12、宿敵との邂逅
主様が答えを望んでいる。であれば迅速な報告は密偵の義務だ。
「私には資格がありません」
私が主様にお会いするためには主従という関係が必要だった。けれどその絆はなくなってしまった。
「私はもう主様の密偵ではありません。ですから私には……なにもないんです。そんな私がどうして王子殿下に会えるというのですか!?」
「そんな風に考えていたの?」
辛うじて頷く。これが最後だから、主様はこのようなことを訊くのだろう。ならば自分も、いっそ気になっていたことを訊いてしまおうか。
「私も一つだけ、お訊きしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「主様はお優しい方です、とても。だからこそ考えずにはいられませんでした」
勢い勇んでおきながら、表情を窺うのが怖くて俯いてしまう。
「あの時、幼い頃に出会ったあの日。あの場にいた人間が私ではなくても主様は助けていましたか?」
あの時、もしも攫われていた子どもが私でなくても助けましたか?
もしもお仕えしたいと申し出たのが私でなくても、そばに置いたのでしょうか?
私は特別な人間ではないから、どうしたって考えてしまう。
「そうだね。助けたと思うよ」
それでこそ私の主様です。望んでいた答えであることが嬉しいはずなのに、勝手に傷ついているなんておかしい。
主様のそばにいられたせいで、自分が特別な人間だと錯覚していた。おそばから離れて、自分はどこまでも平凡な人間だと思い知らされるばかりだ。
「その人のことも、そばに置きましたか?」
「密偵になりたいなんて言い出す子は、サリアくらいだと思うけどね」
「そのようなことは……」
「あるよ。仮にいたとしても、これだけは断言出来る。誰より俺の役に立ってくれたのはサリアだろうね」
その言葉にどれほど救われただろう。溢れそうな涙を見られないように視線を逸らしたまま告げる。
「ありがとうございます! 嬉しいです、とても……そのお言葉だけで私は、この先どんな困難も乗り越えられます!」
「大袈裟だな、サリアは」
すぐ傍で笑い合える。この距離が愛おしい。たとえこの想いが報われないとしても、何か一つだけでも主様の一番になれたのだから。この幸福を胸に、私はどんな困難にだって立ち向かえる。
「サリア、難しいお願いかもしれないけど、あまり兄上を責めないでやってくれないか? あの人もあの人なりに大変なんだよ」
「それは、そうかもしれないのですが……」
食事の席でも主様は気にしていない様子に思えた。だとしても本当に悔しくはないのですか?
私はこんなにもセオドア殿下が憎いのです。少し思い出しただけでも激しい憎しみがこみ上げるほどに。
それなのに主様は責めずに、許せと言うのですか?
もちろん理解はしています。第一王子としての重責がどれほどのものであり、あの人はその期待に見事応えて見せたのだと。その姿を不本意ながらも密偵である私は目にしてきました。けれど心は簡単には追いつかないのです。
どうにか「努力はします」とだけでも返せただけでも自分を褒めたい。幸せから、一気に現実に突き落されたような気分だ。
そう、どんなに幸せでも終わりは訪れる。主様がこれから遠い地に向かうという運命は変えられない。外から聞こえるのは別れの合図だ。
「時間のようだね」
名残惜しむような声は、主様もこの別れを少しでも名残惜しいと感じてくれているのでしょうか。だとしたら、不謹慎ではありますが、私はとても幸せな元密偵ですね。
「ところでサリア。以前も話したと思うけど、俺はもう君の主じゃない」
ということは、いよいよ私は主様と呼ぶことさえ出来なくなってしまう!?
咎められることを覚悟したけれど、私の心を救って下さったのはやはり主様でした。
「本当にわかっている? 俺はもう、ただのルイスなんだよ。ほら、名前を呼んで。まさか忘れてはいないよね?」
「あ、当たり前です! お名前どころか生年月日にご親戚様方まで完璧に記憶して」
「なら呼んでみて?」
「今ここでですか!?」
「出来ないの?」
悲し気に微笑まれると胸が痛くなる。そのような表情をさせているのが私のせいだと思うと自分を殴りたくなってくる。でも数日前まで主だった人を相手に名前呼びは難易度が高い。
「サリアは謙虚だなあ。そういえばサリアは俺の母親の名を憶えてる?」
「はい。ルナリア様です」
「俺の妹の好きな紅茶は?」
「イースリット産のものです」
「俺の好物は確か……」
「ステリナ産の苺でしたね」
「それぞれの頭文字を繋げてみてほしいんだけど」
「頭文字ですか? ル、イ……ってふざけないでくださいね!?」
危うく主様の名が完成してしまうところでした。
「おしいな、あと一文字だったのに」
楽しそうに笑う主様は確信犯だ。
「次に会う時までには呼べるようにしておくこと。いいね? 次は、君の手料理が食べられるのを楽しみにしているよ」
主様があまりにも当然のように告げて下さるので私は呆けてしまう。
「待っていて、下さるのですか?」
「当たり前だろ」
「時間、かかるかもしれないんですよ? 私、実は料理と呼べるものは……ほとんどしたことがないと申しますか……」
恥じ入りながら告げると、主様は関係ないと言って下さった。その眼差しは、いつも私に仕事を任せて下さる時と同じものだ。
「待っているよ。未来の我が家の料理人さん」
その一言で私は悩むことを放棄した。
もっと、もっともっと、頑張ればいい。いつか主様の期待に応えられるように。期待以上の料理を振る舞えるように!
たとえ何年かかったとしても頑張れる。この人が信じてくれるのなら、それはどんな力にも勝るから!
