その2
グルッグズは、背景と同化するように姿を消した。
俺の目前で、魔術のように消えたのだ。
何度目にしても、一体どういったカラクリなのか、よくわからない。
隠形といったか。不思議な技だ。
だが、これがこの男の技術なのだ。
そういう特殊技能があるなら、使えばいい。
それを体得するのに、どれだけの時間を要したのか。俺にはできそうもない技だし、できるやつも知り合いにはいない。並大抵の努力ではなかったはずだ。ならば、好きなだけ使えばいいんだ。
ジュラギと違って、ずるではないのだから。
おのれの鍛錬のみで会得した業だ。
俺は猫足立ちの姿勢で、やつの攻撃を待った。
なにしろ、敵の姿が見えないのだから、俺がとる手段はひとつに限定されている。カウンターだ。やつが仕掛けてきた攻撃を、受けるか、ギリギリでかわしてお返しを入れる。
達人ならば、打たれる前にわかるのかもしれない。
だが、凡庸な空手家の俺としては、それしかない。
「若いの、お前の考えはお見通しだ――」
ぼそっと、耳元で声が響いた。
耳の中に声を差し入れるような近さだ。
「ぬうっ!」
俺は反射的に、そちらへと正拳突きを放った。
手ごたえはなかった。
代わりに待っていたのは、黒い床だった。
空を切った拳を軸にして、俺は回転していた。
投げられた――?
俺が放った突きは、腕ごと挟むこむようにねじられ、固められ、そのまま足払いを食らわされたのだ。見えはしなかったのだが、そういうことらしい。
俺は跳ぶように前転し、さらに前転することにより難を逃れた。奴は懐中に刃物を呑んでいる。刃の圏内に留まるのは危険だったからだ。
俺は前転からすっくと立ちあがり、振り返った。
グルッグズは、隠形を解いて、感心したような表情を浮かべている。
「若いの、なかなか使えるじゃないか」
「爺さんも、元気なのはいいが、ちょいと年寄りの運動量を超えているな。もう少し老人らしく振舞った方がいい――」
「まだまだ、若いものには敗けんよ」
「いやいや――」
俺はアップライトから前羽の構えへと移行した。
「負けるのさ――」
「そいつは楽しみだな」
グルッグズは、再び身を大気に溶かした。
それにしても、さっきの攻防は間抜けの一言に尽きた。
俺がカウンターを狙っていたのは、相手から丸わかりだったわけだ。そのうえで、グルッグズは俺の耳元で挑発の意をこめてささやいた。
俺はまんまと、拳を振るったところを投げられた。
逆に、俺がカウンターを食ったというわけだ。
俺は神経を研ぎ澄ますように、瞳を閉じた。どうせ見えない相手なら、せめて気配を感じようと考えたのだ。――だが、敵もさるものだ。まるで気配をつかませない。
こいつは明らかに、格闘術にも長けている。
だからこそ、解せないことがあった。
なぜこれほどの腕をもつ男が、魔女狩りなんてろくでもない連中の一味なのだろう。なにか深い事情があるのかもしれないが、俺はいま、それを詮索するだけの余裕はない。
この驚くべき老人に、勝たなくてはならない。
俺の前羽の構えに、老人は警戒心を持ったようだ。
こいつは相手に威圧感を与え、先に手を出させてしまう。
先に手を出させれば、この両手で相手の攻撃をさばく。
ただ、問題なのは、俺が正確に相手の方向を向いているかどうかだ。俺がきっちりと相手の方向を向いているなら、充分な威圧感を与えていることだろう。
だが、やつは無音で俺の背後をとることができる。
背後に廻りこまれたなら、ただの間抜けだ。
俺はほんのわずかな大気の乱れも捕捉できるように、全神経を研ぎ澄ませている。それが相手にも伝わるのだろう。グルッグズも動かない。
無音の時間が刻々と過ぎていく。
先に焦れたほうが負けだ。
俺はそう覚悟を決めていた。
だが、老人はそう思っていなかったようだ。
グルッグズのやつは、無邪気に真正面から組んできた。
まるでプロレスのロックアップだ。
レスリング勝負でもするつもりか――?
俺がそう思った矢先だった。
がつんと顎先に衝撃が走った。
組んだ姿勢のまま、ショートアッパーを食らったような感じだった。両腕はお互い組み合って殺されている。いったいどうやって、俺の顎に一撃を食らわせたのか――
疑問を浮かべる暇もなく、俺の身はふたたび宙に舞わされていた。よくよく、投げが好きな爺さんだ。今度は払い腰のような投げ技だ。
この世界にも、こんな異形の格闘技が存在するのか。
俺は感動に似た何かを味わっていた。
だが、そんな余韻に浸っている場合じゃない。
俺は倒された床から足を蹴り上げた。
うまいこと、それはグルッグズの側頭部に命中したようだ。奴が最後に、刃物で喉首に一撃を加えるというムーブを、忠実に実行するからできたことだ。
読まれているという考えもあったのだろうが、長年の反復練習で身に沁みついているのかもしれなかった。グルッグズがふらつく気配があった。
思ったより効いたのかもしれないし、演技かもしれない。
だが、チャンスはこの一瞬しかない。
俺はふらつく老人の許へと駆けた。
なぜ、やつの位置がわかったのか。
それは、先ほど、ジュラギの奴がめちゃくちゃに放った砲撃が、四方の壁に穴をうがち、その破片があちこちに散っていたからだ。
床がわずかにじゃりっとなる音がした。
脳に打撃を受けたからこその不覚だったろう。
俺は、見えぬグルッグズに組み付いた。
「ぬっ?」
老人は頓狂な声をあげた。
俺はさっきグルッグズが仕掛けてきたような形で、がっしりと正面から組んだ。
相手の両腕をつかんだ、明確な感触がある。
「舐めるな、若造――」
やつが再び先ほどの不思議な技を繰り出す前――
先に、グルッグズの顎が天を向いた。
奴の技を、俺が先に使ってやったのだ。
よくできた技だが、一度喰らえば十分だ。大体の仕組みはわかる。
俺が腕をねじろうとすると、老人は先手を打つように、自ら前方へと一回転した。だがそれは、破滅の序曲のようなものだった。
「あっ――!?」
俺たちの攻防を見守っていたメルンが声を上げた。
隠形が解け、老人の身体が宙に染み出すように浮き出ている。おそらく隠形とは、何らかの呼吸法により成り立っている業なのだろう。やつの息が荒い。
激しい一連の攻防で、肺が限界に達したというわけだ。
「くううっ――」
グルッグズは、人差し指同士を合わせるように、精神集中をしようとした。再び隠形を唱えようというのだろう。
無理だよ。遅い。
俺は心のなかでつぶやきつつ、縦に旋回した。
胴廻し回転蹴り――
そいつは刃物のように老人の顎先を吹き抜けた。
俺は床の砂利を踏みしめて、悠然と振り向いた。
グルッグズの眼は、どこも見てはいない。
宙を睨んだまま、ゆっくりと身を床へと沈めていった。
やつは一言だけつぶやいた。
「見事……だ、若いの……」
俺は残身の態勢のまま、静かに倒れた男に声をかけた。
「あんたもな、旧いの――」
勝敗は、決した。
『剣は鞘に』その2をお届けします。
次話は月曜日を予定しております。




