その8
揺れる城内を、俺はたった独りで歩いている。
遠くから爆音が響く。それに呼応するかのように、頭上から、小さな砂塵と瓦礫の小雨がさらさらと降り続けている。
どうやらまだ、砲撃は続いているようだ。
だからといって、急ぐことはできない。フォルトワがランタンを持って行ったせいで、こっちは暗闇を手探りで移動せざるを得ない状況だからだ。一度しか歩いていないので、出口への方向も定かではない。
俺は焦る気持ちを抑えるように、深く息を吸い、そして吐いた。焦りは禁物だ。逆に怪我をしたり、出口より遠くに行ってしまったんじゃ意味がない。
おぼろげな記憶と、方向感覚が頼りの綱だった。
これだけの連続した砲撃であるのに、大きな破片が落ちてこないのは幸いといえた。もっとも、内部にいるはずの人間を始末するつもりで撃っていないのだろう。
しかし、奇妙だった。投降を呼びかける声がないのだ。
砲撃で驚いて出てくるところを、捕獲するつもりなのだろうか。
とにかく情報がない。しかも、俺の身はまだ安全な位置にない。
「一歩ずつでも、確実に出口へ向かわなければ……」
聞くものとてない城内で、俺はつぶやいた。
――やがて、俺の苦労が報われるときがきた。
ずっと俺の視界を占拠していた暗闇を、陽光のナイフが切り裂いた。その眩さに痛みを感じ、俺は思わず瞳を細めた。
出口だ。
俺は安堵の息を吐いた。だが、まっしぐらに外へと駆けるのは愚の骨頂だと思った。この砲撃をしている何者かが、この出口に照準を合わせているかもしれないからだ。
もし、外にいる何者かが、蒼月を狙っているのなら、ここで待ち構えるのは最善策だろう。フランデルと、ゼーヴァの諍いに巻き込まれてはたまらねえ。
俺はわずかに身を引き、向こうから見えないであろう漆黒のなかで、すこし考えた。
先ほどから連続して振動は起こっているが、銃声はひとつも耳にしていない。
――ということは、この異世界には大砲はあるが、銃はまだ存在しないと考えていいだろう。狙撃される確率は低い。
よし、とりあえずはまっすぐにこの出口をくぐり、砲撃者どもが誰何の声をあげるまで歩こう。身の危険を感じたら、こちらへ駆け戻ればいい。
方針を決め、俺はゆっくりと出口をくぐった。
城の外は、思いのほか静謐だった。あれだけの砲撃が嘘のように、空はそこぬけに蒼く、地の草は緑に輝いている。湿った城内と違い、外の空気は清涼だった。
無限のように感じられた、漆黒の空間をさまよったからこそだろうか。世界は美しいな、と一瞬、俺はとんまなことを想った。
こんな状況下で、我ながら呑気な男だ。
「おかしいな――」
俺は思わず、声に出してつぶやいていた。
確実にいるだろうと考えていた、フランデルの兵の姿がない。大砲の影すらない。下草の海に、朽ちた廃墟が、まるで浮いているかのごとくたたずんでいるだけだ。
そこで俺は、ありえざるものを見た。
俺の腰ほどの大きさの岩に腰を下ろし、こちらを見て、にこにこと手を振るひとりの黒髪の女性がいた。見覚えがあるし、あまり見たくない顔だった。
「いい天気だね」
「おまえか――」
「そう、なんと私です」
そこにいたのは、中級魔女メルンだった。
「あの砲撃は、おまえが仕組んだことか?」
「おっ、ちゃんと砲撃に感じた? よかった」
「砲撃に感じた、だと? お前は一体なにをした」
メルンは悪戯っぽく笑みを浮かべると、懐から、すっとひとつの小石サイズの塊をとりだした。陽光を受けてきらきらと虹色の輝きを放っているそれは、俺の知識にはない物体だった。
「そいつは、なんだ?」
「これはね、魔岩の欠片。魔岩っていうのは魔力の鉱石みたいなもので、いろんな用途があるんだけど、特に優れた用法は、魔法を蓄積しておけるって部分かな」
