シーランド・サーシェル2
あの日以降、シーランドはミュールを探すことはせずに、最近疎かになっていた訓練や勉強に精を出すようになっていた。
その熱の入れように、子供に甘い母親は彼の体を心配する。
「シーランド、たまには息抜きも必要だわ。母のお買い物に付き合ってくれるかしら?」
母の微笑みに否とは言えず、その長い買い物に付き合うことに頷いた。
馬車に乗り込むとすぐに、母の話がはじまる。
社交界の話などすこしも興味が惹かれないものの、あくびなどしようものなら母が癇癪をおこしてしまう。
気の強さは騎士である父をも上回る母に、家族は誰も文句を言えない。
「それにしてもよかったわ、あなたとあの娘の婚約が解消されて。本当なら婚約なんてする必要なかったのに、旦那様がどうしてもというから仕方なく許しましたけれどね。あの娘を田舎にやって、別に愛人を囲えばいいとはいっても、どこから話が漏れるかわからないもの、本当に清々したわね」
ニコニコと振られた話題に、引きつりそうになる頬を堪えた。
「そう、ですね」
視線を上げられず膝の上に置いた拳を凝視するが、扇でせわしなく自身をあおぎながら、窓の外を見ている母は気づいていない。
「それにしても、忌々しいわね。コングレードは例のあの事件で、役職が上がったそうよ。娘も目障りだけれど、父親もだわ」
例のあの事件。
シーランドも耳にしている、財務部門が絡んだ汚職事件。それにより、公爵家が爵位を下げるという前代未聞の事態がおき、夏期休暇中の話題を攫っていた。
無論、それだけで爵位が下がるわけはなく、関係者および思慮深い人々は多くを語らない。
多くの人間が犯罪に関与していたそのなかにあって役職が上がったということは、清廉潔白な人物だったのだろうと推測できた。
だが、母の意見は違う。
「甘い蜜を吸うこともできない無能が、たまたま運がよかっただけで、昇進。ああ、どうせすぐに家も潰れるでしょうけれど、本当に忌々しい」
「家が、潰れるのですか?」
母の言葉に驚いて聞き返すと、彼女は真っ赤な唇をにんまりと弓なりにした。
「あそこの子供は、あの娘だけでしょう? どうやら、親戚もろくにいないようですもの。あの父親の代で終わりよ。あんな、片足のない娘に、婿などとれるわけがないもの」
それが自分の息子のせいなのに、無責任に笑い声を上げる母からそっと視線を逸らし、町並みを見たそのときだった。
視界の端に入った印象的なピンク掛かった金色の髪に、視線が吸い寄せられた。
「ミュー……っ」
あふれかけた言葉を、慌てて呑み込む。
「あら、なにかありました?」
「いいえ、なにも」
穏やかに聞いてきた母に、即座に否定を返す。それが、あからさまになにかあったと教えるようなものだとも気づかずに。
母は扇で口元を隠しながら、目を細めた。
彼の口から出たのは、あの娘よりも質の悪い、平民崩れの娘の名だったはずだ……否、もう平民に戻ったのだったか。
腹芸のひとつもできぬ息子に溜め息を吐いてから、どうしたものかと思案する。――息子が自覚するよりも先に彼の恋心に気づいた母は、彼の人生の障害を排除する計画を練る。だけど相手は平民、貴族相手とは違いいくらでもやりようがあると、うっそりと微笑んだ。
母の長い買い物に根気よく付き合って家に戻っても、胸がドキドキしている。あれは間違いなく彼女だった。
服装は平民のそれで、頭の高いところでひとまとめに括った髪は、快活な彼女の背で楽しそうに揺れていた。
しあわせならば、それでいい。
町で見た彼女の後ろ姿を思い出すたびに、自分にそう言い聞かせていたが、やがて一目彼女に会いたいという思いが育ちはじめた。
一度思ってしまえば、坂を転がり落ちるようにそれしか考えられなくなってしまう。
授業中も暇さえあればミュールのことを考えてしまう。
前回の不調からやっと回復したというのに、また勉強にも鍛錬にも集中できなくなっていた。
中庭がよく見える窓際の自分の席から、一年生たちが魔法の実技をしているのをなんとなく見ていた。
まだうまく魔法を操れていないようすをぼんやりと見ていると、その中にあってキレのいい魔法を操る二人に視線が吸い寄せられる。
レイミ・コングレードと、その友人のマーガレット・クロムエルだ。
階段で一年生の中にミュールを探していたときに、不本意にも何度か目にしていた。楽しげに会話をしながら、シーランドのことを一切無視して通り過ぎていたことを思い出す。
彼女の楽しげな様子に、怒りがわいてくる。
ミュールは平民になり苦労しているのに、なぜあの女はまだここに通っているんだ。あんなに楽しそうに、学生生活を謳歌して。
学業をなんだと思っているんだ、遊びの場ではないのに。
平民になった彼女はきっと、仕事をしているのだろう。本当ならば、この学校で学んでいるのは彼女だったはずなのに。
そうだ、貴族から平民などになってしまって、苦労しているに違いない。なのに、自分は彼女を助けもせずに手をこまねいているだけか。
胸に正義感があふれ出す。
どうすれば会えるか、どこにいけば会えるか、会ってどうしようか、彼女の力になれるのは自分だけではないのか。
――彼女の、えん罪を晴らすのは、すべてを知る自分しかいないのではないか。
思い詰めるあまり、事実をねじ曲げていることに気づかぬまま、計画を立てる。
平民に堕ちた、可哀想な彼女を助けるための、計画を。





