第10話 囚われの女魔導士
――フィオナの叫び声が大きく響く。
「跳ね橋に向かって全速力!」
身を低くして走り出した俺は、あまりの身の軽さに驚いて一瞬転びそうになる。
身体が頭でイメージした理想の更に数段上の動きをするのが分かる。
止めようとするオーク達の動きはまるでスローモーションだ。指先を掠めてすり抜けても一切不安を感じない。
これか。これが勇者の力ということなのか。
こちらの意図を読んだのか、跳ね橋が上がり始める。まずい、このタイミングだといくら足が速くても間に合わない。
と、空を一条の光が横切った。
突然、跳ね橋が大きく揺れて一瞬、上昇が止まった。すぐに動き出したが、その一瞬で十分だ。
縁に飛びついた俺はそのまま身体を跳ね橋の内側に放り込む。
橋の内側を滑り台にして砦の中に降り立つ。
よし、まずは上手くいった。
背後で跳ね橋が門を塞ぐ音がする。
ざっと中を見渡す。入った付近は広場になってて、取り囲むように木の小屋が並んでいる。
安堵の息をつく暇もない。侵入者の姿を見て、棍棒を持ったオークが走り寄ってくる。
やばい。入った後のことを全然考えてなかった。とりあえず剣の柄を掴んだが、そういえばまだ一度も抜いてないぞ。
迷う暇はない。
振り下ろされる棍棒に合わせるように剣を抜く。勢いのまま振り上げた剣は何の抵抗もなく棍棒を切り落とした。流れるような動きでそのままオークを袈裟に切り捨てようとして、
「やばっ!」寸でのところで切っ先を逸らした。
緑色の血とか勘弁だ。代わりに一歩踏み込んで剣の柄でオークの顎を殴りつけると、人形のように吹き飛んだ。
うわ、力加減難しいぞ。
口火は切られた。膨れ上がる殺気が肌を泡立てる。
今度は数匹のオークがそれぞれの獲物で襲い掛かってきたが、後は体が勝手に動いた。
一匹目、槍の穂先を切り捨てて剣の腹で横面を殴る。背後から振り下ろされた斧をかいくぐり、デカい腹を柄で突く。これで二匹目。
うずくまるオークを踏み越え、続けざまに剣の柄で二匹のオークの頭を殴りつける。
と、飛んできた矢を鎧と小手で受け流す。見れば弓を手にしたオーク達が並んでいる。
「つーかどんだけいるんだよ!」
一気に駆け寄ると弓兵たちの弓を切り捨て、勢いで全員を殴り倒す。
勇者の剣の柄、強いぞ。今度はフィオナに柄だけ貰えないか聞いてみよう。
さあ、次はどう来る。油断なく剣を構え直す。
遠巻きに俺を取り囲むオークの数はざっと30といったところか。見てる間にも次々と増えていく。
緑のおじさん、ちょっと多すぎやしないか。
流石に今の大立ち回りで用心をしているのか。俺を遠巻きに眺めている。
さあどうしよう。一息ついていると、足下から蔦が勢い良く渦巻きながら脚に絡んできた。
「うわ?!」
反射的に切り落として飛びのく。
「怪我人の収容を優先して! 武装を終えた者は敵軍の襲撃に備えて守備配置! 門外に残された者の収容も急いで!」
響いてきたのは若い女性の声。
赤毛の小柄な少女がオークの輪から飛び出してきた。野良着だろうか、質素な麻の服に手には鍬。
撤退するオーク達を庇うように前に出ると、鍬をこちらに向けて何かを唱えた。
地面の小石たちがはじけるように飛んできたが、剣の一閃で簡単に散り去った。
えーと、どうしよう。相手は多分人間の女の子だ。
切ったりとかマジ無理だ。
……というか魔法使いみたいだけど、杖でなくても鍬でも大丈夫なんだな。
峰打ちでも下手したら大怪我しそうだし、じゃあ生け捕りか?
考えがまとまらないまま迷っていると再び石礫が飛んできたので、構わず突っ込み少女の身体に手を伸ばした。
と、指先を掠めて少女の身体は風にでも吹かれたようにふわりと舞い上がる。
近くの小屋の屋根に降り立つと、再び呪文を唱えようとしている。振り上げた鍬の周りに炎が渦巻き始めた。
流石にあれを食らうとやばそうだ。
一気に踏み込み、渾身の力で小屋を薙ぎ払う。次の瞬間、起こったことに自分自身目を疑った。
たった一撃だ。その衝撃で小屋は消し飛び少女諸共、土煙の中に姿を消したのだ。
ちょっと足下を揺らすだけのつもりだったのに。これはやばい、まさか死んだりしてないだろうか。
埃っぽいので下がってから土煙が収まるのを待つ。
しばらくして視界が回復すると、ぺたんと座り込む赤毛の少女の姿が見える。
生きてはいるが、怪我でもしていないか。心配に思って近付こうととすると、緑色の影が行く手を阻んだ。
今度はオーク達が彼女を庇って立ち塞がっているのだ。
「あなた達! こいつ、やばいから下がっていて!」
「ダイジョウブ、オレタチ、ナカマ」
「ミナデチカラアワセテ、テキタオス」
なんだこの心温まるやり取りは。俺も仲間に入れてくれないか。
と、緑色の肉壁の向こう、小柄なオークが黒い服と杖を少女に差し出している。おそらくは魔法使いの彼女の正装だ。
「いいよ、待つから。それ着なよ」
構えを解くと、剣を鞘に納める。
少女は驚いた顔をしながらも黒衣を身にまとい、鍬を杖に持ち替えた。
「同情は高くつくわよ」
帽子を深く被ってから鍔を跳ね上げ、こちらを睨みつけてくる。
この状況は非常にまずい。赤毛の少女と向かい合いながら、あることに気付いていたのだ。
――少しでも力を制御し損ねたら、皆殺しにしてしまう。
それだけの力が自分にはある。剣の柄に手を伸ばそうとして、思わずためらう。
「さあ、抜きなさい。勝負はこれからよ」
「俺は別に戦いに来たわけじゃない。目的さえ済めば引き上げる」
「世迷言!」
少女が杖を振るうと、地面が泥のように揺らぎ足を飲み込もうとする。
慌てて飛びのいた先を見透かしていたかのように青い炎が身を包む。
剣を振り風圧で吹き飛ばした。焦げた匂いが鼻をくすぐる。
「待ってくれ! 俺は人を助けに来ただけで――」
言い終わる前にオークの放った矢が飛んでくる。
さっきまでとはまるで違う矢の勢いに鎧で受け流すのが精いっぱいだ。少女が風を操り矢を加速しているのだ。
「だから、話を聞いてくれって!」
「問答無用! 私は魔導士にてこの砦の守護者シノノ! 我らに狼藉を働いてただで済むと思うな!」
「そう、俺は君を助けに――え? シノノ? 君が?!」
え、嘘。ひょっとして彼女がシノノ? なんかえらく元気そうだ。
「そうよ! 私の首は安くはないわよ!」
……これはいけない。いきなり目的を見失ったぞ。これじゃ自分、人の家にいきなり乗り込んできた暴れん坊だ。
……逃げよう。俺は踵を返して一目散に駆け出した。




