71:つかれた
――なんで、なんでこんなに、物語が変わってしまったの……
周囲は騒々しいのに妙にはっきりとした女の低い声がすぐ近くで囁いて、ゾワッと怖気がした。
声から逃げようとした私を、目に見えない手が捕まえる。
誰かに助けを求めようと見回したが、さっきまで近くにいた第二王子殿下たちも隣国の王太子のほうへ向かって既に離れている。
前にいるマーガレット様たちも、前の敵に意識を向けているのでこっちに気づいてない。
掴まれた腕からぞわぞわする嫌な感覚に鳥肌が立つが、だからこそ、ここで逃げるわけにはいかないと悟った。
そうか、さっきミュール様が口パクしたのは、彼女に合図を送ったのか。
「アーリエラ様ですね」
きっと透明になる魔道具を使っているのだろう、彼女が掴んできた手を振り切ってから逆に掴み返す。華奢な手首は、ぞっとするような冷たさだ。
「離してちょうだい」
震える声で言われても、離すはずもない。
「離してちょうだい」
再度、弱々しい声で言われた言葉に首を横に振る。
「どうして、こんなことをしたのですか。なにもしなければ、公爵令嬢としてビルクス殿下と結ばれることもできたのに」
「 あなたが 勝手なことをするから。 あなたの あなたの、せいで こんなことになったのよ 協力しましょうって言ったのに どうして、わたくしを助けてくださらないの? わたくしは なにも 悪いことをしていないのに ビルクス様に 捨てられてしまった なのに あなたは、彼と結ばれるの? そんなのは、おかしいでしょう? だって、あなたは わたくしと同じ 転生者なのに あなただけ あなただけ、どうして しあわせになるの」
途切れ途切れの喘ぐような声で私を詰る彼女に、言い表せない狂気を感じる。
掴んだ細い手首が、細かく震えている。
「私が幸せに見えるなら、それは私が幸せになろうと行動したからだわ」
きっぱりと言い切った私に、だけど彼女は私の声など聞こえていないようだ。
「 わたくしとて しあわせになりたかったの あの人と あのひと と 永久に――」
彼女の声がブレて、二重に聞こえる。
私が握っていた彼女の手が、ぐるっと回って私の手首を掴み、お互い手首を掴み合った状態になる。
強い力で握られるから身体強化を上げて握りつぶされないようにして、こちらも逃がさないように彼女の手首を掴む。ミシッと彼女の骨がなった気がするが、中途半端な手加減は命取りになることがあるので、力は緩めない。
なんだか懐かしいわね、お互いの片手を結んでデスマッチ的なこともやってたっけ。さすがにナイフは使わないけれど、逃げられない状態で殴り合いはしたなぁ。
一対一勝負なんて青いこと、若さがあったからできたのよね。
まさか、この年になって……ってそうか、レイミはまだ十五歳だものね、まだまだ青い春の真っ只中だわ。
姿を消したままのアーリエラ様に、問いかける。
「あなた、碧霊族のヒトね。もしかして、アーリエラ様を乗っ取ったのかしら?」
「 へき れ ど う して 眠りを 妨げ 」
聞いてくれないっぽいなぁ。
「レイ、ミ」
騒々しい中で……主にミュール様が子猿のようにキャーキャー逃げ回ってるのがうるさいんだけど、一人でうしろにいる私の異変に気づいたのはバウディだった。だけど、どうも様子がおかしい。
いや、ここにいる人全員が、動作が緩慢になり、やがてその場に棒立ちになった。
私とミュール様だけが普通に動けている状態だ、だからミュール様が掴まらずに逃げていられたのか! ……いや、まずいな、私もどうやら、彼女の魔法に掛かってきているみたいだ。段々と体の動きが鈍くなっている。
「アーリエラさぁん! ありがとぉ! お陰で助かったわ!」
