15、料理人としての初仕事
本日の厨房は料理長の盛大な驚きから幕を開けた。
「ああ!? マリスの奴が風邪!?」
伝令係からもたらされた内容は一瞬にして厨房を駆け巡る。
「たく、大丈夫なのか?」
真っ先に相手を気遣う言葉が飛び出したことで驚かされる。やはり敵視しているのは副料理長が一方的にという部分が強いらしい。
「しかし困ったな。今日は来客が多い……。カトラ、手が空いたらとにかく俺を手伝え」
「はい!」
「新入りはいつも以上に手を動かせよ」
「はい」
短い打ち合わせを終えると各自持ち場に移る。料理長の言うように、今日はいつも以上に忙しくなるだろう。
やがて目まぐるしく過ぎていく厨房にも昼は訪れる。料理長の掛け声で私にも休憩が回ってきたところだ。
「悪いがまかないを作っている暇がない。お前、リーチェと料理してたくらいだ。なんか作れんだろ?」
つまり、私にまかないを用意しろと?
私にまで調理が回ってくるとは異例なことだ。よほど手が足りないらしい。
期待されたからには応えてみせましょう。それが元密偵として主様の期待に応え続けた私の主義です。
何を作るかはすでに決まっている。まずはこれまで観察し続けた料理長の動きを頭に想い描こう。
用意するも、その手順。どれも完璧に覚えている。使用する調味料の加減も日々の日課から割り出し終えていた。
そうして見よう見真似で作り上げたメニューを見た料理長は、信じられないと言って料理と私を交互に見比べてくる。
「これは俺の……味は!?」
一口食べた料理長は愕然と呟いた。
「完璧に再現してやがる……」
結論から言って、私が作ったまかないは好評だった。料理長の料理を完璧に再現してみせたのだから当然です。
「お前、まさか一口食べただけで俺の料理を再現したってのか!?」
「いえ。見ていればわかります」
「みっ、なんだって!? お前、天才的な味覚センスで再現したとかじゃないのかよ」
「違います。ちなみに私は味の良し悪しには疎いので、見て再現することしか出来ません」
「見てたって、本当にそれだけでか!?」
「本当にそれだけです」
鍋の振り方、手順、味付けの様子……
毎日観察し放題でしたよ。機密事項にしては管理が緩いのではありませんか?
平然と答える私を前に、料理長は深く考え込んでいる様子だ。そんなに不思議なことでしょうか?
「……新入り。お前、今日はこれから買い出しの予定だったな」
その通りなので素直に頷いた。
「カトラ、悪いが買い出しは任せた。新入りはこのまま俺を手伝え」
これは……少しは認められたと思っていいのでしょうか?
しかし夕食の仕込みに入って早々、問題が起こる。料理長はこれまで見せたことのない料理を作ると言い出した。
「じゃあ、後は頼む」
は? 後は頼むってなんですか!?
さらには何を作るか告げただけで私を一人置き去りにしようとした。
「後は頼むって正気ですか!? 私にわかるわけないですよ!」
必死に弁解すれば料理長は激しい剣幕で詰め寄った。
「お前あんだけ手際よく作ってたじゃねーか!」
「だとしたら調理長の手際が良かったんです!」
「そりゃどうも! だいたい任せたのサラダだぞ! 切って盛り付けるだけじゃねーか!」
「お言葉ですが料理長。私の料理の実力を軽んじられては困ります」
そう、料理長は私の実力を見誤っている。確かに私は密偵としては優秀……それだけなんですよ!
