62:報復
コングレード家はかつてない危機に瀕していた。
「旦那様、料理人のカードが、食材が届かないと申しているのですが」
朝食のあとに、申し訳なさそうにボラが伝えたその言葉に、父と母が顔を見合わせる。
そういえば、今朝のご飯はいつもと違い、パンではなく薄く焼いたクレープのようなものだった。おいしかったので気にしていなかったけれど、よく考えればおかしいことだ。
「ボンドが言っていたのは、こういうことか」
父が重苦しい溜め息を吐き出した。
昨日帰り際、ボンドに言われたのは、貴族御用達の店にコングレード家との取引を止めるよう内々の指示が回っているということだった。
ボンドは貴族御用達ではないが、仲間内からそういった話が回ってきたらしい。
きっとコングレード家と懇意にしているボンドを心配してのことだろう。
その指示がどこから出てるのかまでは、ボンドもわからないようだったが、タイミング的に魔法学校でやらかした私が関係しているのだろう。
だとすれば、アーリエラ様がらみだろうと予想できる。
そういえば、薄いノートのなかでもヒロインちゃんの家に対して、物流を止めていたことを思い出す。
ゲームならばそんなこともあるのかも知れないと思ったが、この世界で実際に本当にそんなことができるのだと、ぞっとする。
流通を妨害できる力を、たかが一つの家のために使うなんて本来あり得ない。
我が家を潰したところで、公爵家に利益がないもの。
娘の私怨で社会を動かす、その程度の度量なのだろうかブレヒスト公爵というのは。
「あとで買い出しにいってまいります。配達は止まったとしても、買いに行く分には大丈夫でしょうから」
「すまないね。それにしても、どうしてこんなことが……」
悩む父の前で、バウディと視線を交わす。
彼も私と同じ予想をしているのだろうけど、それを出さずに話を続ける。
「買いに出れば、調達することは可能だと思います。ところで、旦那様はお仕事のほうで、なにか問題がでたりはしていませんか?」
バウディの質問に、父は首を横に振る。
そうよ、父の仕事だって、なんらかの妨害が入ってもおかしくはない。
財務関係の部署のトップはブレヒスト公爵の実弟だもんな、軽く絶望感。
「うん、職場では特に変わったことはないよ。それにしても、一体どこの誰がこんなことを」
とりあえず、昨日まではなにもなかったようでホッとする。
だけど、アーリエラ様から聞いた話では、心を病み切った私は両足を失い、父は横領等の罪を被って田舎に左遷されるという筋書きらしいから、万が一があり得るのよね。
「あなた、もうお仕事の時間ですよ」
母に言われて、慌てて家を出る父を見送った。
「そうなると、私のレース編みも卸せないかもしれないわね」
母が傍らに置いてあるレース作品が入ったかごを見つめ、物憂げに溜め息を吐く。
「奥様、食料と衣料は別ですよ。決めつけずに、ともかく店にいってみましょう」
ボラの言葉に励まされた母は、いつもより早い時間だけれど、二人でレースを納品しに町へ向かった。
バウディも、食料を買い出しに家を出る。
そして残った私は、自室にてアーリエラ様からもらった薄いノートを書き写していた。
万が一の時に、いつでも動けるように準備をしておかなきゃだ。
昼前に母たちとバウディが帰ってくる。
「よく使う食料品店では販売してもらえませんでしたが、平民が使うほうの食料品店では問題なく購入できました。面が割れてなかったせいもあるかもしれませんが」
「そうなのね、遠くまでありがとう、バウディ。私のほうも、いつも卸している貴族街のお店は駄目。糸の購入も止められてしまったわ」
物憂げに母が溜め息を吐き出す。
その隣でボラが腕組みをして、への字にしていた口を開く。
「どこか、高位の貴族が圧力を掛けてるようです。店主も本当に申し訳なさそうに対応してくださいましたがね、それならすこしぐらい融通してくれたっていいでしょうに」
「仕方ありませんよ、上位の貴族に睨まれてしまえば、店を潰されてしまうかも知れませんもの。そんなことになれば、雇っている人々も困ってしまうでしょう」
母の言葉が胸に刺さる。
私の行動が現状を招いている自覚があるだけに、申し訳なさでいたたまれない。
「ともかく、問題はこんなことを平気でするその高位貴族ですわね」
母の目が光った気がした。
「ボラ、いま手紙を書くから、ちょっと届けにいってもらえるかしら?」
「御友人にですか?」
ボラの問いかけに、母はとてもいい笑顔で頷く。
「ええ、親友にですわ」
その言葉に、ボラも訳知り顔で頷いた。二人とも笑顔なのに、迫力があるわね。
母とボラが部屋に下がり、バウディは買ってきた物を台所に運び、私は部屋で薄いノートを写す続きをすることにした。
筋トレの成果か、体力が付いたことで集中力の持続時間も長くなっていて、思ったよりも早く書き上がり、写し間違いがないか確認し終えたところで、部屋のドアがノックされた。
「お嬢、魔法学校の生徒会のかたがいらしてます」
バウディの声に、神がかり的なタイミングのよさを感じる。
「いま参ります」
姿見の前で身なりを確認し、書き写したばかりのアーリエラ様の薄いノートの原本を手に部屋を出た。
私が手にしているものを目にとめ、彼が目を細める。
「それを、渡すのですか?」
「ええ、あなたが許可してくれるのならば」
彼の出自が書かれた部分を切り取るということも考えたけれど、それをしてしまえば、信頼は得られないと思うの。
「私のことならば大丈夫です、どうぞ、お嬢のよいように」
きっぱりと言い切ってくれた彼に、安堵する。
「ありがとう、バウディ」
「どういたしまして」
ホッとして見上げた頬に唇が落とされ、ビックリした隙をついて唇も掠め取られ、にんまりと笑う彼のお陰で緊張していた体からいい具合に力が抜けた。