騎士と鬼ごっこをしていたミュール様が、動けなくなっていく周囲の様子を物珍しそうに見ながら近づいてくる。
「凄いねぇ、本気のアーリエラさんだったら、ここまでできちゃうんだ。さすが、わたしの親友っ!」
汗を拭って肩で息をしながらもまだまだ元気そうだ、案外タフなのかも知れない。
「ミュール様、あなた、これがおかしいって思わないの?」
「げげっ! レイミ、あんたまだ動けるのっ」
盛大に顔を引きつられた彼女に、口も動かすのも難しくなってきていてあんまり喋ったらぼろが出そうだから、ただにやりと笑ってみせる。
「 中和 能力 まだ、生きて 殺し 尽くしたと 我が 最愛を奪った 忌まわしい ひと族 ひと など 根絶やしに 」
私の手が振り払われ、ミュール様のほうに歩き出すのがわかる。
これでアーリエラ様がミュール様を殺してしまえば、アーリエラ様を乗っ取った碧霊族に抗う術がなくなってしまうかも知れない。
そうなれば、彼は恨みを晴らすために、人間を根絶やしにするのだろう。いままさにそう宣言してたわけだし。
「ええと……アーリエラさん? ちょっと、どうしちゃったの?」
アーリエラ様の怨嗟の声を聞いたにも関わらず、ヘラヘラと笑っているミュール様にイラッとする。どうしちゃったのじゃない! せめて、逃げろ!
「くそっ!」
力を振り絞って、透明なアーリエラ様がいると思しき場所に体当たりをする。
目測通り! アーリエラ様を押し倒し、芝生の上に組み伏せた。体が動かなくなる前に、彼女のうしろを取り、両足で胴を抱え込み腕で首をキメる。
その弾みで、彼女の魔道具が壊れたのか、姿があらわになったのだが。
その容貌は、思わず絶句するほどの変わりようだった。
げっそりと痩せこけ、目だけが爛々と輝き、髪がまだらに白くなっていた。
「ひぃっ! ア、ア、アーリエラさんっ! 駄目じゃんっ! 悪魔と融合だけは駄目だって! あれだけ言ったのに、どうしてっ!?」
ミュール様が慌てて近づいてきて、私が羽交い締めをキメているアーリエラ様に詰め寄る。
聞こえてないと思うわよ、結構しっかり入ってるから。
そう言いたいのに、もう口を動かすのも無理だった。
なんとか気力だけで、両手足を使って彼女を拘束するのが精一杯。
「アーリエラさんっ! お願い、正気に戻ろうよっ! このままじゃ、アーリエラさん、死んじゃうっ」
感極まったように、ミュール様の目から涙があふれ出す。
いや、そんなのはいいから。
むしろ、あなたを殺そうとしてるのよ、この人。
「ミュール、さ……ま。中和、魔法で、どう、にかなんないの……っ!」
なんとか放り出した私の声ではっとした彼女は、慌てて虚空に目を向ける。眼球がせわしなく上下左右に動いているのが、ちょっと怖い。
「あった! でも、成功確率激ヤバいの! わたし、もう不幸値が半分超してるから、更に確率がだだ下がりなのっ! こんなの成功しないわよぉぉぉっ」
「うっせぇ……いいから、やれ……っ! 成功するまで、やれば、成功率、百パーだっ!」
「なにそれぇぇぇ!」
泣きながら、私の声に押されるように、アーリエラ様の胸に右手を当てる。
そして、彼女独特の魔法の使い方……画面で選んでタップするだけ……で、魔法を何度も何度も行使する。
「エグい、疲れかたが、エグいヤバい」
そう言いながらも、手を休めずに魔法を使っているのが、魔力の動きでわかる。
私の腕のなかで抗っているアーリエラ様に、ミュール様が涙に濡れた顔を押しつけ、振り絞るような声を出した。
「やっと……やっとできた親友なのにぃぃぃ、お願い、こんなところで死なないでっ! わたしの命、半分あげるからっ! お願い、戻ってきてよぉぉ!」
彼女の言葉に驚いた瞬間、今までとは違う魔法の輝きがアーリエラ様を包み込んだ。





