その5
約束の刻限がきて、俺は決闘場――もとい、アリーナへと向かった。
ここは格闘技の使用に限定された場ではなく、競技場である。さまざまな競技に使用されるため、大きさは王都のアリーナ並にあるかもしれない。円形に囲まれた大理石の空間は、短距離走が出来そうな広さはありそうだ。
その代わりに観客席は、王都の円形闘技場ほどの収容人数はない。その半数――ことによると、もっと少ない。俺のざっとした見積もりは正しかったというわけだ。
一戦を終えた後で、軽い倦怠感がある。
せめて少しのインターバルがあれば、それなりに闘える状態に持っていけるのだが。いまは呼吸を整えるだけで精一杯である。
仕方がない。せめて闘いの最中に沈没しないよう、最善を尽くすしかない。
俺は静かな眼で周囲を見渡した。数人の男女がひと塊になってこちらを見ている。これがクロノル陣営の面々だろうか。一行の主らしき人物が、こちらを指さしてこう言った。
「はて、アンジェ姉さんの姿が見えぬようだが」
ということは、この人物が弟のクロノルなのだろう。一行のなかでも特に華美な衣服を身にまとっているから、他との違いは一目瞭然である。細面の両眼に、神経質そうな光をたたえている。
「彼女は腹を下していてね。ちょっと遅れてくる」
「フン、決闘代理と侍従だけでは話にならん。この勝負は不戦勝ということで、当方の勝ちだろう」
「おかしいな」
「おかしいとはなんだ? 代理」
「そのような内容は、今回の決闘の条件には記されていなかったように思うが。恣意的なルール変更には意を唱えさせてもらう」
「ふむ、たかだか闘士風情がいっぱしの口を利くではないか」
クロノルは露骨に嘲りの表情を浮かべてみせた。俺はそれを意に介すことなく、群れから離れ、ひとりだけ超然と立っている人物に声をかけた。
「あなたは中立な立場の人間と見たが」
「さようです。私は先代様の執事を務めさせていただいておりました。今回の決闘は公平な立場で拝見させていただくつもりでございます」
「ならば問うが、彼らの主張は正しいと思うか」
一瞬、執事の冷徹な瞳はじっとクロノルの細面を捉え、
「いいえ、さような条件はございませんでしたな。確かに当事者たるアンジェリア様がいらっしゃらないというのは異例なことでございますが、後で参られるということでしたら、よろしいのではないでしょうか」
「それでは、決闘は行われるということで、いいだろうか」
「無論でございます」
これには流石のクロノルも、異を唱えることはできないようだ。亡くなったとはいえ、先代ジョージの執事という立場の高さがわかろうというものだ。俺としても、場外戦で精神を消耗したくはない。もとより、舌戦などというものは好きじゃないんだ。
「そんなことより、対戦相手の姿が見えないようだが」
俺としては、そちらの方が気になった。勿体ぶっているつもりなのか、クロノルはにたりと口許に余裕の笑みを浮かべ、
「まあ、そう焦るな。すぐに来る――」
と言った。あまりアンジェリアのことは言えないと思ったが、まあ余計なことは言わないに限る。俺としても、のんびり時間をかけてくれた方が、疲労を回復する時間が稼げてありがたいというものだ。
だが、そうした猶予はわずかだった。
対戦相手は雄叫びをあげつつ、通路から現れた。
威圧感のあるたたずまいに、観客席から驚愕のどよめきが聞こえる。そのシルエットを見て、俺は思わず安堵の吐息を漏らしていた。誰がどう見ても、アキレスではない。彼との遭遇は、本当に単なる偶然だったようだ。
「オレが殺す相手は、貴様かっ!」
男はそう叫んで俺を睨めつけてきた。大きい漢だった。身長は俺より頭ひとつ分ほど高い。リーチもグラハムほどではないが、俺より長いのは明白だ。その代わりと言っては何だが、足は短い。キックが得意な選手には見えなかった。
