20、二度目の退職
時は流れて……
私が城の厨房で働き始めてから、早いもので一年が経とうとしています。
陛下からの妨害にあい、騒がしい密偵に付き纏われようとも、私は見事修業期間を終えたのです。
雇われたばかりの頃はばらばらに感じていた厨房のメンバーも、私が副料理長と本音を語り合った夜を機に団結するようになり、結束が生まれた気がします。
そんな中で退職すると言い出した私は別れを惜しまれ、どうしても辞めてしまうのかと先輩には夜通し泣きつかれましたが、それでも私は今日リエタナへと旅立ちます。
惜しまれたと言いましたが、私も同じ気持ちであることに驚きを隠せません。
この私が一つの職場に情を抱くなんて、信じられないことです。密偵を辞めてから、私も変わったのでしょうか。密かに憧れていたリーチェのように、普通の女の子らしい心を持てたのなら嬉しいです。
名残惜しさはありますが、遠いリエタナに向かうのなら早く出発しなければいけません。しかし厨房での挨拶を終え、いよいよ旅立というとする私を上司権限で呼び止めたのは陛下でした。これだから最高権力者は!
「今日で辞めるらしいな」
世間話のようにゆっくりと切り出さないで下さい。どうせ私がリエタナに向かうことは知っていますよね。そしてリエタナと言えば主様、貴方が追放した弟君のいらっしゃる土地です。どうせ私が主様のおそばに行くことなんてお見通しですよね?
その上で問いましょう。
リエタナまで何日かかると思ってるんですか? 私が一刻も早く主様の元に向かいたいって、わかってますよね!?
あと、どこかの密偵が聞き耳を立てている気配がするんですけど!
「考え直してはどうだ? お前は使える人間だ。料理も美味い」
「私にはもったいないお言葉です」
「無欲な女だな。お前は正しく自身の価値を認識すべきだ。お前のような人間が地方で燻るのは惜しい」
「お褒めにあずかり光栄です」
「いっそ俺に仕えてはどうだ。お前なら料理以外でも訳に立つだろう」
いっそ貴方には関係ないと言って差し上げましょうか!?
「申し訳ございません。大変光栄なことですが、私の主は生涯ただ一人と決めております」
言葉にはしませんが、言って差し上げます。
私の主は生涯、主様だけなんですよーだ!
「では何故、あの時ついて行かなかった?」
あの時というのは主様が追放された日のことですか。本当に、私の逆鱗に触れるのが上手な方ですね!
「断られてしまいました。私は必要ないようでしたから」
あくまで誰とは言いませんが、これくらいは話して差し上げます。私からの餞別だと思っていただきましょう。
すると陛下は目を丸くする。とても信じられないと言いたいようだ。
「お前のような優秀な人間を不要だと? なおさら俺に仕えてはどうだ」
「違います!」
思わず叫んでしまってから後悔する。
「申し訳ありませんでした」
それでも主様という人を誤解されたくはなかった。
「いや、構わない。何も知らない人間がとやかく言うべきことではなかったな」
「は?」
耳を疑う。陛下から、そのように謙虚な発言が飛び出すとは思わなかったのだ。
いえ、それよりもまずは主様への誤解を解かないと!
「私がお仕えしていた方は、私が他の道を選べるようにと、選択肢を残して下さいました。ただ私のあきらめが悪かっただけで、あの方は悪くありません。今回のことも私が勝手に……ですがもう二度と、おそばを離れるつもりはありません」
「そうか。あいつは、幸せなのだな」
まるで自分が不幸せのように言わないで下さい。今日でお別れのはずなのに、心残りが芽生えてしまう。
私はこの一年を通して陛下の孤独を知ってしまった。あらゆるものに恵まれ、玉座さえも手に入れておきながら、心は空っぽなのかもしれないと。
「あらゆるものを手に入れはしたが、お前のようなただの小娘が手に入らないとはな」
陛下は心底残念そうに呟いた。きっとこの人は主様のものである私を奪うことで、自分に屈しなかった主様の優位に立ちたかったのでしょう。血も涙もないと思っていましたが、存外人間らしいところもあるのですね。
でも主様を追放したことは一生許しませんけど!
こればっかりは譲れません。孤独? それは私にとって関係ないことです。せいぜいあのうるさい密偵の女性に賑やかにしてもらって下さい。
陛下は険しかった表情を和らげ、最後にこう言った。
「失業したのならいつでも戻ってこい。私が雇ってやる」
どこまでも一言多いのがこの人だ。
顔面の筋肉を総動員して、最後だからと無理やり笑顔を貼り付けた。
「そのようなことにはなりませんのでご安心下さい。それではお元気で」
おかしいですね。国王陛下直々の見送りだというのに、ちっとも嬉しくありません。
速足でこの場を立ち去ろうとした私ですが、一言伝え忘れたのでぴたりと足を止めました。
「陛下。リエタナにお越しの際は当家をお尋ねください。お客様としていらっしゃるのでしたら、私もそれ相応の対応をさせていただきます」
今日までそうしてきたように、料理人として尽くさせてもらおう。
「きっと、あの方は歓迎されるはずですから」
笑顔を添えてお誘いできるなんて、私も大人になりましたね。陛下が主様にしたことは決して忘れませんが、いつまでも憎んでいるだけの私ではありません。かつて主様がそう望まれたように、お客様として訪れるのなら歓迎しないこともないですよ?
陛下は何も答えなかったけれど、その表情は穏やかだったと思う。