「魔法を蓄積する?」
「そう。私たちが普段放つ魔法を、この魔岩に蓄積しておける」
「なるほど、おおよその見当はついた。お前はそれを――」
「うん、あなたたちが密談してる間に、あちこちにセットしておいたのさ。頃合いを見て、次々に魔岩を起爆させていったというわけ」
「あの、『撃て撃てー』という声も――?」
「はい、私の声でした。びっくりした?」
俺は前につんのめりそうになりながらも、どうにか自制した。
まったくなんてこった。俺はあのとき、ちょうど、蒼月と対峙していたところだった。極度の緊張状態にあったせいで、女の声だとは思わなかった。
――いや、こいつのことだ、声に何らかの加工をしていても不思議ではない。
「それにしても、随分と手の込んだことをするじゃないか」
「でも、よかったでしょ。帝国に行く羽目にならなくて」
「ふん――」
俺は一瞬、鼻白んだ。城内の様子を、どこかから盗聴されていたようで、不愉快な気分になったのだ。
「まるで、こちらの様子をずっと観察していたようなことを言うじゃないか」
「私は何も識らない。すべては――」
「すべては、お師匠さまの指示ってことか」
「そういうこと」
まったく、魔女の師匠とは厄介なものだな――俺はそう思った。ひねくれ者の俺が、こう動くことを予想していたかのように、次々と手を打ってくる。
「それで、次はなんだ?」
「なんだって、どういう意味?」
「どうせ、これだけじゃねえんだろ。お前が俺の前に姿を現した意味は」
「ボガードもわかってきた」
「うるさい、さっさと話せ」
メルンは黒髪を揺らし、すっくと岩から降り立った。
後方を見やりながら、彼女は口笛を吹いた。そう見えたのだが、実際はほとんど口笛の音は聞こえなかった。しかし、確実に何らかの音は鳴っているらしい。
その証拠に、それを耳にしたらしい、一頭の黒い馬が姿を現した。
いや、俺はいま馬といったが、正確ではないようだ。馬のような姿をしたなにかだ。その証拠に、この馬のような生き物の頭からは鋭い2本の角が生えている。
「なんだ、この馬みたいな化け物は?」
「化け物じゃない。バイコーン。お師匠さまの愛馬みたいなもの」
「ほう、こんなものに乗っているのか。いかにも魔女っぽいな」
俺はしげしげとこの黒い馬のようなものを眺めた。体高はほぼ、俺の身長と同じぐらい。俺たちがいた世界の競走馬と同じくらいの大きさだろうか。
あれはかなりの品種改良の末に誕生した馬だと聞いた記憶がある。昔の馬はかなり小さかったそうだから、こいつは馬としてはかなりの大型に属するだろう。
「――で、この愛馬でどうするんだ?」
「乗って」
「――何だと?」
「乗れば、それでいい。お師匠の許まで、案内してくれる」
俺は軽く舌打ちをした。
この申し出を断ることだってできる。
だが、俺は交通手段を失ってしまっていた。当然ながら、乗ってきた馬車はない。フォルトワたちが脱出に使っているのだろう。こんな辺鄙な場所を通りかかる物好きな馬車があるとも思えない。
「結局は、そうなるのか――」
「まだ、いやなの?」
メルンが、俺の顔色を窺うように尋ねた。
俺はそちらを観ず、黙ってバイコーンとやらを眺めている。鋭い2本の角の下にある、賢そうな眼が俺を見つめ返している。
怯えても、嘲ってもいない。素直な眼だ。
「いいや、気が変わった。お前のお師匠に会いたい」
俺はきっぱりと言った。
折角、ここまでおぜん立てしてもらったのだ。
こうなれば、とことん付き合ってやろうじゃねえか。
思ったより、かなり遅くなって申し訳ありません。
『運命の岐路』その8をお届けします。
次話は翌水曜日にお届けできるかと思います。




