第54話 もとどおり?
「間違いなくオッペケですね」
隊長室で仮眠を取っていたデストレードが、ぼさぼさ頭のまま牢を覗き込んで断言した。
「水魔と呼ばれる麻薬の中には、こうして人間を別の姿に変えるものがあるんですよ。彼は何かのきっかけで、それにハマってしまったのでしょうねえ。しばらくは内勤にして、下町に行くのを禁止しましょう。そもそも、憲兵は必要以上の麻薬を摂取することを禁じていますから」
それだけ言うと、デストレードは仮眠のために戻っていってしまった。
自宅に帰って寝ないのだろうか。
私はと言うと、朝のバスカーのお散歩ついでにやって来たのだ。
バスカーは憲兵隊の訓練室で、他の憲兵たちに遊んでもらってご満悦。
「でっかい犬だなあ」
「人懐こいなあ。よーしよしよし」
『わふ、わふ!』
悪意の無い人間に対してはひたすらフレンドリーだからなあ。
思いの外バスカーが人気なので、彼の気が済むまで待つことにした。
のんびりしているとお茶が出たのでいただく。
ほっと一息ついたころ、シャーロットがやって来た。
「おはようございます。完全に解決しましたわね?」
「ええ。普通のオッペケ氏に戻ってたわ。始めからこうなるって分かってたの?」
「ええ、大体は。一般的ではありませんけれど、水魔を摂取した人間にちょくちょく出る症状ですの。悪いのは、仕事中に一服やってしまったオッペケ氏ですわねえ。彼、今まで麻薬をやったことがなかったのでしょうね」
戦場でもなければ、あまりやらないものだと思うけれど。
これは、戦いに挑むに当たって恐怖心を消すために使うものだ。
中毒にならないよう、最小限使う。
辺境でも、快楽のために摂取することは認められていない。
この薬を過剰摂取すると、労働力として使い物にならなくなるからだ。
父は、中毒になった者は容赦なく処分していたなあ、と思い出す。
「彼は大丈夫なの? 奥さんがいるんでしょう? 中毒になってしまったら」
「一度の過剰摂取でこうなっただけで、継続的に摂取していたわけではないようですわよ。だからデストレードは、彼を内勤にすると言ったでしょう?」
「よく分かるわね」
「内勤にして、自宅と職場を往復するだけの暮らしになれば、また彼は薬の快楽を忘れて元に戻りますわ。時々、お魚になっていた頃の夢は見るでしょうけれど」
そういうものなんだろうか。
後に聞いた話では、正午には奥さんがやって来て、オッペケ氏はめちゃめちゃに叱られていたらしい。
その後、さんざんデストレードに水魔の恐ろしさを聞かされていたそうだから、大丈夫だろうとは思う。
しかし驚いた。
王都にあんな施設があったなんて。
「ちなみに一服でもそれなりに値段がしますから、下町の住人には全財産を投げ売ってのめり込む方もちょこちょこいらっしゃいますわね」
私に、オッペケ氏のその後を教えてくれたシャーロット。
今は、我が家のお茶会で、彼女が持ってきた茶葉で香り高い紅茶を楽しんでいるところだ。
同じ紅茶の茶葉で、どうしてこうも香りも味も違うのか。不思議だ。
「そうなんだ。下町だと確かに、他に娯楽がなければハマってしまう人は多そう。だけれど、薬でぐたっとした人はあまり見ない気がするけど……」
「マーメイドたちは、薬の代金を支払えなくなった者たちは魚に変えてしまいますもの。もう彼らはお客ではなくなりますから、魚になってマーメイドたちの食卓に上がるしか無いわけですわね」
「怖い話だなあ」
ちょっとゾッとした。
王都は王都で、洒落にならないお話が転がっているものだ。
それを考えると、オッペケはちょっと危ないところだったのかも知れない。
ちなみに王国では、薬に耽溺して人間に戻れなくなった者たちが消えていくことは黙認されているらしい。
闇だなあ。
「下町は、王都の外からやって来た地方の人々が、次々に住み着いていますわ。それでも、人口が増えすぎて溢れてくるということはありませんでしょう?」
「確かに。道端で座ってる人とかはいたけど、通りもそこまでごちゃごちゃしてるわけじゃないし」
「水麻窟ばかりではなく、ああいう、戻れなくなった人間を受け入れて、この世界から消してしまうようなものが幾つもあるのですわ。誘惑には負けないようにしないといけませんわねえ」
「全くね。辺境と違って、王都にはそういう危険があるって、今回の事件でよく分かったわ」
「ジャネット様ならば問題ないと思いますけれど? お強い方ですし」
「そんなこと無いわよ」
私としては、自分はごく普通の人間だと思っている。
いつ、誘惑に負けてしまうかも分からない。
きちんと自分を律して生きていかなくては。
そう決意しながら、私は香り高い紅茶を口にするのだった。
うん、美味しい。
でも、我が家の紅茶と違って、これはガブガブ飲めなさそう。
お茶を主役にしていただく時のためのものね。
そういう意味では、お茶を飲むためのお茶会になるから、これは大変ストイックなことなのではないか。
「お嬢様、新しいお菓子が届いていますので切ってきました。ドライフルーツを焼き込んだ硬いケーキで……」
ハッとする私とシャーロット。
「これは……紅茶との相性を確かめねばなりませんわね! 知的探究心がうずきますわ……!」
「ええ。これは抗えない誘惑だわ。ううん、私たちもまだまだ修行が足りない……」
そう言い合いながら、私とシャーロットは新しいお菓子へと耽溺するのだった。




