シーランド・サーシェル1
【ここから後日談となります】
後期の授業がはじまり暫く経ったころ、シーランド・サーシェルは彼女がいないことに気がついた。
なにかあるにつけ自分の前に現れるミュール・ハーティが、後期がはじまったというのに一度も顔を見せていない。
気にするまでは気にならなかったのに、一度気づいてしまえば、気になって仕方がない。
特別親しいわけではなかった、ただ、気安く話しかけてくる珍しい女生徒だった。明るく、朗らかで……まるで、太陽のように眩しかった。
小柄なその体で跳ねるように走ってくるのが、愛らしかった。
拗ねて口をとがらせる幼げな表情も庇護欲をそそられ、悲しいことがあってうつむいた頬にまつげが影を落とすのを見ると、なにを置いても助けてやりたくなった。
もしかしたら、またなにか困りごとに遭遇しているのかも知れない、そのせいで、会いにくることができないのかも知れないと気づいてしまえば、なんとしても彼女に話を聞かなくてはと心が決まった。
一年生のよく使う階段前に陣取り、生徒のなかに彼女の姿を探す。
体格がよく愛想がない彼の前を通る一年生は萎縮してしまうのだが、目的以外は目に入っていない彼はそれに気づかない。
ちょくちょくレイミ・コングレードも見かけるのも腹立たしかった。
なぜあの女がいまもこの学校に通えているのか、理解できない。
前期で退学になっているとばかり思っていたのに、すました顔で階段を上っていくのを苦々しい思いで見つめていた。
あまりにもミュール・ハーティを見なくなって数日、彼は勉強が手に付かなくなっていることに気がついた。
「彼女が心配させるからだ……」
自宅の自室で捗らない宿題にいらつきながら、独りごちる。
ミュールが学校にきていないのは間違いないことだと、いまではもう確信している。だが、なぜ彼女が……。
「まさか、レイミ・コングレードが、彼女になにかしたんじゃ……」
思いついたその答えに、怒りで体がブルッと震えた。
あり得る、いや、なぜいままで思いつかなかったんだと己を詰る。
前期の終わるあの日、ミュールを階段から突き落とそうとして、弾みで自分が落ちてしまった彼女が、逆恨みをしていたとしてもおかしくはない。
あの日、本性を現したあの女に殴られ、階段から蹴り落とされて気を失ったことは、いまも記憶に新しい、忌々しい記憶だった。
夏期休業に入ってからも、聞き取り調査として学校に出向き、ことの次第を説明したり、実際にあの日のことを再現させられたり、散々な目にあったのだ。
あのときだって、あの場にいたほぼ全員が調べを受けていたのに、あの女の姿はなかった。
そうだ、なぜ気づかなかったんだ。あの女が、彼女になにもしていないわけなどないってことを!
なんとかレイミ・コングレードを問い詰めようと、朝から気合いを入れて臨んだ翌日。
午後からの移動教室が狙い目だろうと、鋭気を養うために生徒用の食堂で昼食を食べていると、断りもなく隣に誰か座ってきた。
不躾なその人間に注意のひとつもしようとそちらを向くと、相手もこっちを向いていた。
ローディ・ロークス先生が難しい顔で見ている。
「ローディ先生……、どう、されたんですか」
どうされたもなにも、彼の前にもランチのプレートがあるのだから、食事にきたのだろうとはわかるが、聞かずにはいられなかった。
「シーランド・サーシェル、いい加減、一年を威圧するのをやめてくれないか」
「い、あつ、ですか? 私は、なにも……」
心当たりがないわけではなかった、階段で彼女を探しているときに、少なくない生徒がおびえたように早足で階段を通っていたし、同級生からも下級生をじろじろ見るなと苦言を呈されていたから。
だが、今日はもう階段に陣取ってはいないのだから、もういいだろうに。
もごもごと答えて食事に戻ったシーランドに、ローディ先生は溜め息をひとつ吐き出して隣で食事をはじめた。
シーランドは食べながら、そういえば彼が彼女の担任だったことを思い出す。
「ローディ先生、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ?」
食事を進めながらも、聞く姿勢を見せてくれる彼に、率直に尋ねることにした。
「ミュ……ミュール・ハーティ嬢は、学校を、やめたのですか」
意を決して聞いた答えには、すこし間があった。
「詳しいことは言えんが。まぁ、もう魔法学校に通うことはないな」
食事に視線を落としながら、静かにそう言った彼に鬱屈とした怒りが再燃する。
「やっぱり、レイミ・コングレードのせいですかっ、あいつが、彼女になにか――」
睨んできたローディ先生の視線の強さに、シーランドは先を続けられなくなる。
「彼女は被害者だ。そして、加害者のなかには君もいる。諸事情あって、情状酌量となったが、それを理解せずに彼女を糾弾しようとするならば、相応の報いは必要だと思うといい」
「私が、加害者?」
はじめて聞く話に怪訝な顔をすると、ローディ先生はさっと視線を周囲に走らせて、シーランドを避けてなのか生徒が近くにいないのを確認してから声量を落として説明する。
「レイミ君に謂われない罪を被せ、衆目の前で糾弾した。柔な令嬢ならば、心を病んでしまっただろうよ」
「謂われない? 彼女は本当に、それだけのことを――」
興奮に大きくなる声をローディ先生の視線で止められ、なんとか声を抑えて続ける。
「それだけのことをしたんですよ。ミュール嬢を貶める、陰湿な嫌がらせをね」
「君に、そんな虚言を吹き込んだのは誰なのか、などとは聞かん。だがな、物証もなく、自称被害者の言葉だけをそこまで信じる危うい人間が、騎士を目指せるとは思わないほうがいい」
さっさと食事を終えたローディ先生はトレイを手に立ち上がると、まだ話し足りないシーランドを置いて食堂を出て行った。
「自称……被害者? なにを、馬鹿な……」
それに、騎士になれぬと言い切られたのが、重くのしかかる。
あれが教師の総意ならば、学校から出される騎士団への推薦状を得られないということだから。
騎士の家系で、曾祖父の代から騎士としてこの国に仕えてきている。父は元より、叔父たちもみな騎士となっているのに、自分だけ……自分だけ、騎士になることができないとすれば。
「一族の、恥」
胃が引き絞られるように痛み、食事を続けることができなくなった。





