第42話 なぜ庭師はセレブを偽ったか
庭師のハンスが呼ばれてやって来て、部屋の真ん中でしょんぼりと座っている。
「最初は出来心だったんです。彼女のことが好きで、喜ばせようと思って代筆屋に頼んで手紙を出して……。そしたら、どんどん話が大きくなって」
「ははあ」
私は唸った。
気持ちは分かる気がする。
ハンス自身も、この話がシタッパーノ男爵家を巻き込んだ大きさになっていくなんて思ってもいなかったのだろう。
この家、大変にノリがいい。
「もう、にっちもさっちも行かなくなって、俺、思わず逃げたんですよ……」
「そうだったの……。じゃあ、私の玉の輿の夢は……!」
ガーン! という表情のメイド。
そんなものは普通ありません。
シャーロットが分かりやすく解説してくれた。
「普段からシタッパーノ男爵のおうちで仕事をなさっているあなたを、貴い立場の方が見初める機会はないでしょう。お買い物に出た時とか、可能性はあるかもしれませんけれどそもそも貴い立場の方はお買い物に自ら出ませんもの」
私とシャーロットは二人で買い物するけどね。
メイドは納得したようで、しょんぼりした。
カゲリナが彼女の肩をぽんぽん叩いている。
身内に大変優しい。
彼女がグチエルとともに、私の陰口を言ったりしたのは、身内であるローグ伯爵家に忖度しての事だったのであろう。
とにかく身内意識がとても強い娘だ。
ちなみに、ハンスがメイドに出したという手紙を見せてもらったのだが、とても見たことのある筆跡をしていた。
これ、プラチナブロンド組合事件の時に、私に差し出された手紙の筆跡じゃないか。
同じ代筆屋を使ったんだなあ……。
手紙を見ていたら、一瞬で事件が解決していたかも知れない。
ああ、でも、自筆が苦手な貴族は代筆屋に頼むと言うし。
まあそんな貴族は物笑いの種になるんだけど。
「では、これにて事件は解決ですわね! 以後のやりとりはシタッパーノ男爵家にお任せしますわ! ああ、今日も推理しましたわ。爽快ですわ」
スッキリした顔で立ち去るシャーロット。
事後の処理などは、全く興味がない人なのだ。
私は、事件が解決したからハイこれでさよなら! とは行かず。
しょんぼりするメイドに囁いた。
「いい? 自分から動かない限りは、天与の幸運でもないと絶対に運命なんてやってこないから。世界は必然で動いてるから、玉の輿を目指すなら死ぬ気で頑張ること。学問を学んで、芸術の素養を身に着けて、ダンスに、お肌の手入れに、殿方を喜ばせる会話術……」
「ひぃぃぃ、そ、そんなに大変なんですか」
「むしろこれが玉の輿だったら、結婚してからの方が地獄だったと思う」
私の言葉で、メイドが真っ青になった。
貴族の子女が身につけている教養は、生まれた時から叩き込まれ、積み重なっている無形の財産だ。
これを地位が異なる者が後から学ぶのは、極めて困難だろうし、とてもお金がかかる。
彼女はむしろ、玉の輿でなくてラッキーだったのだ。
玉の輿になって幸せになるパターンは、ほぼ無い。
あるとすれば、辺境で私たちが戦っている蛮族の将軍にさらわれて奥さんになるとか……?
あれはあれで文化が違うから大変だと思う。
楽に幸せになる手段はなかなか無いし、今みたいに身分が固定化された時代になっては、この身分の壁を飛び越えるなんて尋常な努力では叶わないのだ。
そして私が現実を伝えたのは……。
「でも、現実的な相手ならばシタッパーノ男爵家がバックアップしてくれるのでしょ? ここはとてもいいところだわ」
メイドに伝えて、庭師のハンスにウィンクして、私は部屋を去ることにした。
上を見すぎると地獄しかないよメイドさん……!
男爵邸の庭では、バスカーと鎧を脱ぎ捨てたナイツが並んで転がっていた。
テリアはバスカーのお腹の上に乗って、スヤスヤと眠っている。
バスカーにお友達ができてしまった。
後でカゲリナに聞いたら、テリアの名前はポーギーというらしい。
ちょこちょこバスカーを連れて遊びに来てもいいな。
シャーロットは勝手にベンチに腰掛けて、他のメイドさんにお茶をもらっている。
くつろぎ過ぎでは?
「何やってるの」
「おー、早かったですなお嬢。ここの芝生、本当に手入れされてて気持ちがいいんだ。バスカーの気持ちがよく分かったわ」
『わふ!』
一人と一匹プラス一匹で、満足げな顔しちゃって。
「この家のお茶は紅茶ではありませんのね。ハーブティーですわ。健康志向ですのねえ。カフェインがありませんけれど、これはこれで……」
「シャーロットも! 用事が済んだのでしょ。さっさと帰るわよ!」
私の宣言に、みんな不満げにぶうぶう言った。
ええい、自由な人たちめ。
結局、彼らの気分が変わるまで小一時間くらいは滞在することになり……。
私もハーブティーをごちそうになったのだった。
これが案外いける。
かっかしていた気持ちがスーッと鎮まっていくような。
平和な王都では、紅茶よりもこうして落ち着けるハーブティーがいいのかも知れないな。
今度、どこで仕入れているのか教えてもらおう。
実家からは、毎月のように大量の茶葉が届くから、これの消化と並行して飲んでいかないとな。
その後の話をカゲリナから聞く機会があった。
メイドはしばらく懊悩していたようで、男爵家は彼女に少しの間暇を出したのだそうだ。
そして先日、無事に復帰してきたと。
「玉の輿が諦めきれなかったようで、ダンス教室や筆記の教室に通ったらしいんですけど、月謝が高すぎてちょっとしか受けられなくて、無理だって諦めたそうです」
「やっぱりねえ」
挑んだガッツは評価する。
だけど、あれらを継続して受けて自分の血肉にしないと、スタート地点にも立てないのが貴族や豪商たちの社会というものなのだ。
彼女はお金という点で、現実を見たと言えよう。
「で、その後ハンスとは?」
「口も利いてませんね! まあ、ほら。女って一度嫌いになると絶対ムリになるでしょう?」
カゲリナに言われて、コイニキールの事を思い出した。
「うん、そうだねえ……!」
同意しかなかった。
ハンスには強く生きて欲しいものだ。
~婚約者の正体事件・了~




