58:最終日がはじまった
前期の最終日だけれど、基礎教科の授業はおこなわれる。
午前中で学校が終わり、そのあとに講堂でおこなわれる全校生徒揃っての集会が終われば、一ヶ月間の夏期休暇に入ることになるのだ。
「お嬢、くれぐれも用心してくれよ」
校門まで鞄を持ってきてくれたバウディから低い声で注意され、神妙に頷きを返す。
「わかっているわ。用心するし、無理もしないわ」
私の言葉を聞いて、彼は表情を緩める。
「なにかあったら名を呼べ、必ず助けにいく」
学校内で呼んだところで彼に聞こえるはずもないのに、安心させようとするその気持ちが嬉しい。
「ありがとう。では、いってまいりますね」
「ああ、気をつけて」
送り出してくれる彼から鞄を受け取り、気を引き締めて校舎への道を進んだ。
朝からすこしだけ浮き足っている雰囲気の教室の片隅で、静かに本を読む。
さて、今日は一度も二人から接触がないけれど、このまま何事もなく学校を去ることができるかな。
いやいや、残念だけど昨日でアレだったんだもの、今日なにもないってあり得ないわよね、でも、くるならさっさと来てほしいわ。
くるかこないかわからないで待つのって、気持ちが疲れるわよね。
気もそぞろなせいか、なかなか本を読み進められず、諦めて本を閉じようとしたとき。
するりと、撫でるように両肩に手が掛けられた。
その手つきにぞわっとしたとき、耳元に明るい声が掛けられた。
「おっはよー、レイミさん。よく今日登校できたわね、その根性は素晴らしいと思うわ」
低く囁くように言った後半の言葉が恐ろしい。
そして、肩に乗った手がぐっと私の肩を掴み、私の魔力をかき乱すようにしながら乱暴に中和していく。
その気持ち悪い感覚を堪えて、彼女の手を払って肩越しに笑みを向ける。
「おはようございます、ミュール様。明日からの夏期休暇、楽しみですわね」
私の笑顔を見て、彼女は怪訝な顔をしたものの、視線を彷徨わせてから気を取り直したようにニッコリと笑った。
「ふぅん、随分余裕があるじゃない。ねぇ、レイミさん、立てないようなら言ってね、車椅子、ちゃーんと用意してあるからさ」
彼女が言ったように、いつの間にか教室のうしろの壁に、チープな作りの車椅子が置かれていた。
どこから用意したのかしら? 乗り心地、凄く悪そう。
「必要ありませんわ、義足と杖がありますから」
きっぱりと拒否する。
「ふーん、そう? いつでも言ってよね、わたしとレイミさんの仲なんだからさ。身体強化のお上手なレイミさんでも、調子の悪いときもあるでしょうし、ねっ」
ダメ押しのように、肩を叩いて離れてゆく。
……どんな仲なんだか。
でもこれで、ミュール様がアレを再現したがっていることは確定だわ。
自前で車椅子を用意するくらいだから、よっぽどだよね。
それにしても……一度は、私の境遇に同情してくれたのにと、恨めしく思わなくもない。
とはいえ、私は私で「いち抜けた」をするつもりなのだから、とやかく言うこともできないけれど。
ただ、方向性は同じなんだから、無茶はやめてほしいと切に願うわけよ。
そんな願いもむなしく、中和魔法を掛けられたわけなんだけれどもね。
言いたいことを言うと、他の生徒に朗らかに挨拶しながら自分の席についた彼女の背中から視線を外し、抑えていた魔力を循環させようとしたんだけれど、なかなか思うようにいかない。
中和魔法が継続しているのかも知れない。
昨日までは、触れたときしか影響がなかったのに……。奥の手を隠していた、ってことかしら?
まぁいいわ、バウディとの筋トレの成果で、身体強化なしで生活できるようにはなっているわけだし。
でも一応、万が一の為に『効いてる』ことにしておいたほうがいいのかな、そのほうが隙を作れるかも知れないわけだし。
とはいえ、午前中にある基礎の授業は移動教室がないから、特に問題もなかった。
あるとすれば……このあとにある、講堂への移動。
それこそが、私が退場するあのイベントだ。
だけどそれにノッてやる義理はないわけなので、ちゃっちゃと移動しますよ。
本来は一番最後に移動して、ヒロインちゃんを誘い出し……なにを使って誘い出すのか、アーリエラ様の薄いノートには書いてなかったので、詳細は不明だが。
ともかく、彼女を階段上から車椅子で体当たりして、突き落とすときに彼女の秘められた魔法が覚醒するという。
覚醒もなにも、彼女バリバリ中和魔法使ってますし。
私も車椅子ではありませんし、彼女を傷つけたい程の恨みもありませんし。
というわけで、さっさと講堂に移動します!
「それじゃぁ、三十分までに講堂に移動しておけよ。荷物は持っていっていいからな」
朝から調子が悪そうだったローディ先生は、最低限の指示を出して教室をでていった。
先生が出てゆくのと同時に、鞄に教科書を詰めて立ち上がる。おっといけない、スタスタ歩いたら私の筋力がバレてしまう。
他の生徒たちはギリギリまでここに居るんだろう。そりゃそうよね、急ぐなら五分もあればついちゃうし。
時間まで、三十分以上あるわけだから。
隣の席の子が怪訝な顔をして、立ち上がった私を見上げる。
「もういかれるの?」
「ええ、今日はすこし調子がよくないので、早めに行動しようと思いまして」
彼女は私の言葉に、不機嫌そうに顔をゆがめた。
「団体行動ができないのでしたら、ミュール様が用意してくださった車椅子を使用なさるべきではありませんの?」
周囲の生徒も同調するように頷く。
「そうですわ、折角のご厚意を無下にするなんて、あまりにも冷たいんじゃありません?」
うわぁい、アウェイ感半端ない。
これはあれか? 仮説を立てていた、アーリエラ様の精神魔法でクラスが汚染されてるってことでいいのかな?
