56:売られたら買う
あと一日かぁ……あっという間だったなぁ、最後までなんだか慌ただしかったけれど。
感慨深く思いながら、校門へと向かう。
「お嬢、お疲れ様です」
校門で待っていたバウディが、すかさず私の鞄を取り上げた。
……なにか既視感があるなぁと思ってたけれど、これって、舎弟が兄貴分の荷物持ちをする構図なんじゃない? どちらかっていうと、姐御って感じかな。
「ありがとう。ごめんなさいね、遅くなって」
「詳しいことは、帰り道でゆっくりと聞きますよ」
出てくるのが遅くなったことをしおらしく謝った私に、彼は口の端をあげる。
また、なにかあったと思ってるんだろうなぁ、あったんだけどさ……。
視界の隅にチラチラしている人影を無視して、笑顔をバウディに向ける。
「ふふっ、さすがバウディね、よく――」
「レイミ嬢! わざわざお気に入りの使用人を学校まで迎えに来させて、これ見よがしに帰っているというのは本当だったんだな……っ!」
近くにシーランド・サーシェルがいるのは気づいていたけれど、ちゃんと無視してあげてたのに、なんで声を掛けてくるかなぁ?
自分から声を掛けるなって言っておいてさ、本当になんなのかしら。
面倒臭いから、これも無視でいいわよね。
まだちらほらいる下校中の生徒に見られてしまうのも、イヤだし。
「バウディ、早く帰りましょうか」
ニッコリと彼に微笑みかけ、歩きだそうとした私の前にシーランド・サーシェルが立ち塞がる。
「なにか御用ですか? ええと、先輩?」
戸惑った表情で小首を傾げる私に、彼は怒りに顔を赤くしてゆく。
面白いな、沸点が低いのか、加熱効率がよかったのか、どっちだろう。
「きっ、きさ、きさまっ」
「イヤですわ。知り合いでもないのに、きさま呼ばわりは失礼ではありませんか? 私、これでも婚約者のある令嬢ですのよ? 見知らぬ殿方に、きさま呼ばわりされるなんて、婚約者にも失礼ですわ」
「なっ! き、きさまの、婚約者は――」
「あら、私の婚約者を、ご存じですの? 私の婚約者が誰なのか、教えてくださいます?」
嘲笑してやれば、ヤツの顔がどす黒くなった。
「お嬢、その辺にしておきな」
斜めうしろに控えているバウディが、低い声で注意してくる。
折角面白いことになってるのになぁ。
肩をすくめて、これ以上煽るのを諦める。引き際は大事だものね。
周囲にさっと目を配れば、なかなか良い感じに視線を集めていた。わかる、テレビやネットがないから、娯楽に飢えてるのよね。
男女の修羅場なんて、超娯楽だわ。
「はっ、足の欠けた女など、娶る物好きに感謝するんだなっ」
どす黒い顔のまま、捨て台詞のように言った瞬間。
「あ゙あ゙?」
バウディがシーランド・サーシェルの襟首を片手で掴んで、足が浮くほど持ち上げた。
かおっ! 顔が、鬼のようだわ素敵っ! どんな顔でもかっこいいっていうのは、どういうことかしらねっ。
「貴様、いま自分がなにを言ったのか、理解しているのか?」
つるし上げたまま下から凄み、ドスの利いた声でヤツに聞いてるけど、首が絞まってて声が出ないみたいよ?
あら、身体強化を使って、なんとか窒息は免れたようね。
さすが、未来の騎士団長サマー。
だけど、バウディの手からは、いくら暴れても逃れられない。
「くっ! このっ、使用人風情がっ! こんなことをしてもいいと思っ――ぐふっ」
綺麗なボディブローきまりました。
しっかり全身に強化してないからー、がら空きのお腹なんか殴られて当然じゃない?
間に合わなかったとはいえ、強化魔法で腹部を強化したのは、さすが、かしら。
それとも、バウディの手加減のお陰かな?