「お前応用きかねえなあ!」
口では悪態をはきながらも料理長は私に料理を教えてくれた。私のことを役に立つ人間と判断したのでしょう。
以後、私は雑務担当でありながら、料理面でも補佐を任されるようになりました。これからは通常業務以外にも鍛えられるそうです。また一歩、目標に近づくことが出来ました。
慌ただしい一日を終えた翌日、いつものように出勤すると、厨房には珍しく先客がいた。
副料理長が腕を組み、険しい顔で待ち構えている。そして珍しいことに、彼の方から挨拶をしてきた。
「おはよう」
「おはようございます」
率先して挨拶をしたということは、私に用があるはずだ。それも他の人に聞かれたくない類いの。
「昨日は大活躍だったらしいね」
「活躍?」
「とぼけなくていい。君の料理の腕前はカトラから聞いた。君は現状に満足しているか?」
「どういう意味でしょう」
「君にはそれなりの実力があるようだ。それをこのままの地位で終えるつもりかと聞いている。たとえば副料理長の座に興味は?」
ああ、そういうこと。
野心家の副料理長は当然このまま終えるつもりはないだろう。自分が料理長になった暁には副料理長にしてやろうという話だ。あるいは自分の派閥に入れたいのか、私に出世の手助けを望んでいるのかもしれない。
「私にはもったいないお話です」
いずれにしろ、私にとって厨房での身分など関係ないこと。迷いなく言い切れば副料理長は不満そうだった。
「君が料理長に並々ならぬ眼差しを向けていたものだから地位を狙っているのかと思えば、僕の誤解だったか。いや、失礼。この話は忘れてくれて構わない」
その並々ならぬ眼差しは技術を盗みたいからであって、決して料理長の座を狙っていたわけではありませんよ。
「君に野心はないのか。がっかりだ」
副料理長の顔にはわかりやすくがっかりしたと書いてある。
そうだ、野心家なこの人なら私の疑問の答えを知っているかもしれない!
「副料理長、一ついいですか?」
「なんだ」
「副料理長の考える一流の料理人とはどのようなものでしょう」
私も私なりに考えてはみたんです。前世では有名レストランで働くことや、大きな大会で優勝。あるいは歴史ある賞を与えられたりすることがそれにあたると考えましたが、この世界にそんなものはありません。ならば一流の料理人とは?
「なんだ、やはり興味があるのか? だが次期料理長の座はくれてやらないぞ」
「料理長になることが一流の料理人ということですか?」
だとしたら私たちは敵になる。それが一流の料理人だというのなら、私は副料理長を倒してでもなってみせよう。しかし副料理長は違うと言った。
「国王陛下に認められてこそ、一流の料理人と言えるだろうな」
……今、なんて?
あの人に、あの宿敵に認められろと!?
確かにこの国において国王陛下は最高権力者。その人に認められるということは、こんな私でも社会的地位を認められたも同然。だからといってあの冷徹王子殿下に認められる?
嫌すぎるんですけど!!
それからというもの、あの憎い相手の顔がちらついてばかりいる。もちろん否応なしにあの人のことを思い出さされるのは、それだけが理由ではない。仕事に没頭するあまり、私にとって忌々しい記念日が訪れるのは早かった。
今日、セオドア殿下は王として即位する。私にとっては憎い相手でも、国民にとっては国の将来を担う期待の新王陛下。即位に向けてからというもの、国を上げてのお祭りムードとなっていた。
とはいえ私たち城で働く人間はお祝いに駆けつけることは難しい。むしろこの日は勤務を始めてから一番の激務と言える。私が期待の新人として大切に育てられていたのはこの日のためだ。
まず仕事量が桁違い。いくら私が優れた皮剥き職人だとしても、しばらくは野菜を見たくないと思うほどの量だった。さすがの私も腕がつりそうです。
うっ……しばらくイモは見たくない……!
夢に出そうと恐怖したところで、明日も大量の皮と格闘しなければならない宿命だ。
即位式ともなれば各国から招かれた要人が一同に介す。当然必要とされる食事の量は通常の何倍もに及び、いくら料理人がいても足りない。私が仕事から解放されたのはいつもの終業時刻よりも何時間も後のことだった。
要人たちはみなこの城に泊まるため、明日の仕事も多忙ではあるけれど、今日というピークを乗り越えればなんとかなるだろう。料理担当にも回っていた私もようやく帰宅を許されたところだ。
この期間だけは私たち実家組も城に泊まらせてもらっている。通勤時間があるのなら一分一秒でも寝ていたいと、この世界でも思う日が来るとは思わなかった。




