聞いた。
「……アーリエラさんね、本当に、いろんなこと忘れちゃってるんだって。だからね、悲しかったことも、辛かったことも、もうないから、大丈夫ですよって修道院長様が言うの」
それ以上は言葉にならず笑顔で涙をこらえた彼女は、きっともう何度も、アーリエラ様にあの魔法を使った自分を責めているんじゃないかと思えた。
でもそのことを口にせず、涙を見せないようにする彼女は、その苦悩を自分だけで背負って生きることを選んだんだろう。
いつか、彼女がその苦しみを分け合える相手と出会えればいいなと、自然に思うことができた。――私も大概お人好しなのかもしれないわね。
なんて回想で物思いにふけっていると、ビルクス殿下の前に書類が追加された。
「ビルクス様、口じゃなくて、手を動かしてください」
ベルイド様がビルクス殿下に仕事をしろと急かしてくれたので、どうでもいい話が終わると思いホッとする。
「息抜きぐらいいいじゃないか。まぁあれだ、彼も一皮むけて帰ってくるのではないか、現時点でもかなり苦労をしているようだし」
愉快そうに含み笑いするのが怖い。
現時点を知ってるってことは、シーランド・サーシェルにわざわざ監視をつけてるってことよね? 人材の無駄遣いじゃないのかしら。
それが顔に出てしまったのだろう、殿下が説明してくれる。
「君がくれたアーリエラ嬢の手記に、彼が騎士団長になるという記述があっただろう。それならば、少々人員を割いて彼を成長させるのも悪くはないと思ってね。可能性の段階でしかないが、悪くはない投資だと思っているよ」
あの薄いノートを頭から信じているわけではないけれど、そういう未来があることを念頭に置いて行動するってことか。
そして、シーランド・サーシェルを監視させてるわけじゃなくて、どうやら旅は道連れって感じで同行者としてつけているようだ。その人物に、彼をこっそり教育させてるってことなのかしらね?
「レイミ様ー、お昼休み、もう終わりますよ。移動教室に参りませんと」
生徒会準備室の入り口からひょっこり顔を出したマーガレット様が、中にいる面々を見てすこし引いていた。
殿下までいるなんて、今日はついてない。という思いが顔に出ている。
「マーガレットも、一緒に勉強していけばいいじゃないか」
カレンド先輩が頑なに入ってこようとしない彼女のところまでいって誘うけれど、彼女はげんなりした顔をする。
「なぜお休みの時間まで、勉強をしなければならないんですか? それなら、素振りをしているほうがよっぽどいいです」
黒縁眼鏡をキュッと指先で押し上げて、きっぱりと言い切った。
雰囲気は学級委員長だし勉強ができそうなのに、彼女は根っからの体育会系だ。
「勉強はカレンド様にお任せします、武は私にお任せください」
華麗な所作で礼をして言うことかな、それは。
でも、彼女は確かに武のサラブレッドらしいから、それでいいのかも知れない。
二人が婚約者同士っていうのは、思った以上にしっくりくる。なにより、お互いを尊重しあっているのがいいわね。
「レイミ、今日はどうでした?」
過保護な婚約者が、今日も校門まで迎えにきてくれている。
従者の時とは違う雰囲気に仕立てられた服が、逞しい体を包んでとてもカッコイイ。書類仕事をする時に眼鏡を掛けてたりするんだけど、そうするともう本当に、鼻血がでそうになるくらいカッコイイのよ。
「バウディもお仕事があるんだから、お迎えはいいのよ?」
「あなたと歩くこの時間は、私の楽しみのひとつですから」
しれっとしてそう答えられる。
そりゃ、私だって彼に学校でのことを報告しながら帰るこの時間は楽しみだから、率先してなくしたいわけじゃないけれど、仕事を中抜けまでしてきてもらうのは気がひけるのよ。
杖の代わりだと彼の差し出す腕にそっと手をかけて歩くけれど、学校でもろくに杖を使ってないし、本当は一人でもっとスタスタ歩けるのよ。
だけど、彼が私を気遣ってゆっくり歩いてくれるから、私もそれに合わせてゆっくりと歩くの。
たまにこうして途中で公園に寄ったりしながら。
健全なデートだけど、家に帰ってしまえば二人きりっていうのが難しいから、こうしてお散歩デートでも嬉しい。
もう我が家の使用人ではなくなった彼だけど、いまも一緒に暮らしているし、家の中にいるときはいままでと同じように私のお世話をしてくれる。
バウディが爵位を得たことで、両親も彼の素性を知ったわけなんだけれど。
母があの調子で全然気にしていないので、父も騒ぐ機会を逸してしまったらしく、本当にすんなりと受け入れられてしまった。
