その3
射撃の合図が出された後も、銃声が部屋に轟くことはなかった。
円卓の間は、不気味な沈黙に支配されていた。
その静謐を破ったのは、『炎の将軍』ヴルワーンだった。
「――や、やめろ。離れろ」
その言に対し、今度は僕が哄笑で報いる番だった。
「おもしろいことを言いますね。やめるわけがないじゃないですか」
僕はヴルワーンの背にぴったりと貼りつくように立っている。
先ほどまでの落ち着き払った態度はどこへやら。今の彼の声は、先ほどまでの傲慢な調子とはまるっきり違っている。
それもそうだろう、あの彼の人を見下した態度は、完全なる優位なポジションを確保したと思いこんでいたからこそだ。だが、残念ながら僕は、ただ射撃を受けるだけのカカシではない。
「――な、なぜだ」
「なぜとは?」
「なぜあの距離から、一瞬で間合いを詰められたのだ。おまえは瞬間転移の魔法でも使えるのか?」
「愚問ですね。カミカクシである僕が、魔法使いであるはずがないじゃないですか」
彼の狼狽ぶりは、面白いほどだった。
動物園にいる猛獣も、檻越しから見ていれば危険ではない。彼は自らが安全な位置にいると錯覚して、僕に言葉の礫を投げつけていたのだ。実際はそのようなものなどなかったというのに。
「種明かしをすれば、僕は最初からあなたの意図に気付いていましたよ」
「――なに!?」
「あなたが用意したマッチロック式銃はね、臭うんですよ」
「臭いだと?」
「そうです。マッチロック式は弾を発射するにあたっては、即座に撃つ、ということはできない。あらかじめ火縄に着火しておく必要がある」
「むう」
「その臭気がね、私の鼻には煩わしいほど感じられていたんですよ」
「す、すると貴様は、罠を承知でこの部屋にやってきたのか」
「何しろ、事の詳細がわかりませんでしたからね。僕の頭に最初に浮かんだのは、皇帝暗殺という線でした。――何しろあなたは苛立っていた。ずっとね。ロータス商会を介した破壊工作も、迂遠であると断ずるほどだ」
「そのとおりだ。わが偉大なる帝国と、フランデル、アナンジティ両国の国力差は明白である。破竹の勢いをもって軍を動かせば、年内には片が付いていたはずだ」
「とはいえクーデターとは、少しばかりやりすぎましたね」
「よそ者である貴様にはわかるまい」
おや、と僕は思った。先ほどまで浮かんでいたヴルワーンの狼狽は影を潜め、代わって表に現れたのは、瞋恚の炎であった。声が震えている。怯えではなく、怒りで。
「どれほど私が、ディアグル三世に戦の必要性を解いたか! 鉄の同盟など、我が帝国の武力をもってすれば、鎧袖一触であったはずだ。にもかかわらず、あの男は臆病風に吹かれ、私の進言に耳を貸そうともしなかった!」
「だからね、あなたはだめなのですよ」
「なにい!」
「視野狭窄、というのでしょうか。物事を俯瞰して考えることができない。帝国の内情はね、あなたが考えているほど一枚岩ではない」
「そんなことはわかっている!」
「いいえ、わかっていません。帝国はあまりにも急激に肥大しすぎたのですよ。版図を広げたはいいが、結局のところ、圧倒的な軍事力で征服しただけだ。支配下に収めた諸国は、心より屈服したわけではない。内乱の炎は、あちこちで燻っている。陛下はその状況を把握しているが故に、直接武力介入するという愚を避け、ロータスを通じてちょっかいをかける程度に留めていたのです」
「いいや、私は騙されぬぞ」
「何を騙すというのです」
「我ら主戦派に代わり、お前ら反戦派が台頭してきたのは、皇帝が戦そのものを諦めているからだろう。――特に蒼月、お前はあまりに皇帝に近すぎる。皇帝は私よりも、お前の発言にばかり耳を傾けていたではないか」
「それはあなたが口を開けば戦、戦と同じ文言を繰り返すからではないですか。皇帝はね、出来の悪いオウムが好きではないのですよ」
「騙されぬ。貴様はわが帝国の最大の佞臣だ。貴様のような男は排除せねば、帝国の未来はない」
「ずいぶんと、嫌われたものですね」
