61.5:アーリエラの怒り
アーリエラ・ブレヒストは魔力循環が……いや、根気の要る練習全般が苦手で、魔法の習得についてもさほど興味がなかったものの、精神魔法だけはなんとか使えるようになっていた。
それというのも、ミュールだけに示されるゲームの選択肢に原因があった。
「アーリエラさんは、王子様狙いだもんねぇ」
虚空を見上げて小首を傾げながら言ったミュールに、アーリエラは少しだけ彼女から離れる。
見えぬものを見ている様は、どうにも……他人のフリをしたくなるものだ。
「それがどうかしたのですか? ミュール様は、他のかたを狙ってくださるのですよね?」
「うーん、そうなんだけどねぇ……。時々選択肢がバグって、一択になっちゃうのよ。それでもって、それを無視すると、不運値が上がっちゃうの」
「不運値?」
本来ゲームにはないその値が上昇すると、ゲームの成功率が落ち、他にも地味に嫌な不運に見舞われる。だから、バグは無視せずに準ずることにしていると、ミュールが教えた。
「でもさぁ、いまきてる選択肢が、王子様がらみなのよね。それも、バグのヤツだから、無視するって選択はしたくないんだけどさぁ」
アーリエラをチラチラ見ながら、歯切れが悪くミュールがこぼす。
「王子様に抱きついちゃうくらいならいい?」
「駄目ですっ! わたくしですら、だ、だ、抱きつくなんてこと、したことがないのにっ」
顔を赤くして訴えるアーリエラに、ミュールは「甘酸っぱーい」と冷やかしながら生温かい視線を向ける。
「でも、不運値上がっちゃうもの。わたしだって、難易度が上がったり、バナナの皮に滑ったり、寝てるときにこむら返りを起こしたりするのイヤだもん」
「それなら――――」
彼女に不幸を選ばせる代わりに、アーリエラがミュールのお願いを聞くという取引が成立した。
選択肢を無視する代償として、アーリエラはミュールに請われて禁書庫のカギを手に入れ……実際に行動したのは、取り巻きの令嬢だったが……そこから、精神魔法の本を盗み出した。
「アーリエラさんが全部覚えてから返せば大丈夫よ。あんなところにある本、読む人なんかいないってば」
脳天気なミュールの意見には同調しかねたが、やってしまったことはもうどうにもならない。
とにかく早く覚えて、戻してしまわなくては。
危機感だけで、在りし日の試験勉強など目ではないほど頑張った。
精神魔法のひとつを自力で覚えられたときは、久しくなかった達成感に楽しくなかったといえばウソになる。自分の力だけで成し遂げた、それは勇気になり、やる気になる。
「ほんと、アーリエラさんって勉強苦手よね。公爵令嬢って、それでいいの?」
本気の声音で聞いてきたミュールに対して、怒鳴りたくなるのを堪える。
「わたくしは、家庭教師をつけて令嬢として必要なだけの知識は既に得ておりますから、本来学校に通う必要などありませんのよ。ただ、この学校を出ねば、貴族として認められないので、通っているだけのことです」
「ふぅん?」
疑いの目を向けられ、ギリと奥歯をかみしめる。
「まぁいいけどさ、どうでも」
それならば聞くなと、喉元まで出てきた言葉を呑み込む。
アーリエラに施された淑女教育には、下品な言い様は徹底して忌避されるように教え込まれていたから。
「わたしみたいに、ステータスから選べるなら簡単なのにね? ヒロイン待遇とは違うから、仕方ないんだろうけど」
ことあるごとに、自分がヒロインであるというマウントを取ってくるのも腹立たしかった。
そのくせ……。
「アーリエラさんと仲良くなれて本当によかった! だって、わたしひとりだと心細かったもの……アーリエラさんがいてくれて、本当に心強いと思ってるんだよ」
はにかんだ笑顔でそう告白されると悪い気はしなくて、なんとか二人でやっていけそうな気がしてくるのだ。
だけどすぐに心のなかに反対する意見がジワジワと生まれてくる。
水面に墨が垂れて薄く広がっていくように、アーリエラの心の水面は濁っていく。
どうしても、ミュールといると嫌悪感がわく。
イライラして、悪意をぶつけたくて仕方がなくなってしまうのだ。
根本的に性格が合わないのは間違いないが、それだけではなく、もっと根深いところでの嫌悪感があることに、アーリエラは気づいていない。
それはこの地に無念で縛られて、もう意識もなくなった碧霊族の恨みの残滓。
『中和魔法』を使う者を憎む純粋な怒りが、アーリエラの負の感情に同調しはじめていた。
ミュールに指示されるがまま大階段のうえの柱の陰で待ち構えていたアーリエラは、集まってきた生徒たちに向けて精神魔法を使用していた、隠れて見えない場所にいたにも関わらず、彼女はまっすぐにアーリエラの前に立った。
――あんたさぁ、自分が、破滅の道にまっしぐらなの、気づいてないの?
蔑むような、哀れむような目で、レイミ・コングレードがアーリエラにいう。
破滅の道……?
ただただ懸命に、殿下と一緒になる道を求めているだけなのに。
なぜ、そんなことを言われなければならないのか。
転生者であることを隠して自分に近づき、自分ひとりで安全な場所に逃げようとするレイミが許せない。
許せるわけがない!
レイミが主要キャラのひとりであるバウディと共に学校を去ってからの記憶は曖昧だった。
気がつけば、自室のベッドの天蓋を見つめて、レイミ・コングレードを呪っていた。
恩知らずであり、嘘つきであり、卑怯者である、レイミ・コングレード。
自分だけ早々に意中のキャラを手に入れて逃げ去った。
「許されるわけがありませんわ……許していいわけがありませんわ……」
低い声があふれ出る。
視界が暗いドブ色に染まっていることにも、もう気づけない。
アーリエラの心は、憎しみと、怒りを餌に、彼女らが『悪魔』と呼ぶ存在に蝕まれていく。
この日を境に、悪魔と同調した彼女の精神魔法は精度をあげ、レイミへの怒りで盲目になってしまった彼女の行動を増長させることになる。
長い年月のなかで既に自我を失った悪魔は、ただアーリエラの悪意を増幅させる。
自己を正当化し相手を糾弾すること、それは心地よい陶酔も伴っていた。
アーリエラはレイミが言った『破滅の道』に踏み込んでいることに気づく機会を逸してしまっていた。





