19、厨房内の揉め事
深夜、厨房では怪しい一つの影が暗躍していた。明かりは最小限に抑え、働きなれた現場では暗くても問題ないのでしょう。
綺麗に片付けられた調理台には大鍋だけが置かれている。並々と注がれた液体は、明日のために私が仕込んでおいたスープだ。陛下が楽しみにしていると去り際に言い放ったものがこれにあたる。
暗闇から伸びた手は鍋へと迫り、あと少しで鍋に触れる絶妙のタイミングで私は声を上げた。
「止めた方が良いですよ」
それに触れたのなら、後戻りは出来ません。
明かりを灯せば、鍋に手を触れようとする副料理長の姿があった。
「なっ!?」
眩しさに目を眩ませながらも、その顔には焦りが浮かんでいる。
「どうしてここにと言いたいようですが、見張っていました」
モモがですけど。
「何故、僕を……」
「様子がおかしかったものですから」
このところ副料理長からは、それはもう熱い視線を送られていました。表向きは遠巻きに眺めているだけでも、私にははっきりと、敵意が伝わっていましたよ。
それなのに仕事中は上の空。出会った時に感じた熱意は息をひそめているんですから、おかしいとも感じるでしょう。
そんな時にモモがくれた情報です。
聞けば陛下と接触があったとか。ガラス越しのため会話までは聞き取れなかったそうですが、陛下と別れた後の副料理長は遠くからでもわかるほど動揺していたらしい。
私はこれまで仕事上、たくさんの人間を目にしてきました。その経験か、気配の変化には敏感です。事件を起こす前であったり、逃げ出す前であったり、そういった人間は大抵いつもと様子が違っているものですからね。
「僕の様子がおかしいと、君に何か関係があるのか?」
「同僚ですから」
「なんだって?」
副料理長の目が信じられないと語る。もしかして、私の口から飛び出したのが意外ですか?
私だって不思議ですよ。こんなの私らしくありません。
これまでの私なら、こんなことは言いませんでした。仮に副料理長が何かに悩んでいても、関係ないと事件の解決を優先したでしょう。誰かの事情に巻き込まれるなんて厄介以外のなんでもない。
でも今回は、なんとかしたいと身体が動いていたんです。それは私がこの場所を大切に思っているからで、副料理長のことを同じ職場で働く仲間と認めているからでしょう。
こういうの、まるでジオンみたいですね。かつての同僚が自分に寄り添ってくれたことを、あまりにも自然に思い出すなんて。あの時はお節介だと思いましたが……本当は嬉しかったのかもしれません。だから副料理長にも、そういう人がいてほしいと思ったんですよ。
「私たち、秘密の話をした仲じゃないですか」
「あれは、忘れてくれて構わないと……」
弱気な態度も発言も、貴方らしくありません。
「副料理長、最近は貴方の料理に熱意が感じられません。料理長を見る眼差しも、以前とは変わっています。以前はもっと、その瞳は野心に溢れていたものと記憶していますが」
「君に何がわかる!」
「何も。ただ、せっかく私たちが仕込んだ料理は無駄にしないでいただけますか。陛下も楽しみにして下さっているそうなので」
陛下の名を出せば副料理長は明らかに取り乱していた。
「うるさい! 君はいいよな。料理長からも、陛下からも認められて。なのに僕は……」
わざわざ楽しみにしていると陛下が私を煽ったのは、料理長が行動を起こす可能性を見込んでいたからでしょうか。私に恥でもかかせたかったのかもしれませんね。期待されていた料理が用意出来ないとなれば、私は謝罪するしかありません。おそらく副料理長は陛下に利用されたのでしょう。
「副料理長。貴方はもっと、料理に対しては真摯に向き合っていたはずです。思い出してください」
「何を言うかと思えば、新人の君に諭されたところで心は動かないよ。余計なお世話だ」
「では料理長はいかがでしょう。料理長とは付き合いも長いですよね」
「何だって?」
「料理長は貴方の実力を認めていました。そうですよね、料理長?」
「ああ、新入りの言う通りだぜ」
さすがに私の背後から料理長が登場したとなれば副料理長も慌てだす。もちろん私がこうなることを見越して呼び出しておきました。深夜にもかかわらず、快く応じてくれましたよ。
「何があった、マリス。お前は生意気で、負けん気が強くて、それでいて人一倍料理が好きだった。それなのに、お前は今何をしようとした?」
副調理長は目の前の料理を台無しにしようとしていた。そんなことは料理人のすることじゃないと、料理長は彼を責めている。
「僕は……」
「いずれ俺の後を継ぐんだろ。胸張って料理してりゃいいじゃないか!」
「僕は、僕には無理だ! 僕は弱い。料理長や、サリアのようにはなれない!」
「どういうこった?」
「僕は、素直にサリアの出世を喜べませんでした。陛下にサリアのことを聞かれて、サリアに期待していると話をされて、目の前が真っ暗になった。サリアに先を越されてしまうことが怖かった。料理長だってサリアを認めているでしょう!?」
「それで足を引っ張ろうってか」
「そうですね。ああ、情けない……見られてしまったからにはもう、ここで働く資格はありません。僕は大人しく辞めますよ」
「お前!」
「後は期待の新人サリアにでも任せればいい! 僕に料理は向いていない!」
副料理長は怒り任せに叫んでいますが、怒りたいのはこっちの方です。
「辞めるですって?」
その言葉は私の逆鱗に触れた。
「ああそうだ! もうこんなところ辞めてやる!」
私はなおも大声でその言葉を繰り返す副料理長に詰め寄っていた。
「副料理長、少しよろしいでしょうか」
緊迫する厨房で、私は発言権を求め手を上げる。
「なんだよ!」
副料理長が鬱陶しそうに振り返る。
「副料理長の料理への執着はその程度のものだったんですか。料理が好きだったのでしょう。それなのに、たったこれだけで辞めてしまうんですか。誰かに辞めろと言われましたか? ねえ料理長!?」
かっとなった頭で料理長に意見を求める。
「い、いや、俺は何もいってねえ!」
料理長は身の潔白を示すように両手を上げていた。
「ですよね!? だとしたら私には理解出来ません。何故続けられる道があるのに辞めてしまうのです? それも自分から!」
私が、私がどんな気持ちで主様の元を去ったか……どんな思いで退職したのか貴方にわかりますか!?