母の懐の深さは、本当に尊敬する。
そして、話はコロコロと転がって、そのままバウディは我が家に婿にくることも決まってしまっているという。
バウディの話術もあるけれど、母の意向も強かった。
父は「まだ早いんじゃないかなぁ」とか「折角あの婚約がなくなったんだから、少しくらいのびのびと」とか、ごにょごにょ言っていたけれど。
「レイミはどうしたいの?」
という母からの問いに。
「異存ありません」
きっぱりと答えれば、父は「そっかぁ……」と寂しそうに微笑んで、「レイミがいいならいいんだ」と賛成してくれた。
その流れで、卒業と同時に結婚することになった。
こちらの世界の婚姻は早くて、私の年齢ならば結婚可能なんだけれど、貴族は魔法学校の卒業を目処にすることがほとんどだ。万が一卒業できなかったら、おおごとなのでね。
木陰を目指して歩きながら私の今日の報告を聞いていた彼が、渋い顔をする。
「あの男が、休学して旅にですか。あと数年、あなたが卒業するまで帰ってこなければいいですね」
シーランド・サーシェルが休学して旅に出ていることを伝えれば、彼は少し考えて真顔でそういうので思わず笑ってしまった。
「レイミ、笑いごとじゃないだろう」
「どうして? 私にはもう、バウディがいるのに?」
あなたがいるからなにも怖くないなんて、そのまま口にするのは恥ずかしくて、代わりにすこし小さな声で伝えた。
でも彼には照れが伝わったらしく、低く笑って私を横抱きに抱き上げる。
「ちょっと!」
いつもの木陰に到着したのに一向に下ろしてくれないので、諦めて彼が飽きるまで抱っこされることにする。
彼の腕は逞しくて、安心して身を任せられる。
「私の恋人はなんて可愛いんだろうな。もう、結婚してしまいたいな」
嬉しそうに頬ずりされて本当に愛しそうにそう言われて、胸がキュウッと温かくなった。
嬉しくて、嬉しくて、たまらなくて、彼の首に腕を回して身を寄せた。
「ふふっ、私ならいつでもいいのに」
彼の頬にキスをすれば、驚いた彼に落とされそうになって、慌てて彼の首に回した腕に力を込めてすがりついた。
そしてそのまま、木陰の芝生にバウディが尻餅をつき、抱きしめられたままの私は、その膝の上に座る形になった。
「あっ、あっ、危ないわねっ!」
たいした衝撃はなかったんだけど、心臓がバクバクして涙目になってしまう。
「お嬢が、急にあんなことするからだろうっ」
彼も驚いたのか言葉が崩れて、そしてぎゅっと私を抱きしめてくるから息苦しいんだけど。
――って、ちょっと長くない?
「バウディ?」
心配になって体を離そうとしたのに、できなかった。
戸惑う私に彼が囁く。
「あなたを愛している。永遠に――永遠にあなたと共にありたい……っ」
絞り出すように言われた言葉に、このときになってやっと、私が彼に大事なことを伝えていないことに気づいた。
どう言おうか悩んで、やっと出てきた言葉は拙かった。
「バウディ、多分、私、もうずっとこのままなの」
確定されたなにかを提示できるわけではないけど、そうなのだと確信しているから。
レイミが戻ることはなくて、私が消えることもない。そんな直接的な言葉を使えずに、曖昧に言った私を、彼は理解してくれる。
「そうか……そう、かっ」
私を抱きしめて、額を押しつけてくる彼の頭をそっと抱きしめた。
よかったとは言えないのだ、レイミの永遠の不在を認めるのは辛いから。
その思いはよく理解できる、私にとっても彼女は大切な存在だから。
だから、ただ彼を抱きしめた、バウディの心の中でレイミへの思いが昇華できるまで。
私には、どうして地球でのゲームをなぞらえるように、運命が巡ろうとしていたのかわからなかったけれど。
ある日
アーリエラ様が修道院で書いて、ブームになっている深い愛の物語となった碧霊族と人族の悲恋の小説を読んだミュール様が言った。
「もしかしたら、碧霊族の人の魂を解放したかったのかもね……。誰を犠牲にしてもいいくらい、切実に」
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後日談にもお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
以上をもって、この物語を閉じさせていただきます。
【2022.1.20】
『中ボス令嬢は、退場後の人生を謳歌する(予定)。』が一迅社文庫アイリス様より書籍化いたしました。
読んでくださった皆様のおかげです!
ありがとうございました!!





