7話 我が旗のもとへ集え!(2)
多少強引にミハルは話題を逸らした。
「他のを考えよう」
「ふむ。できたらこの世界の……"エレフン"ならではの図案を取り入れようと思うのですが」
そこでファム・アル・フートが自分の思い付きにぽんと手を打った。
「そういえば"エレフン"では、象形文字を使って言葉の意味を表すのですよね?」
「象形文字? 漢字のこと?」
女騎士はなんだか妙ちくりんな書道の真似事を空中にし始めるのを見て、ミハルはこわごわ言った。
「斬新な紋章になるかもしれません。我が家にゆかりのある生き物は何かありませんか」
「急にそんなこと言われても思いつかないな……」
「では、ゲン担ぎになったり縁起の良い生き物の字ならどうです?」
「……縁起良いものっていうとカメとかかな。あとツルとか」
「どう書くのです?」
ミハルはペンを受け取ると、慣れない羊皮紙の上に金釘流で『亀』と書いた。
「ではこの字を、永遠と過不足のない調和を意味する円形で囲みましょう」
「……」
「ふーむ、シンプルですが飽きの来ないデザインですね。祝福者の血筋となる我が家の紋章に相応しいと言えるかも」
女騎士が何気なく亀を〇で囲んだその紋章を見て、ミハルは頭を抱えたくなった。
「格闘技の流派でも開く気か?」
「格闘技? なぜです?」
少年が急に表情を強張らせた理由がつかめなかったらしく、女騎士は何気なく付け加えてくる。
「カメは嫌いですか? ではツルにしましょう」
「おまえ分かっててやってんじゃないだろうな!? 〇●◎●波とか出す気か!? □"□"■波とか!? 魔王を電子ジャーに封印しようってのか、えぇ!?」
「な、何をそんなに興奮しているんです?!」
子どもの頃のワクワクを侮辱されたような気がしてかっと頭に血を上らせたミハルの勢い込んだ様子に、ファム・アル・フートはたじろいだ。
「で、でもミハルは確か動物はお好きでしょう? かわいらしい生き物を描きましょう」
「やってみろよ」
「多産で縁起の良い生き物……。そうです、子だくさんの象徴であるネズミをですね!」
「良いよ! でも耳は丸く描くなよ!? 絶対だぞ!」
「!? ど、どうして私の心の中が読めたんですか!?」
目を丸くした女騎士を見て、少年は苛立たし気に髪を掻きむしった。
「アイディアならまだあります。女神の顔を緑の円で囲むというのは?」
「コーヒー屋がもう使ってる!」
「では、『ミハル』の頭文字を大きく目立つ黄色にしましょう」
「何十年も前にハンバーガー屋が商標取った!」
「か、神々からの賜りものであるリンゴを使うというのは! そうだ、敬虔さを示すために少しだけ完全な形から削りましょう!」
「おまえってやつは―――!」
とうとう耐えきれず、少年は叫び出した。
「何も知らない世間知らずの女騎士の振りして実はこの世界にめちゃくちゃ詳しいだろ、おい!」
「さっきからどうしたんです、あなた変ですよ!」
「どうもこうもねえよ! なんでそんなパクリっぽいのばっか思いつくんだ!?」
「ぱ、パクリ? まさか盗作のことですか!?」
ファム・アル・フートはしばし呆然としていたが、ややあってから気分を害した形に眉をひそめた。
「なんという不名誉なことを! 夫といえど許しませんよ!」
「そういうのをこっちの世界じゃ逆ギレって言うんだよ!」
「……そもそも、私にばかり考えさせるのがおかしいです! 批判ばかりしていないで、少しはミハルも案を出してください!」
「……あんだと? 俺は絵なんか描けないぞ」
「では家訓でもモットーでも何でもいいです! とにかく書いてください!」
思わぬ展開に目をぱちくりとさせた少年の前に、女騎士は勢い込んで羊皮紙とペンを押し付けた。
「……」
呆れと苛立ちでふつふつと邪念を燃やし始めたミハルの脳裏に、あるアイディアが浮かんだ。
自分の生活を乱しまくるこの女騎士へのカウンターとして、そのやり口はなかなかスマートで魅力的な方法に思えた。
「……分かった。書くよ」
「言っておきますが、でたらめや悪口を書くのは許しませんからね。"ファイルーズ"に聞けばすぐ分かるのですよ!」
鼻の穴をふくらませながら、女騎士は見たこともない燐光を放つ結晶が隙間に収まったヘッドセットに指をやった。
彼女が鎧の精霊だと信じている相棒は、問えば必ず平板かつ無機質な声色で答えを返してくるのを知っているのだ。
「そんなことしないよ」
軽く答えてから、ミハルはさっとその言葉を金釘流のぎこちない書体で形にした。
「……何と書いてあるのですか。"ファイルーズ"」
<<"エレフン"の口語である。おそらくは慣用表現であると推測される>>
「意味は?」
<<不明である。が、自殺願望のある内容と推察される>>
あまりに剣呑な鎧の精霊の返答に、流石にファム・アル・フートは眉をそば立てた。
「これはどういう意味なのですか?」
「えーと、実はな……高貴な騎士が使う言葉なんだ」
「ほう?」
「『死ぬのも怖くない』とか『最後の瞬間まで気高く生きてみせる』とかそういう決意表明の意味がある」
「おぉ、それは素晴らしいです!」
先刻までの不機嫌はどこへやら。一も二もなくファム・アル・フートは顔をほころばせた。
「まさに騎士の信念そのものです! 流石はミハル! 私のことをよくご存じです!」
「気に入ってもらえてよかった」
そう言ってペンを置くミハルの瞳に陰湿な復讐の喜びの色が混じったことに、ファム・アル・フートは気づかなかった。
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―――"異世界"の文化と政治と宗教の中心は、全て"聖都"にある。
新貴族として特許を受けるヤスカワ家の叙勲が正式によって布告された日。
慣例によって新しく貴族となったその旗が"聖都"の公文書館の外壁に掲げられた。
凱旋門から公文書館沿いを通り広場を抜けて終点の『景観聖堂』まで続く通称『聖なる道』は、一目その旗を見ようと人でごった返していた。
何せ彼らの現人神である神造裁定者が直々に指名した祝福者の紋章である。
皮肉屋が多いといわれる聖都っ子もこの日ばかりは流儀を返上してミーハーになったようだった。
巣箱に群がるハチのような人の群れを前にしてもひるむことなく、主席紋章官が高々と布告の辞を読み上げる。
「……よって新しく貴族に叙される方の名はヤスカワ=ミハル! 紋章の色は、法王聖下のご聖断により公正を表す黒と神聖なる金! 図案は、我が頭上に掲げる通り!」
事前の打合せ通り、その声に合わせて一斉に公文書館の四方の窓からその旗が垂れ下がった。
「…………!!」
広場を黒雲が鳴るようなどよめきが埋め尽くした。駆け付けた人々が、一様にあまりに斬新なデザインに目を丸くしたのだ。
ある若者はまるで公衆便所のイタズラ書きのようだと肩をすくめる。
またある老人は『あれこそは神々の文字に違いない』と涙を止めることができずその場にひざまずき祈りを捧げた。
真新しい黒のラシャでできた四枚の旗には、金糸で次のような異界の言葉と法王圏公用語とが刺繍で併記されていた。
【―――――くっ! ……殺せ!】
次回は1月11日夜に更新します。