「私、絶対に立派な、一流の料理人になってみせます! 主様の好きな物、たくさん作ってみせます!」
「楽しみにしているよ。なら俺は、君のためにとびきりの野菜を育てておこうかな」
主様の好みは肉よりも野菜だ。これはしっかりと習得しておかなければと気合を入れる。穏やかに笑い合えば、家に入った時の緊張感は消えていた。
幸せを胸にドアを開ければジオンがにやにやと待ち構えている。
「道中お気をつけて」
外へ出たのなら私は配役通りの役を演じなければならない。彼らとはここで初めて顔を合わせた者同士。いくらジオンに苛立ったとしても、腹に拳をお見舞いしてはいけない。二人も感謝を告げるだけで、言葉少なに去っていく。
私は近くの木に向かって声をかけた。
「モモ、いる?」
「いるわよ~! 何か御用かしら?」
「お願いがあるの」
「さーちゃんのお願いならどんとこいよ!」
「私は大丈夫だから、主様たちの旅路を見守ってほしいの」
「あたしが見守るのはさーちゃん専門なんだけど……しょーがないわねっ! さーちゃんのためにも見守ってあげますか」
モモは言うなり旋回し、主様たちの後を追ってくれた。モモがいれば危険が迫った時、いち早く知らせることが出来る。
どうか無事、リエタナに到着しますように。
私には願う事しか出来ないのだから。
主様たちを見送った私は晴れやかな気持ちで空を見上げていた。これもジオンのおかげで心残りを清算することが出来たからだ。
……感謝してやりますよ、ジオン。良かったですね!
けれど疑問が残る結果ともなってしまった。
一流の料理人て、なんだろう……
わりと勢いに流されて言ってしまった気がする。
とにかくここで悩んでいても仕方がない。立ち尽くしていても一流どころか料理人にもなれやしない。
私はレモンのカゴを手に城へと続く道を急いだ。
時間に余裕はあるので走るほどではないけれど、少し距離があるので厄介だ。さらに途中で現在着ている変装服から仕事着に着替えなければならない。
足早に進み続け、城下まで辿り着く。すると目的地まであと少しというところでなんとカゴの取っ手と器部分が分離した。何がおきているのか、一瞬自分でもわからなかった。
カゴが壊れるとは!?
軽くなったカゴに驚き、とっさに手を伸ばす。同時に小道具を用意したであろうジオンを呪った。
「わっ、と!」
体制を低くしてカゴを捕らえる。なんとか地面に激突する前に抱えることは出来たが、積まれていたレモンが一つ転がろうとしていた。
「わっ!」
急いで手を伸ばすと、同じタイミングで手を伸ばしてくれる人がいた。一足早くレモンを取った私の手ごと、その人の大きな手に包まれる。
「ありがとうございます」
親切な人がいたものだと視線を上げる。
「いや。余計なお世話だったな」
至近距離で呟く人物を、私は良く知っていた。
ジオン!
本当に!
小道具の手入れはしっかりしておいて!
おかげで何故か目の前にセオドア殿下がいて、手を握り合うという状況に陥っている。これもすべてはジオンのせいだ。
とにかく感謝を。そう感謝……
主様の敵に助けられるなんて屈辱ではありますが、相手は王子、王子様。しかも未来の国王陛下。それらの理由を抜きにしても一応、助けようとしてくれたわけで……
見ず知らずの人間だ。放っておけばいいのに、何を親切ぶっているの? 貴方にだけは助けられたくはなかったですよ!
そもそもここは街中だ。セオドア殿下が気まぐれにお忍びで城下にやってくることは情報として知っているけれど、何も今日こなくてもいいと思う。
百歩譲って今日だとしても、どうして顔を合わせてしまうの!?
ジオンか。やっぱりジオンが悪いのね!
「お前……」
あ……!
現状、私たちはレモンを手に見つめ合ったままだ。
そうよね、まずは手を引かないと!
そう思い、緩やかに抜けだそうとしたところで腕を掴まれていた。なんで!?
「お前、どこかで会わなかったか?」
いや、どこのナンパですか……
あまりの定型文に突っ込みを入れてしまったけれど、真面目なセオドア殿下に限ってそれはない。ではどこで私を見かけたと言うのか。可能性があるとすれば城内だろう。
とにかく一旦落ち着こう。
一度だけ同じ空間に身をおいたこともあるとはいえ、あれだけで私だと判別出来るはずがない。落ち着いて答えれば問題ないはずだ。
これくらいのこと、窮地でもなんでもない。敵陣に潜入し、密書を書き写した時の方がよっぽど窮地だった。
「城で働いておりますので、もしかしたらどこかでお目にかかる機会があったのかもしれません」
正体を知っていることもそれとなく匂わせ、お互いのためにも詮索は無用だと伝えておく。こんなことを言うのは悔しいけれど、敏い人だ。これで察してくれただろう。
「そうか、買い出しの途中か……。どこかで見た気がしたのだが、呼び止めてすまない」
「私こそご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。仕事がありますので、失礼致します」
私はレモンを回収するなり駆け出した。急ぐ必要はないのに、一刻も早くこの人の前から立ち去りたい。セオドア殿下視線から完全に逃れたところで壁にもたれて息をつく。
「はあぁぁぁ……」
こんな偶然ある!?
ひとしきり心を落ち着かせるためにもジオンに呪いの言葉を吐き、私は逃げるように厨房へと駆け込んでいた。主様はもういないのに、あの人のいる場所へ帰らなければならないことが皮肉だ。




