その7
俺の部屋は、3階に用意されていた。同じような形の扉がずらりと勢揃いしているので、扉に『ボガード様』とでかでか表記されていなければ、見すごして通過していたかもしれない。
「広い部屋だねえ」
メルンが感嘆の吐息をもらす。
俺はとくに何も言葉を発することはなかった。まったくもって、俺も同じ感想だったからである。この部屋の広さと比較すると、俺の定宿などはウサギ小屋にも等しい。ぴかぴかの床、テーブルに椅子、ベッド、あらゆるものがきれいに清掃されて配置されており、見るからに居心地のよさそうな空間となっている。
実際に、この部屋に宿泊するのならば、金貨が何枚必要になるのだろう。――だが、選手は仕合に出場している間は、宿泊費は無料ということなので、ありがたい限りだ。
要は、最後まで残ればいいだけの話だからな。
部屋の奥に大きなベッドがふたつ並んでいるのは気にくわなかったが、まあそいつは後で移動させればいいだけの話だ。
選手のほかに、関係者を泊める部屋も別個に用意されているという話なので、当初、メルンはそっちへ押し込もうと考えていたのだが、この女、俺の気付かぬ間に宿泊帳に「ボガードの妻」とか記入してやがったのだ。お陰様で、こんな部屋をあてがわれたというわけだ。
「これでしばらく、二人きりだね」
「ソルダもいるだろ。俺は外出してくる」
「あ、あの、僕は大丈夫ですので、ごゆっくり」
「見ろ、お前が下らぬ冗談ばかり言うから、純心な子供が戸惑うんだ」
「冗談なんて、まるで言ってないのに」
——まったく、お目付け役だか何だから識らんが、ヴェルダも人選を考えればいいものを。ラーラのように物静かな人物なら、俺もいちいち相手をせずにすむというものだ。
そんなこんなで、俺たちが『栄光の担い手』という見た目も名前もたいそうな宿に泊まった、翌朝のことであった。
対戦カードが発表されたのである。
それは、選手全員を集めて発表されたものではない。1階の広いエントランスホールに、巨大な対戦表が壁面にべったりと貼られているというのだ。
「王国1を決める大会のわりに、雑だな」
正直な感想だった。俺はもっと、大勢の観衆と、全選手と、マスコミみたいな連中を集め、大々的に組み合わせを発表していくものと思っていたのだ。
その方が宣伝効果が高い。しかしこれは第一回目の大会であり、まだそこまでいろんな段取りが固まってない状態なのかもしれない。
「当然、見に行くんでしょ」
「どうかな」
俺はわれながら、煮え切らぬ回答をした。
正直な話、それほど興味はなかったからだ。
なぜならば、この王国の強者など、はじめっから誰も識らないからだ。ここには動画もなければネットもない。選手に対するデータが一切入手できないのだ。
対戦カードがわかったとて、どうなるという話だ。
出てきた相手を臨機応変にぶっ飛ばしていく。
それに尽きる。
しかし、あの男——アキレスという猛者――だけは気になった。
奴の試合だけは、一度、目にしておきたい。
なにしろ、やつの情報は一切ないのだ。奴が寝業師か、それとも立ち技専門か。あるいはその両方か。識っておきたかった。
俺がわかっているのは相手の顔と名前、体格のみだ。その他の情報は一切持っていない。耳を見ておけばよかったと、あの一瞬の邂逅のあと、俺が抱いた感想である。
寝技師ならば、ほぼ例外なく、カリフラワーのように耳が変形しているものだ。耳介血腫とか言うらしいが。俺が寝技の達人と闘ったとき、腕が立つ奴ほどそういう傾向があった。
俺はちょっと抜けていたな、そういう後悔がある。
「僕、対戦表を見てきましょうか」
ソルダ少年が意気込んで尋ねてきた。
おれはすこしだけ、逡巡した。
あのアキレスという男も、対戦表を見に現れるかもしれない。今度こそ、やつがどのような選手か判断できるかもしれないと思ったからだ。
「では、さっそく行ってきますね」
「おい——」
あっという間に少年の姿は見えなくなった。
「きっと、ボガードの役に立ちたいんだよ」
「そうだろうな」