注意すべきは、やはり腕を使った打撃だろう。
俺はそこまでひと目で観察して、彼の挨拶に応じた。
「随分と元気がいいな。闘いまでとっておいたらどうだ」
「生意気なことを抜かすチビだ。頭から食らってやる」
「食中毒を起こさぬようにな」
俺と巨漢は身体に暗器を仕込んでいないか、この仕合を裁く審判らしき男に、全身を入念に検査されている。この実りのない会話も、その間の暇つぶしと考えるべきだろう。
さいわいにも巨漢の男には、仕合前に奇襲を仕掛けるような考えはなかったようだ。闘いに関して言えば、微細なルールというものはほぼなかった。
ということは、無手ということ以外は何をやってもいいということだ。決闘といっても、俺としては大会でやってきたこととあまり変化はない。
それにしても気になるのは、ソルダの取り乱しようだ。驚きに口を開いたまま、こちらの様子を呆然と見つめている。いつもなら水分を摂らせてくれたり、俺の世話をきびきびと行ってくれるのだが、今回はそれは期待できなさそうだ。
何があったのか、後で訊く必要がありそうだな。
「――両者、準備はいいか?」
審判の男が尋ねる。両者ともが、ほぼ同時に首を縦に振ったとき、決闘の開始を告げる鐘が高らかに鳴り響いた。
俺はいつものようにアップライトスタイルに構えた。相手は、両手を前に広げ、五指をやや開いている。誰がどう見てもグラップラーなのは明白だった。
となると、警戒すべきはタックルだろう。
この巨体だ。下手に組み付かれれば厄介なことになる。
俺は敵に主導権を握られまいと、男を中心にステップを刻んだ。
円の動きだ。サークリングともいう。
男のタックルの目測を狂わせるのが主たる目的だが、カウンターの打撃を加えるための下準備という部分もある。巨漢の男は、俺の出方を窺うように、慎重にタイミングを見計らっている。
静かだが、すでに闘いは始まっている。
観客もそれに気づいているのだろう。それまでお喋りしていた人々も、今は寂として声もない。その静寂を破ったのは、誰あろうクロノルだった。
「――なにをグズグズしてる、このノロマ。さっさとそんな奴は片づけてしまえ」
空気を読めない人種というものは、どこの世界にもいるものだ。流石に巨漢は不機嫌そうな顔になったが、何しろ相手が雇用主だ。文句を言い返すわけにもいかないのだろう。
「ちっ、仕方ねえ」
憮然として、男は間合いを詰めてきた。
どの瞬間にタックルが来るのか。
俺は男の眼を見据え、リズムを刻む。
次の瞬間だった。男は意外な行動に出た。
こちら目がけて、縦に身を沈めたのだ。
(縦回転の胴廻し回転蹴り――?)
驚いた。
驚愕のあまり、一瞬反応が遅れてしまった。
だが、こいつは俺の得意技だ、もろに食らう技ではない。俺は咄嗟に奥足を引いて、その蹴りをいなそうとした。
その判断がそもそもの間違いだった。
相手は胴廻し回転蹴りを仕掛けてきたわけではなかった。なんと、単なる前転をしてきたのだ。幾度となく行ってきた道場での組手により、相手選手が縦に回転してきたら胴回し。俺にはそう反応してしまう癖ができてしまっていた。
単なる前転で倒れこむ選手などいない。それは敵に有利なポジションを与えるだけだからだ。それが俺のなかの闘いの常識というやつだった。少なくともこれまでは。
この巨漢の前転は、次の攻撃につなげるためのものだったのだ。男はその状態で、俺の前足をすくってきた。見たこともない動きだった。
奥足をずらしたタイミングと合致してしまい、俺は朽木のように無様に転倒してしまった。足を取られた状態のまま――
「さあ、オレの時間だな」
男は舌なめずりせんばかりの表情で告げた。
『新たな町で』その5をお届けします。
次話は金曜日を予定しております。