僕は思わず笑ってしまった。ここまで見事に話が噛み合わなければ、いっそ爽快といえた。ヴルワーンは代々帝国の禄を食む、名家ロックノーズ侯爵家の現当主だ。その地位は、自身の才覚によって手にしたものではない。生まれながらにして、彼の手中に転がり込むようになっていたのだ。
『炎の将軍』と称されてはいるが、さほどの軍事的才能が彼にあったわけではない。圧倒的な帝国の武力を背景に、勝利を手にしてきたに過ぎない。
そのことは、彼と数度会話しただけで理解できた。
戦のことしか頭にない、実に面白みのない男だった。
この粗末な暗殺計画にも、ヴルワーンという男の雑な性格が如実に現れている。僕はただ、彼がどのように囀ってくれるのかを鑑賞し、そののちに動くだけでよかった。
彼の椅子と僕の椅子は、円卓を挟んでちょうど真向かいの位置にあり、最も距離が離れているといっていい。
だが油断しきった彼の背後をとることなど、造作もない。火縄銃が狙いを定め、僕に向かって狙撃するまで、ゆったりと待ってあげる必要もない。
案の定、7つの筒先は、風に惑う小枝のごとく、おろおろと足並みそろわずに揺れている。主であるヴルワーンを盾に取られては、どうしていいのかわからないのだろう。
「どうしました? うまく背後にいる僕に命中させれば、あなた方の主は助かりますよ。――ただし、少し狙いが外れれば、この人の頭は柘榴のように破裂してしまうでしょうが」
「ば、馬鹿なことを。それはお前も同じ条件だろう」
「そうですね。ですからこれは、あなたの運が上か、僕の運が上かの勝負となりますね」
僕の唇から、自然と笑い声が漏れている。
昔からこうなのだ。危機的状況に置かれると、僕はつい笑ってしまう。これまでの僕の人生は、順風満帆といってよかった。それはいいかえれば、なにひとつ波乱のない人生だった、ということになるだろう。
刺激が欲しかった。
幼い頃から、求めるものは何でも手に入った。しかし、それでは駄目なのだ。すんなりと手に入ったものに、何のありがたみがあるだろう。何の感動があるのだろう。
皮膚が粟立つような、強烈な体験がしたかった。向こうの世界は、退屈の一言につきた。刺激が欲しくて、ヤクザ者に喧嘩を吹っ掛けたこともあった。だが、虚しかった。何も変わらない。僕の肌には傷のひとつも付かないし、心に恐怖が刻まれたこともない。
違う世界へと行きたかった。
こんな退屈な世界ではない。
もっと刺激に満ちた世界に――。
「さあ、楽しもうじゃないですか」
「なにを楽しむというのだ」
「スリルですよ。生死のかかった状況ほど、楽しいものはない」
「お、お前は狂っている!」
「いいえ、私は正気ですよ。感じられませんか、肉の下で烈しく脈打つ心臓の鼓動が。さあ、早く射撃命令を下すのです」
筒先はやがて、一斉にこちらに向けられた。
彼の号令ひとつで、どちらかが死骸となって、あるいは両者ともが――この円卓の間を紅で汚すこととなるだろう。果たして人間は、飛んでくる銃弾をかわすことはできるのだろうか。不可能なことのようにも思えるが、命を賭けてチャレンジしてみる価値はありそうだ。
だが、僕の期待とは裏腹に、ヴルワーンはこう叫んだ。
「やめろ! やめるんだ! 銃をこちらへ向けるな!」
悲痛なヴルワーンの叫び声に、鉄砲部隊はすべて下がらざるを得なかった。僕は彼を人質にしたまま、円卓の間を出た。通路にも、ヴルワーンの部下とおぼしき兵たちが伏せていたが、大将が人質にとられていては手も足も出ない。さて、ここから先はどうしようか。この状況から軟禁されている皇帝を救う、などというアクロバチックな荒業はできそうにない。
「逃げても、逃げ切れるものではないぞ。いい加減に私を解放しろ」
「考え事の邪魔ですので、黙っていてもらえますか?」
僕はねじり上げた彼の右手に、わずかに力をこめた。それだけで彼は「ぐっ」と一声漏らして、黙りこんでしまった。
それにしても。
せっかく望んだ異世界にやってきたというのに。
ああ、なんて、つまらないんだ。
『動乱』その3をお届けします。
次話はちょっとずれて、土曜日を予定しております。