こちらに気がついたマーガレット様が青い顔で心配そうにしているが、大丈夫よー。
マーガレット様は普通なのよね、他の生徒と何が違うんだろう?
「時間までに移動できれば問題ないのに、お手を煩わせる必要はありませんわ。では、お先に失礼いたしますね」
ニッコリ微笑んで、杖をついてゆっくりと教室を出る。
ミュール様もこっちを見ていたから、気づかれずに教室出る作戦は失敗だったけれど、まぁよかろう。この時間なら、まだ誰も移動していないだろうから、身体強化を使……えないんだよねまだ、強化せずとも筋肉があるから平気だけど!
他の人の気配のない階段で二階まで降りる。
二階から一階へ行くのに、例の大階段があるんだけれど、無事にここまではこれた。
余裕綽々じゃない?
「レイミさんっ!」
大階段までたどり着いてホッとしたとき、ミュール様の鋭い声に足を止めた。
振り向けば、肩に車椅子を担ぎ、階段を降りてくる彼女が……え、ちょ、どんな!?
あっけにとられている私の前で、ガシャンと乱暴な音を立てて彼女が車椅子を下ろした。
「調子が悪いんでしょっ! 乗りなさいよっ」
はぁはぁと肩で息をしているけれど、なんだ、身体強化できるようになっていたのね。
ミュール様、教科によって成績の上下が激しいから、身体強化はマスターしていないと思ってた。
「……車椅子に乗るよりも、ミュール様に背負ってもらったほうが早そうですわね」
ニッコリと微笑んだ私に、彼女は「はぁっ?」と語尾上がりで顔を歪めた。
「なんであんたなんか、背負わなきゃなんないのよっ! いいから乗りなさいよっ」
「必要ありま――きゃぁっ!」
身体強化を掛けた彼女に腕を引かれ、強引に車椅子に座らされる。
あっ! 杖まで蹴り飛ばされて、階段下に落ちたじゃないっ! 最悪っ! 折れてないわよね!?
それよりも、私を強引に車椅子に押しつける彼女の力の強さに慄く。
「やっ、やめっ!」
「うるさいよー。いい加減諦めなよ、あんたはただの悪役なんだからさ。わたしやアーリエラ様みたいな転生者とは、根本的に違うじゃん、もうその時点で立場が全然違うんだよね」
うしろ襟を掴んだまま、ミュール様が車椅子を大階段に向けて押してゆく。
逃れたいのに、身体強化もできないし、むしろ彼女が身体強化で私を押さえにかかっているから……え、ちょっと、結構ヤバい?
説得っ! 説得しなきゃ!
無理矢理振り向き、車椅子を押す彼女を見上げる。
「待って! 私は元々、前期で学校を辞めるつもりなのっ、だから、こんなことをしなくても――」
言い募ると、強い力で頬を平手打ちされた。
いや、あの、身体強化したまま平手打ちって、マジで……あー、口の中切れたわぁ。
思いも寄らない彼女の行動に面食らっている私の襟首を前後に揺さぶってから、襟を掴みあげて私を上からのぞき込んできた。
「なら、余計にここから落ちなきゃダメじゃない? 大丈夫よ、ちょっと怪我するだけなんだから。そもそも、勝手に義足なんか作っちゃってさぁ、退場するつもりなんてないんでしょ。わかってんのよ、だってここを辞めるってことは、貴族じゃなくなるってことらしいじゃない。貴族と平民の差ぁ舐めんなよ?」
もともと平民だった彼女がドスを利かせて言うけれど、だから、なによ。身体強化もなしでここから落ちて『ちょっと』怪我をするだけ? なにを考えてそんなことをいえるのよ! なにも考えてないんでしょうがっ。
沸々と怒りがこみ上げてくる。
「舐めてるのはどっちよ? 転生者だからどうの、悪役がどうのって――」
もう一度、同じ頬を張られた。
ないわぁ……かなりガチで、ないわぁ。
でも、本気の身体強化だったら、首がもげてもおかしくはないのに、この程度。やっぱりこの子の身体強化はたいしたことないわね。
とはいえ、ノーガードでくらうのはやっぱりキツい。
「黙りなよ、あんたみたいに中途半端な悪役、ちっともお呼びじゃないのよ。わたしたちのしあわせのために、消えてよね」
彼女の両手が車椅子にかかり、グッと前に押し出される。
もう、駄目…………っ
――名を呼べ、必ず助けにいく。
最悪のこの状況で、彼の声が思い浮かぶ。
「バウディッ!!」
「えーいっ! いっちゃえー!」
私が叫んだのと、彼女が勢いよく階段に向けて車椅子を押し出したのは同時だった。
感想欄やWEB拍手でのコメントありがとうございます!
あたたかいお言葉ばかりで、大変うれしいです(T人T)ありがたい
猫はまだまだ手が離せませんが、すくすくと育っております。
レイミが緊急事態なのに、のんきな後書きで申し訳ありません
明日も更新いたしますが、暴力的表現が多くなっておりますこと
先にお詫びさせていただきます、申し訳ありません。





