11、追放の日
厨房で働き始めて一週間が経過。
転職面談以降、私は主様と一度も会話をしていない。それどころか、正面から顔を合わせたこともない。
姿だけなら遠くから見かけたこともあるけれど、とても声はかけられない。未練がましく見つめているだけで、手を伸ばすことは許されない人だ。
新しい仕事は順調で、初日で皮むき職人。翌日には皿洗いの達人。その翌日には掃除の女王との異名を賜った。すべて先輩であるカトラからの命名だ。
元密偵改め厨房勤務のサリアとして、この生活にも慣れてきただろう。けれどついに、その日が来てしまった。
「ルイス様、お昼に発たれるって」
「そうか、いよいよか」
カトラ先輩の呟きに料理長が深く頷く。
今日は主様が城を去る日だ。
騒ぎ立てるような動きは無いけれど、密かに城内はその話題でもちきりとなっていて、厨房も例外ではなかった。
私はどうしたって主様の名前が話題に上れば聞き耳を立ててしまう。密偵たるもの、主人の話題には敏感でなければならないという教訓だ。いくら情報を集めても主様が喜んで下さることはないけれど、身体が反応してしまう。
「ルイス様、生まれ育ったお城を追い出されるなんて可哀想」
「やめとけ。新王陛下がお決めになったことだ。いくらお可哀想でも、俺たちが何を言っても現実は変わらない」
「そうですけど! でも、やっぱり追放なんて可哀想ですよ」
先輩っ……!
「そうだな」
料理長っ……!
この二人は良い人間だ。無心になって皮むきをこなしながら、私はとても個人的な理由で判断を下していた。
どうせ私は見送りには行けない。ここで働いて、立派な料理人になることが主様に会える一番の近道だ。そう自分に言い聞かせて働いた。
「新入り、おい新入り!」
考えこんでいるうちに大声で呼ばれていたらしい。これがかつての仕事中であれば命とりだと気を引き締めた。
「おい、新入り。お前、皮剥きは終わってんのか?」
「終わりました」
「なら買い出しを頼む」
頷きながら、同時に疑問が襲う。買い出しの予定はなかったはずだ。
「夜に使うレモンが切れそうでな。ちょっと頼まれてくれ。持ち分の仕事が終わってんなら、夜までに戻る条件で行ってこい」
「わかりました」
なんと料理長は自由時間もくれるという。
カトラは羨ましいと言ってくれたけれど、買い物が終わったのならすぐに城へ戻るつもりだ。自由な時間より観察を続ける方が有意義と私は考えている。
王都を発つという主様の姿が、早くと私を駆り立てた。
「これが買い出しのメモだ。店の場所も書いてある。確かに渡したからな」
料理長は今日に限ってはやけに念を押す。そもそもレモン単品の買い出しにメモは必要だろうか。よほどの心配性と、新たに人物情報に付け加えておかなければ。
けれどメモを開いた私はそういうことかと納得する。メモを手に私は厨房を飛び出していた。
わき目もふらずに走り出せば、走れば近くの木にとまっていたモモが何事かと追いかけてくる。けれど事情を説明している時間はない。
メモには簡潔に、素直になれと書かれていた。そして待ち合わせの場所が記されている。
たったそれだけの文面で説明は一切ない。それなのに私は誰が何のために、何を言いたいのか、はっきりと理解出来てしまった。
メモの文字は主様と私、そしてジオンだけが解読できる特別な暗号で記されている。ジオンと料理長は仲が良かったので、通じ合っていたとしても不思議はない。お節介な上司に仕組まれてしまったようだ。
ジオンに背中を押されたことは不満ではあるけれど、一度溢れた主様への想いはもう止まらない。
(主様、主様! やっぱり私、会いたいです!)