気付けば私は副料理長の襟首を掴んで揺さぶっていた。
「お、おい、サリア!?」
二人の戸惑う声が重なる。けどそんなことは気にしていられない。
「私はあんなにお願いしてもクビになったのに! それを、それをっ!」
副料理長の首がガクガクと揺れている。私の力に抗えず、されるがままとなっていた。
「可能性があるのなら頑張ればいいでしょう! ここにいていいのに逃げるんですか!? 狡い、狡いです! 私は居場所を失ったのに、それでも未練たらしく足掻いているのに!」
私情溢れすぎる叫びには、さすがの副料理長も困惑していた。
「料理が好きなんですよね!? だから料理人になったんですよね!? なのにどうして諦められるんです。所詮その程度ですか、そうですか。私は違いますよ! こっちは一生を捧げる覚悟なんです。副料理長は!? どうなんですか!?」
「僕は……」
「さっさと答えなさい!!」
一括すれば、副料理長は背筋を正して言いました。
「料理が好きだ! 一生を捧げる覚悟だ!」
若干私に怯えての発言にも見えますが、意思のある肯定と判断しましょう。私の渾身の説得、もとい心情の吐露が副料理長の心に変化を与えたようです。
「お前、あんなに熱くなることもあるんだな」
淡々と仕事をこなし、必要最低限の会話しかすることのない私の一面に、料理長は驚きを隠せないらしい。私だってこんなことは初めてで、自分でも驚いていますけど、逆鱗に触れた副料理長がいけないんですよ。
「すみませんでした。ついかっとなってしまい……」
「いや、お前の本音が聞けて良かったよ」
料理長は恥じ入る私を励ましてくれた。
そして今度は立場を失くしている副料理長の肩を叩く。
「まあ、なんだ。これからもよろしく頼むぞ。副料理長」
「しかし、いくら二人が認めようと僕は……」
「何言ってんだ。お前にはいずれ俺の後を任せるつもりで」
副料理長は続く言葉を察したのか首を振る。
「僕は相応しくありません。今回の件で痛感しました。僕は、サリアには勝てない」
副料理長は困惑を視線を振り切って私を見つめる。その眼差しにはただならぬ決意を感じた。それはこれまでのそっけない眼差しとも、敵意の宿る瞳とも違う。
「サリア、後継者には君がなれ」
「お断りします」
「ああ、よろしく……っておい正気か!?」
副調理長は私に自分の地位を明け渡したいようですが、そうはいきません。
「私、一年契約なんです」
「一年契約!? 料理長、本当ですか!?」
大慌てで判断を仰げば、料理長も焦りを浮かべていた。
私の発言を耳にした二人は至急、雇用契約書を確認しに向かう。そしてこれまでのぎこちなさを疑うほど、連携の取れた動きで書類を探し当てて見せた。
「なんてこった……本当に一年契約になってやがる!」
ふらりと倒れかけた料理長を、とっさに副料理長が支えていた。この二人はもう大丈夫ですね。
「サリア! 君、ここを辞めてどうするつもりなんだ!?」
「決まっています」
「料理するってのか? だったらここを辞めることないだろ!」
料理長はまだ諦めてはいないらしい。貴重な戦力として数えてもらえるのは有り難いことですが、申し訳ありません。最初から、期間は一年と決めていたのです。
「申し訳ありません。仕えるべき主を決めておりますので」
たとえどれほど遠くても、私はあの方の元へ向かいます。そこがどこであろうとも。
早く主様のために料理を振る舞いたいと、今も強く思うばかりですから。




