第12話 この世界の奴隷と年季奉公人について―1
何度か割烹等で書いているように、奴隷や年季奉公人は荒れやすい話題で、私自身も何度か火傷したことがありますが。
作中で描いている以上、触れずに済ませるのも躊躇われるので、3話を掛けて書くことにします。
熱くならず、穏やかな感想等を平にお願いします。
第6部において、様々な紆余曲折があった末に、日本の北米植民地が独立戦争を起こすことになり、それこそ第7部において、上里家の面々は様々に己の信じる路を歩むことになり、その結果として、松一の子ども達は、敵味方に分かれることになります。
その結果、北米独立戦争が終結して10年余りが経って、父の松一が死んだ後になって、小説中で言えば、第10部になる1595年になってから、ようやく松一の子ども達、兄弟姉妹全員が一堂に会することができますが、そうは言っても歳月の流れは兄弟姉妹の仲を残酷に割いており、9人いた兄弟姉妹の内2人、勝利と和子は日本人で無くなっており、更に智子もその後で細かいことを言えば、日本人からブラジル人になるという事態が起きることになります。
その原因となった最大の要因が、この世界の年季奉公人、特に外国人の年季奉公人です。
第6部において、日本本国では外国人の年季奉公人禁止の動きが強まっていた一方で、日本の植民地、特に北米植民地では外国人の年季奉公人が必要不可欠とされていました。
そして、これまでの作中の経緯から、日本本国政府に対して、日本の北米植民地の住民の多くが不信感を高めていたことから。
日本本国政府が、日本本国での外国人の年季奉公人を禁止したが、すぐに植民地にも同様のことをするに違いないというデマ、噂が北米植民地の住民の間に広まることになり、それを徳川家康や武田義信や武田(上里)和子らが活用したことから、北米独立戦争が起きたのですが。
何故に小説中でこういった事態が起きたのか、私なりの考え、説明をしたいと考えます。
間違った理解かもしれませんが、それこそ史実の戦国時代の日本では人身売買が公然と行われており、奴隷として外国に日本人が売られることさえも、稀では無かったと私は理解しています。
更に言えば、この時代の世界中で人身売買はありふれていたと言っても過言ではありません。
又、江戸時代以降の日本でも、それこそ昭和の時代になるまで、表向きは奴隷制度は禁止されていましたが、芸娼妓界等では年季奉公が半公然と行われてきたというのが現実ですし。
更に世界を見渡せば、それこそ米国南北戦争等で明らかなように史実の19世紀になるまで、奴隷制度は世界ではありふれており、奴隷制度が徐々に廃止された後も、その代替手段として、暫くの間は年季奉公が世界各地で活用された、と私は理解しています。
そうした現実を考える一方、それなりに20世紀に生きて来た「皇軍」の面々が奴隷制度を肯定するとは考えにくく、「皇軍来訪」後の日本は奴隷制度を禁止するだろう、又、当然に日本人の人身売買も禁止することになるだろうが。
その一方で、そういった規制が行われたからといって、低廉な労働力が求められることが無くなるとは、私には考えにくく、その代替手段として、暫くの間は年季奉公人、特に外国人の年季奉公人が日本では広く活用される事態が起きるのではないか、と私なりに考えた次第です。
更に言えば、日本が植民地化していく先の中南米大陸及びその周辺地域、スペインやポルトガルの奴隷をどのような法的地位におくのか、という問題があります。
単純に奴隷の身分から解放して、貴方は今日から自由です、自由に働いてください、何でしたら故郷に帰ってください、ということで済ませられるでしょうか。
それこそ奴隷から解放された後、どうやって食べていくか、という問題が常につきまといます。
例えば、米国南北戦争後、解放された元奴隷の多くが分益小作人になって、かつてより貧困になった例が多発したとか。
そうしたことを考える程、何らかの方策が必要と私は考えました。
ご感想等をお待ちしています。