ジオンから指定された民家で私は彼らの到着を待つ。テーブルの上には果物カゴに入れられたレモンが置かれているので、帰りにはこれを持って行けということだろう。
しばらく待つと指定通りの来客があった。一人は屈強な体格の男性。そしてもう一人は彼の背後に隠れるようにして佇んでいる。
主様は私の姿に僅かな驚きを見せていた。目を見開かれたけれど、瞬く間に元の表情を取り繕う。つまりこれはジオンの独断ということだ。
「突然申し訳ない」
本当に。前もって打ち合わせしてほしいと私は頷く。
「我々はリエタナを目指す途中なのですが、生憎御者が不調をきたしまして。本人は少し休めば治ると主張しておりますので、その間だけで構いません。どうか我が主を休ませてもらえないでしょうか」
言いたいことはたくさんあるけれど、とにかく私はシナリオ通りに動いた。
「それは大変でしたね。たいしたおもてなしもできませんが、どうぞ中へ」
「いえ、自分は。主だけで結構です」
「え?」
「自分は外で見張りをしています」
先導していた私は驚きに足を止める。振り返るとジオンがバチッと片目を瞑ってきた。
え、何? まさかウインクのつもり? 気味が悪いんですけど。
てっきりジオンも交えての逢瀬と思っていただけに、二人きりで扉が閉められると頭が真っ白になる。ここへ来ることに必死で、主様と会って話すことなど考えていなかった。
二人きりになると主様はいつもの調子に戻られる。外でジオンが見張りについたことを確認すると、シナリオという仮面を外した。
「久しぶりだね」
主様は穏やかに話された。あまりの懐かしさに、私はこれが現実だと信じられずにいる。
「まったく、ジオンには困ったものだ。こんなことを企んでいたなんて。君も忙しいだろ?」
「私に主様以上に優先すべきことなんて! あ、いえ……申し訳ありません」
もう密偵ではないのだから、こんなことを言ってはいけない。焦る私を主様は注意深く見つめている。
昔なら簡単に、主様以上に優先されるべきことはありませんと言えたのに。今はどう返せばいいのかわからない。こんなに近くにいるのに、主様との距離が遠い。
「なら、俺には会いたくなかった? クビにしたんだ。怒って当然だよね」
まるで私が主様を嫌っているような発言は、いくらご本人でも許せない。クビにされたことで主様を恨んだことは一度もないのに。
「どうしてそうなるんですか!」
「それならどうして会いに来てくれなかったんだ?」
困ったような眼差しで迫られる。けれど困惑しているのは私も同じだ。
「会いに行っても、よろしいのですか?」
主様は目を丸くし、しばらく私を見つめてから大袈裟に息を吐いていた。私などにはとても想像が及ばないけれど、主様も何か緊張されていたのかもしれない。
「いいに決まってるだろ。なんだ、そういうことか。俺たちは互いに遠慮し過ぎていたんだね。これは一計を案じてくれたジオンに感謝すべきかな」
ジオンに感謝? ジオンなら外で見張りをしているはずですが……
そこで私は自分がいつまでも主様を立たせたままにしている状況に気が付いた。
「主様、とにかくお座りになって下さい! お茶を、私、淹れますので」
なんとか主様に座っていただくと、それだけで随分と心が落ち着いた。会話というミッションも残っているが、まずは飲み物を用意しなければならない。
紅茶の入れ方ならメイドとして屋敷に潜入するために記憶している。冷静に真似ればいいだけのことだ。ただし問題が一つ。
「淹れるのは久しぶりなので、あまり美味しくはないかもしれません。水よりは幾分かましだと思うのですが……あの、本当に、口に合わなければ無理はなさらないで下さい」
こんなことならもっと練習しておけばよかった。湯を沸かしながらいくら後悔しても遅いけれど。
「まさか、君が入れてくれたんだ。喜んで飲ませてもらうよ」
美味しくないかもしれないのに、ありがとうと言ってくれた。それも嬉しそうに。
まだ飲んでもいない。とてつもなく渋くて苦いかもしれないのに、それでもいいと言ってくれた。
緊張で強ばっていた身体が温まっていく。
けれどあまり広くはない室内には再び沈黙が落ちた。湯が沸くまでの時間は静かに過ぎていくのだろう。そう思った矢先のことだ。
「サリア」
「はい」
用意されていた茶葉を選びながら主様に答える。
「聞いていい?」
「なんなりと」
まるで昔のようなやりとりに口元は自然と緩んでいた。訪ねられて、報告をして。まるで昔に戻れたようで嬉しかった。
「今まで訊いたことはなかったけど、君は俺のことをどう思っているのかな?」
「お慕いしております!」
「即答?」
本当にいいのかと主様は聞き返すので、当たり前だと私は熱を込めて語った。
「主様は本当に素晴らしいお方です。判断力に優れ聡明で、振る舞いは高貴な身分に違わない優美さ、そして何より、密偵である私にも心を配って下さいるような優しさをお持ちです。そんな人を慕うのは当然のことで、そんな主様だからこそ、主様のためなら私は命をかけることが出来ました。本当に、本当なんです!」
「大丈夫、そんなに必死にならなくても伝わっているよ。サリアの気持ちを疑ったことはない。今までありがとう」
「感謝されるようなことを私は何もしていません」
「自分で訊いておいてこんなことを言うのもおかしいけど、照れるものだね」
照れたお姿は貴重だと興奮していれば、またも主様は表情を陰らせてしまった。まさか私の邪な思考がばれて?
「だとしたら……。話を戻すけど、どうして会いに来てくれなかったんだ?」
「それは……熱っ!」
動揺から、手元に力が入りすぎてしまった。ちょうど湯を注ぐタイミングだったことも災いし、手元に熱湯が跳ねてしまう。
「平気!?」
主様を驚かせてしまうなんて、拙いミスを犯した自分が恥ずかしい。こんなことでは密偵をクビになっても仕方ない。
主様は恐れ多くも席を立ち、私の隣へといらっしゃる。優しい主様は目の前で部下が傷つくのを見過ごせないのでしょう。私の手を取り、水で冷やして下さいました。少しでも寛いでほしかったのに、失態だ。
「ああ、これはいいね」
私は失態を恥じていたのに、そばで見上げる主様の声は弾んでいる。そのお姿を見つめていると、無言のまま主様の両腕が伸び、私の口からは間の抜けた声が出た。
左右には主様の腕がある。気が付けば私は主様の腕に囲われ、逃げ場を失っていた。まるで私を捕らえるための檻のようだ。
「これで逃げられない」
「あの?」
私には逃げるつもりなど少しもないのにどうして?
「ゆっくり話をしたいだけだよ。ちゃんと君の目を見てね」
宣言通り、じっくりと瞳を覗かれる。それは心の奥に隠していた想いまで見透かされそうだ。




