その5
死人の顔色のような青白い月光が、僕と周囲の景観を照らしている。いつ見ても月は美しい。僕は無意味に明るい陽光というものが、子供のころから苦手だった。野卑で無遠慮な視線に晒されているかのように、不快な気分に陥ってしまう。
月明かりの下で謎の老人と邂逅というのも、なかなかおつなものだ。
「奇妙なる術をお使いになるようですね」
僕は謎の老人に問いかけた。
「忍術というやつですよ、その――」
「蒼月で結構ですよ、グルッグズ殿」
「では蒼月殿、これより先は、我らがヴェルダ師の指示に従ってもらえますかな」
「もとより、僕にはこの状況から脱する方法はありませんからね。まな板の鯉のようなものです。ですが、そのヴェルダ師というのは、どういう方でしょう」
ふと興味を惹かれて尋ねてみた。
彼の説明によると、予知能力が使える魔女ということだ。このグルッグズの表現には多少の誇張が入っているのだろうが、それにしても、人の動きがすべて事前に読めるのならば、それはあたかも全知全能の神のようなものではないか。
「本人に言わせれば、すべてが見通せるわけではないということでしてな」
「ほう。見通せることと、できないことがある――と。その区分は何なのでしょうか」
「ワシには具体的なことはわかりかねますが、当人がおっしゃるには、未来というものは不確定要素が多く、微細に枝分かれしているそうでして。その中でもっとも確率の高い道を示しているに過ぎないとか」
「ふむ、予知は絶対的なものではないということですか」
無駄話をしている時間は、それほどない。グルッグズに先導を任せ、フォルトワはおぼろげな灯りを頼りに馬首をめぐらせた。
一刻ほども移動しただろうか。
風の香りが代わり、新たなる風景が開けた。永劫とも思えるようなオーボーリュの緑が切れて、夜空の天蓋が頭上を覆っている。東の空がじょじょに白みはじめ、闇夜は急速に駆逐されつつあった。
「視界が開けてきましたね」
「この辺りから、人の住む域に入るとのことです」
グルッグズは姿を消したまま、先導を続けてくれているらしい。馬車より速く走ることは不可能ではないが、それを持続するのは並大抵の修練では難しい。特にあのグルッグズという男は、すでに老境に入っているのだ。
どういう心肺機能をしているのか、これもまた忍術というものの恩恵なのだろうか。なかなか興味深い技術だ。
視界が開けた。樹々はまばらになり、灌木の類が多くなった。そのなかを縫うように道が続いている。整備された大きな街道ではない。街道を造るには帝国の許可が必要だし、それには多額の資金が必要になる。
これは誰かが緑を拓き、地面を平らに均しただけの粗末なものだ。この付近に住む人々が、地道に造り上げたものだろう。
どこかの村が見える。
見覚えのない場所だった。もっとも、僕は広大な帝国のすべてを識っているというわけではない。識らない土地があっても不思議ではないが、ここに住む人々の顔は不思議だった。
「亜人の村です」
「亜人といっても、僕の周囲には見ない貌ですね」
「獣人ですわ」
アルケーがそう教えてくれた。獣人は帝国の要職には就けないし、はっきりとした差別を受けている人種である。村の門は険しい顔をして僕らの前に立ちふさがっている。彼らが人間である僕の来訪を、簡単に受け入れてくれるとは思えない。
「なあに、なんとかなるでしょう。我々は多少、珍しい取り合わせですし」
フォルトワは自信ありげに胸を叩いた。
なるほど。人間にエルフ、ドワーフの取り合わせは確かに珍しいかもしれない。――それにしても、なかなか面白い事態だ。この僕が、もと商人だったフォルトワの弁舌に頼る日がくるとは思わなかった。これだから人生は面白い。僕はくすくすと笑みをこぼした。
「お兄さん、何がおかしいの?」
「おや、小さな来客ですね」
僕の目の前に、子供の獣人がちょこんと座っている。気付いてはいたが、気付かない素振りをしていたのだ。先ほど軽い振動がしたから、おそらくは樹を伝って屋根から入ったのだろう。
眼がくりくりと大きい、可愛らしい子だ。こうしていると、さほど人間の子供と外観は変わらない。頭上に並んだふたつの長耳が、彼女が兎族の獣人であることを告げている。
「奇麗なお兄さん、名前は何ていうの?」
「僕は神田蒼月といいます、小さなお嬢さん」
「小さなお嬢さんじゃなくて、ミルミルって呼んで。ソーゲツさん」
「ではミルミルさん、あなた方は僕たちを迎え入れてくれるのでしょうか」
「大丈夫だよ、こまった人を見捨てないのが、獣人のいいところだから」
そういって彼女はおませなウインクをしてきた。
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交渉は上手くいったようだ。
顔色には出さなかったが、フォルトワは大見得を切った手前、必死だったようだ。彼は馬車に、さまざまな荷物を積み込んでいた。商売でもやるつもりかと思うほどの量だ。荷があるだけ、馬車の足は落ちる。どういうつもりかと思っていたが、どうやらこれが交渉の材料だったようだ。
「これも予知の賜物というやつですか」
「――そういうことなのでしょうね。私も今の今まで、何のための大荷物かわかりませんでした」
「グルッグズの指示ですか」
「そうですわ。まったく、薄気味が悪いですわね、予知というものは」
アルケーは露骨に柳眉を寄せた。
「まあ、そう嫌ったものでもありませんよ。お陰で僕たちは、ここで休息をとることができるのですから」
僕はこの事態を楽しむ余裕があったが、さすがに馬や、皆を休息させる必要はあった。追跡されながらの旅は、精神を摩耗させるものだ。
僕らは門番をつとめていた狼族の男の案内で、村に入ることができた。村の内部は別段、目を惹くものはない。僕らの文明より未開な部分は多いが、文献で見た昔の人々の暮らしはこのようなものであったと記憶している。
「僕らはどこへ導かれるのです?」
「我らの長のところまで。これだけの客人が泊まれる広さの家は、長の家をおいてない」
ひときわ大きな高床式の建物が、村の中央付近に位置している。これが村長の家のようだ。僕らは門番に促されるまま中に入った。村長は門番と同じ狼族の老人であり、その毛並みには白いものが多分に混じっている。
「初めまして、人族の男よ。この村に人族の客人が訪れるのは非常に珍しいことです。まして相手が、帝国の『氷の将軍』殿とくれば、猶更ですな」
「ほう、僕のことを識っているとは。意外ですね」
「あなたは、我ら獣族にとっては大切なお方です」
「はて、どういうことでしょう?」
「あなたはかつて宮中で、帝国の要職に獣族が就けないのはおかしいと、帝王相手に一歩も引かず、敢然と異を唱えた人だと聞いております」
「ああ、特に深い意味はありません。能力のある者は重用すべきであるし、出自を問うべきではない。――そう考えただけです」
「そのような公正な考え方をしてくださる方は、これまでの帝国には存在していなかった」
「実に狭量なことです」
「憶えておいて下され。我らは仇は仇で返すし、恩は恩にて返します。――ソウゲツ殿、ここを新たな家と思っておくつろぎください」
村長はうやうやしく頭を垂れた。
人にはやさしくしておくものだ。
それが人間であれ、獣族であれ。
因果は巡るものだということを、僕は改めて理解したように思った。
文章表現に納得がいかず、まるっと書き直しました。
遅れてしまいまことに申し訳ありません。
次話は木曜日を予定しております。