「謝罪を要求する」
ボディに拳を決めたバウディが、冷え冷えとした声で告げる。
「なっ、なにが謝罪だっ! 恥知らずにも、義足などつけてっ! 貴族としての矜持はない――ひっ!」
さすがに顔を殴るのはまずいでしょうよ、バウディさんや。
身体強化をしてバウディの腕を掴んで止める、寸止めのようにヤツの眼前で止まった拳に安堵した。
私の力で止められるわけはないから、彼自身も瞬発的に止めてくれたんだろうな。
「邪魔をしてくれるな、お嬢」
般若顔のバウディが私を見下ろす。
本能的な恐怖かしら、ゾクゾクしちゃうわね。
んん? この感覚……って、恐怖ではなくて怖気だわ。
身体強化したまま近づいて気づいたけれど、シーランド・サーシェルから教室で感じたあのねっとりとした魔力を感じる。
身体強化した私が気づいたってことは、バウディも気づいているはずね。
「きさまら……っ、こんなことをしていいと思っているのかっ」
「シーランド・サーシェル様、お伺いしてもよろしいかしら? 私が足を失うことになったのは、あなたが騎乗する馬が私の足を踏み潰したからですけれども、それはもう忘れていらっしゃるのかしら?」
心持ち大きな声で聞いたら、ヤツの顔は見事に引きつる。
うふふ、聞き耳を立てている方の視線が釘付けよ。
「あなたの乗った馬が私の足を二度も踏んだので、足を切断しなければならなくなったということを、本当に忘れてしまったのですか? 私は今でも、痛みに寝れぬ夜があるというのにっ!」
ウソではないよ?
幻肢痛は今でもある、ただ、義足に魔力を循環させることで、それを解消するのがうまくなっただけで。
「う、ウソだっ! 医者は、もう治ったと言っていたぞ! 無い足が痛むなど、あるわけがないじゃな――ぐふっ」
ボディーブロー、二発目入りまーす。
今度は身体強化のタイミングが悪かったんだか、バウディがさっきよりも強く殴ったんだかわからないけれど、かなり効いてるみたいね。
「失った四肢が痛むということを信じられぬのか? ならば、同じように骨を砕き、切り落としてその真偽を身をもって理解してもらおうか」
バウディがヤツの腕を掴む。
ミシリ……。
そんな音が聞こえそうな、力に、ヤツが無音の悲鳴をあげる。
「そうやって、自らの罪から目を逸らすくせに、娶ることでなにもかもを無かったことにできると思ってる、その根性、許しがたい」
バウディの顔が修羅になってる。
イケメンの凄みは素晴らしいわ-、じゃなくて、もうそろそろ軽くヒビは入ったようなので、バウディに手を離すようにお願いする。
単純骨折なら、強化魔法で治せるって知ってるもーん。痛みがあるから、なかなか魔力の操作がうまくできないかもしれないけどねー、未来の騎士団長サマならこのくらい朝飯前よね?
左腕を抱えて痛みに顔をゆがめるヤツの襟首を、バウディがやっと離した。
「ふふっ、どうせ、娶ったところで妻としての責務を果たせないからだのなんだの言い訳をして、愛人でも連れてきてそっちを本妻のように扱って、体面上娶った妻は療養という名目で田舎に追いやり、死なないだけの金を渡しておけばいいとでも計画なさってるのでしょう?」
きっと、両親あたりの入れ知恵で。
「なっ! なっ!!」
顔を真っ赤にしたら、それが正答だって言ってるようなものじゃない?
「さすがは、武の誉れ高いサーシェル家ですわね。考えることが、とても単純ですわ」
やーい、脳みそ筋肉ぅ。
顎を上げて見下すように嘲笑を唇に乗せると、ヤツは握りしめた拳をブルブルと震わせる。
本当に単純。
バウディに手を出さぬようにと目配せをする。だって、私だって一矢二矢や三矢くらい報いたいじゃない。
全身に身体強化して、ヤツが振り上げる拳を見る。
力みすぎて遅いその拳に合わせ、杖を放ってうしろに吹っ飛んだ。
「きゃあっ!」
「おいっ! なんてことをっ!」
「ひどいっ」
バウディに抱き留められ、軽くかすっただけの頬を両手で押さえて体を丸める。
「お嬢様っ! シーランド・サーシェル殿っ、あなたはなんてことをっ!」
よしよし、野次馬たちにヤツの名前がしっかりと知れ渡ったわね。
「い、いや、そんなに強く殴ってなど――」
「女性を殴っておいて、言い訳するなんてっ」
すかさず野次馬をしていた女性から、批難の声があがる。
彼らの意識がヤツに向いている間に、小声でバウディにこのまま抱えてこの場を離れるように伝えた。
素早く杖と鞄を拾いあげたバウディにお姫様抱っこされ、両手で頬を押さえたまま顔を彼の胸に寄せる。
バウディがうまくその場を逃れて、帰宅することができた。
「お嬢、なかなかえげつないことをやるねぇ」
玄関先で私を下ろしながら言った彼に、杖を受け取って肩をすくめる。
「あなただって、ノリノリだったでしょう」
「まぁ、な」
バウディと二人、悪い顔を見合わせた。





