15、誤解が誤解を生む
しかしイリーナが現れることはなく授業が始まってしまう。事情を訊こうにも、彼女の兄に会えたのも授業が終わってからのことだった。
その兄オニキスは、昨日実家からの呼び出しを受けている。他家の事情に介入するのはあまり褒められたことではないが、アレンはどうしても気になって声をかけてしまった。
「オニキス、昨日は大丈夫だったのか?」
そこでアレンは自身が不安を感じていることに気付く。だからこそマナー違反でありながらも顔を合わせるなり詰め寄ってしまった。滅多に顔色を変えることのない友人が疲れたような雰囲気を醸し出していたことも原因の一つだ。これはよほどのことがあったに違いない。
「問題はない。少し、家で問題が起きてな」
オニキスは冷静を装うが、何かあったことは明白だ。
「随分と疲弊しているが」
「これはあの後母さんにもう一時間待たされて……いや、なんでもない。気にしないでくれ」
オニキスの口からは具体的な内容は何一つ明かされない。それはつまり、ここでは言えないようなことなのだろう。それでいて至急自宅へ帰ることを求められるほどの緊急事態だ。
「力になれることがあれば遠慮せずに言ってくれ」
なんだ。何を隠している? 親切を装いながらもアレンは引き下がれなかった。
(何故そうも追求する? 俺は何がそんなにも不安なんだ?)
友人だから心配するのか。それとも別の――
(どうしてそこでイリーナの姿が浮かぶんだ?)
あと少しで答えを掴めそうな気がした。
「感謝する。だが本当に……俺たちには手の施しようが」
「手の施しよう?」
その言葉に思い浮かぶのは病気がちだと言われている婚約者候補の存在だ。アレン自身は何度もイリーナと面会しているため健康だと認識していたが、それは単なる思い込みだったのだろうか。
「まさかイリーナに何かあったのか!?」
「あ、いや、それは!」
図星を指されたオニキスはとっさに顔を背けた。名前を挙げられたことで幼いイリーナの姿が頭に浮かんでしまったのだ。
兄様と愛らしく名を呼ぶ姿が――
とっさに顔を背けていなければ、今にも思い出した愛しさにみっともなく表情が緩んでいただろう。そのような締まりのない顔を友人に見られるわけにはいかない。表情筋を整えてからオニキスはアレンと向き合った。
「オニキス。イリーナは登校していないのか?」
しかしアレンはそんなオニキスの態度を苦しみだと判断してしまった。滅多に表情を変えることのないオニキスが友人の視線から逃れるため顔を逸らしたのだ。そこにはよほどの苦痛があるに違いない。
「イリーナの入学は見送りになった」
「なんだと!?」
「その、少し体調が悪くてな。本人も外に出たくないと言い張っているし、まったく困った妹だよ」
「だが……」
「本当に心配することはないんだ。それじゃあな、アレン。俺は今日はこのまま帰らせてもらうぞ」
言うなりオニキスは席を立つ。いつもなら急いで家に帰ることのないオニキスが帰路を急いだ。まるで家を離れることを躊躇うように。まるでその人と離れることを惜しむように。
「まさか本当に、イリーナの身に何か……」
実際彼女は六歳のパーティーでは目の前で倒れている。自分の前では強がっていただけで、本当に持病があってもおかしくはない。
(そういえば昔、イリーナは自分には時間がないと言っていた!)
だとしたら先ほどのオニキスの辛そうな表情にも納得がいく。どんなに離れていようと実の兄妹。妹が手の施し様のない病気を患っていたとして、それを告知されては冷静でいられるはずがない。少しでも長く家族の時間を持ちたいと思うだろう。
イリーナのことが心配でたまらない。もう彼女に会えないかもしれないと思うと胸が締め付けられる。不安の正体に気付いたアレンは立ち上がった。
「そうか……俺はイリーナのことが!」
そうとわかればのんきに授業など受けてはいられない。
ただならぬアレンの様子に教室は騒然とする。しかしリオットだけは通常仕様でアレンにくってかかる度胸と勇気を持っていた。
「アレン。次の授業は――ってアレン!?」
しかしアレンはリオットに構うことなく駆け出す。
「おまっ、ここ三階!」
クラス中の静止を振り切って窓から飛び降り平然と着地を決めた。背後から悲鳴も聞こえたが募る想いに立ち止まってはいられない。
「今行く。イリーナ!」
誤解が誤解を生んでいた。
そしてアレンが向かった先は……
次回、突撃お宅訪問が始まります。