どうも俺は、あの少年にどう接すべきか、いまだうじうじと悩んでいる。ソルダという少年自体は、裏表のない、いい子だと思っている。だが、その背後で糸を引いている連中のことが、俺を悩ませているといっていい。
そもそもソルダ自身が、本気で空手を習得したがっているのかが、わからない。
彼は孤独な身の上だ。ひどい大人たちに散々な目に遭わされて、俺のもとへとやってきた。できる限りやさしくしてあげたいが、さて、空手を習わせることが、本当にいいことなのかどうか。
「対戦カード、見に行ってくる」
唐突にメルンがそう言いだして駆けていったので、俺はおどろいた。
「おい、お前は人目を忍ぶ立場だろ」
「変装してるから、大丈夫」
そう手を振って、去っていきやがった。確かに今の彼女の姿は、傭兵のときに出会った格好とはまったく違っている。魔法使いというより、その辺の田舎から出てきた、素朴な村娘のような服装をしている。
まったく、バレたら自業自得だからな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
——それから、ほどなくのことだ。
ソルダ少年が、顔に青あざをつくって帰ってきたのは。
「その傷はどうした?」
と、俺が尋ねても、
「転んだんです」
としか言わない。もちろん、俺は空手をやって長い。
転倒した怪我と、打撃による怪我の区別ぐらいはつく。
しかし、被害者であるソルダが頑なに口を割らないのだから、それ以上問い詰めることはできない。ふと目線を向けると、メルンがちらちらとこっちを見て、何かのシグナルを送っている。
そういえば、後を追ったこいつは、なにか見てるはずだ。
「それよりも、ボガードさん、対戦カードを書き写してきましたよ」
少年は、青あざの残る痛痛しい顔で、笑みをつくる。
「ああ、悪いがすこし便所だ。還ってから聞こう」
俺が部屋をでると、すでにメルンは3階の廊下の曲がり角に立っている。
「なにがあった」
俺はできるだけ、小声で尋ねる。
「大人に殴られていた」
「なんだと――?」
俺は声を荒げそうになるのを、懸命に堪えた。
「相手は、どこのどいつだ」
「どうやら、ボガードの一回戦の相手らしい。タチがわるそうな連中だった。まだ、対戦表の前にいるかもしれない——あっ」
その言葉も聞き終わらぬうちだった。
俺はふつふつと煮える怒りを胸の裡に内包しながら、1階まで飛ぶように駆けた。そこに、下卑た笑い声をあげている3人の男が立っている。他にはもう、人の姿はない。
3人の男は、いずれも野盗かと思われるような、革鎧かボロか見分けがつかぬような粗野な格好をしている。その中でも、ひときわ目を惹く大柄な男がいる。ざっと見て、身長185センチ、体重は100キロぐらいといったところだろうか。
「おい、そこの――」
「――ああん、なんだてめえは」
連中は、胡散臭げに俺を見つめてきた。
俺はほとばしるような怒りを、唇を噛んで抑えこみながら、なるべく冷静に語りかけた。
「お前らか、年端もゆかぬ少年を殴ったのは?」
「――ああん、あのガキのことか」
「そりゃ仕方ねえ。俺たちにたてつきやがったからよ」
「師匠の悪口を言うなと、向かってきたのはあのガキだぜ」
「コネだけでトーナメントに入れてもらった雑魚が、一回戦の相手だぜと言ったら、あのガキ、キレて襲い掛かってきたんだ。むしろ被害者はこっちだぜ」
俺は無言で、男のひとりの膝裏へローキックをいれた。
「むぐっ」
男の姿勢が崩れると同時、顔面に跳び膝蹴りを入れる。
その男はすさまじい勢いで壁面に激突し、動かなくなった。
「て、てめえ、なにをしやがる――」
「それはこっちのセリフだよ」
俺は憤怒していた。
大人は怒らぬものだ。そう言っていた自分はどこかへ霧散していた。ただ純粋な怒りだけが、俺を支配していた。
「俺の弟子が、世話になったな――」
思わずその言葉が、口からほとばしっていた。
遅くなってしまいましたが、『押しかけ弟子』その7をお届けします。
次話は木曜日を予定しております。




