70:呆気なく
――彼女がこの世界をゲームだと、思い込んでしまう『強い理由』があるとするならば――
ぞわっと背中に悪寒が走る。
そんなことがあり得るんだろうかという否定のすぐあとに、高満田麗美華だった私がレイミになっているという不思議な現実を思い出して、もしかしたらあり得るのではないかと思い直す。
どうしてそんなことがおこるのか、理由なんて考える必要は無駄だろう。
魔法だってそうだけれど、理屈に合わないことが起きたとしても、それがこの世界なんだから受け入れるしかない。
私がレイミであることも――もう、高満田麗美華に戻ることはないのだという確信めいた予感と共に、受け入れざるを得ない事実なんだと。
ミュール様にはなにか哀れむ余地があるのかも知れないけれど、私はもう彼女に注意することはした。それでも変わらなかった彼女を、他人が動かすことはもう無理なんだろうと思う。
「――本当に聞き分けのないかただ。少々荒っぽくなることは、ご了承ください。必ずあとで我々に感謝する時がきますから」
彼の言葉を受けて、控えていた騎士たちが一斉に立ち上がった。
「その自信がどこからくるのか、是非お聞かせ願いたいものだ」
バウディはそう言いながら、手にしていたバスケットに手を突っ込み――取り出された見覚えのある棒が、一振りでその長さを三倍にした。
彼からバスケットを受け取りがてら、視線を合わせると、そろっと外された。
「……お借りしています」
トレーニングがてら常時強化しているから気づかなかったけれど、そういえば義足が軽い気がする。朝、装着する時もテンパってて気づかなかったわ。
「高くつくわよ」
ニヤッと笑った私に怒声が飛んできた。
「それが、殿下を狂わせた性悪女か!」
唐突に声を荒げた先頭の男が、腰に佩いていた剣を引き抜いた。
私を、性悪女だと言い切るってことは、誰かにそう吹き込まれたってことよね。身分も、外交使節として他国を訪れる地位もある人間が、初対面の人間に怒声を浴びせるなんて、そんなことは普通はないだろう。
ということは……。
「アーリエラ様が一枚噛んでるのかしら?」
思わずこぼれてしまった私の呟きを、カレンド先輩が拾う。
「それはあり得ますね。出がけに新しい情報として、数日前からアーリエラ嬢が行方を眩ませているとの連絡がありました。てっきり逃亡したのかと思っていましたが、なるほど」
バウディもその話は知っていたようで、納得している。
「ということは、アーリエラ様も十中八九ここにいらっしゃるってことかしら?」
大きめの声で話したら、覿面にミュール様が動揺した。本当に素直だわぁ。
泳ぐ彼女の視線で確信する、間違いないわね。問題はどこにいるのか、ってことだ。
「そちらは、あてがありますので、ご安心を」
カレンド先輩がそう言い、丸めて持っていたピクニック用の敷物のなかから剣を取り出す。
「レイミ様は、安全なところまでお下がりくださいね」
マーガレット様もいつの間にか、手に短めの剣を手にしている。……さては、スカートの下に仕込んであったわね?
ってことは、武器なしは私だけかぁ。
もしかしてバウディが三段ロッドをこっそり義足から外したのは、私が前に出ないようにってことなのかな?
「レイミ様は、安全なところにいてくださいね?」
マーガレット様に念を押されてしまった。あの笑顔は、前に出られたら邪魔だから、うしろにいろよってことだと思う。
食い下がるのは諦めて、バウディから受け取ったバスケットを持ってうしろにさがり、みんなの背中を見る。
それが戦闘開始の合図になったのか、向こうの騎士たちが、一斉に剣を抜く。
にしても……三対九は厳しいんじゃないかしら? 向こうは生粋の戦闘職種だし。
だが、予想に反して、決着は簡単についた。
彼らが動き出した一拍後、突然周囲にズラリと騎士が現れたからだ。既視感。
「姿を隠す魔道具って、使用禁止では?」
我が国の制服と、隣国の制服を着た騎士たちがぐるりと取り囲むなか、思わず呟いてしまった。
「許可があれば、問題ないよ」
私のすぐうしろで声がして、びっくりして振り向けば。ビルクス殿下とベルイド様が立っていた。
「お久しぶりです、レイミ嬢。我々もピクニックに便乗させていただきました」
悪びれもせずベルイド様がそう言うが、随分物々しいピクニックですね、とツッコミを入れたほうがいいだろうか。
今度はあっちが多勢に無勢。それも、半数は隣国の騎士ってことは……彼らの悪事が、筒抜けだったってことだ。
「こっ、こんな、馬鹿な……っ」
「ガーデスト伯爵、サンシータ伯爵、ユルハング伯爵。国家を揺るがそうとした貴殿らの罪、国に戻り沙汰をくだす」
騎士のなかでも、勲章をたくさんつけた人が前に出て、そう言い渡した。
まだ若そうなのに、随分と出世しているみたいだ。
「おっ、王太子殿下っ!」
名前を呼ばれた彼らが、目に見えて狼狽える。
ああ、王太子殿下かぁ……そりゃ、勲章たくさんつけるわぁ。
そして、あれよあれよという間に、向こうの騎士と、貴族三人が捕まっていく。
真っ青な顔で諦めきった表情の彼らは抵抗らしい抵抗もなく、隣国の騎士たちに連行されていく。
いくらアーリエラ様にそそのかされたからといって、どうしてこんな大それた事をしようとしたんだろう。
バウディが言うには、現在の隣国は食料も潤沢だし諸国との関係も良好で、目立った憂いはないということなのに。
そしてミュール様も悪いことをしてしまったのだから償わなければならないのは当然なわけで、子供のように騎士の手を避けて逃げ回るのはどうなんだろう。
逃げ回る彼女を見ていると、不意に彼女の顔が私のほうに向き、口をパクパクと動かした。





